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ミクロネシア連邦チューク州モエン島。小笠原の父島よりも小さい。
これが我々の住んでいる島である。

島の小さなスーパーマーケットには、申し訳程度の野菜と肉があるだけで、生鮮食料品と呼べるものはとても少ない。
強いて言えばローカル市場の魚と現地産のわずかな果物と野菜。
ストアーの卵はどんなに新しくても出荷日から1ヶ月以上は経っているし、牛乳も豆腐も1年はOKのロングライフ物。
タマゴご飯や冷やっこなんぞは、夢のまた夢・・・。
野菜は殆どが腐りかけていたり、肉は冷凍焼けした粗末な冷凍肉のみ。

そんな文明から隔絶された島の食生活にはいつも頭を悩ましている。

港のローカルマーケットに行けば新鮮な魚は手に入るが、いつもいつも魚ばかり食べてるわけにも行かない。
マグロの刺身を食べたければ、最低でも10キロはあるキハダマグロを買ってこなければならない。
少なくとも3日間は毎日毎食マグロ・まぐろ・鮪・のオンパレードとなる。
マグロに限らず、切り身の魚なんぞは一切れたりとも売ってはいないのである。

日本人の性で、無性にお寿司を食べたくなる時がある。
最近も妻と2人して、お寿司が食べたいねェ~、お寿司がたべたいねェ~と、いつも口癖のように言っていた。
そこで、最近は出掛ける度にキュウリを探し回っていた。
巻き寿司のネタだ。
巻き寿司をしようにも日本のようなネタはまったく無い。

最近の我が家の巻き寿司は、新鮮なキュウリと卵焼き、それにシーチキンをマヨネーズで和えたもの、と決まっている。
かつて子供たちが居たころは、ハム・沢庵・卵焼きが巻き寿司のネタだったが、
子供たちが居なくなってからは、さっぱりしたネタに変わってきた。

この1本のキュウリがまたなかなか見つからない。
今日、市場を物色中、幸運にも何とか巻き寿司に使えそうなキュウリを1本ゲットした。
小さなキュウリが1本1ドル50セント(160円)と貴重品だ。

早速、巻き寿司を作る。
お正月以来、今年2度目の巻き寿司だ。
明日もまた食べるつもりで、多めに作った。

2人だけの食卓もお寿司を食べている時は格段に盛り上がる。
久しぶりの巻き寿司に舌鼓を打っている正にその時、日本に居る息子から桜の写真がメールで送られてきた。
桜の話題で巻き寿司を食べる。
いやが上にも日本が懐かしくなってくる。

次の日本食は、新鮮な鯵(アジ)を入手して、〆アジを造り、握り寿司やチラシ寿司を食べる事である。

今度は新鮮なアジ探しだ。

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何度もご紹介しているように、今年は果物の漂流年とでも言おうか、例年ならとっくに終っているはずの果物がいつまでも市場を賑わしている。

アボガドもその1つだ。
例年は、3、4月ですぐに無くなってしまうアボガドが今もチョイチョイ姿を見せる。
チュークのアボガドは大粒で果肉がしっかりとついていて、とても美味しい。

欧米の寿司店では、アボガド巻というメニューもあり、寿司ネタとしても人気がある。

我が家でもいいアボガドが手に入ると、早速、市場にマグロを探しに行く。
マグロの刺身とアボガドの相性は抜群で、その美味しさに限りない相乗効果をもたらしてくれる。

この時期は海も穏やかで、市場にはキハダマグロがいつも水揚げされている。
新鮮な刺身と一緒に食べるのも良いが、丼もまたイケる。

アボガドマグロ丼とでも言おうか、アボガドとマグロとご飯がとてもマッチしていていくらでもススム。

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今年はマンゴーの当たり年で、例年なら6月で姿を消す市場にも、袋詰めなったり、山盛りになったりと、所狭しと並んでいる。
季節に左右されるマンゴーは、島の人達にとってもとても貴重な果物で、今が盛りと盛んに食べている。

ところが、現地式のマンゴーの食べ方はちょっと変わっている。
まだ熟れきれていないちょっと硬めのマンゴーをスライスして、クールエイドをまぶし味付けして、手や口を真っ赤にして食べる。
市場には、真っ赤に染めたマンゴーを袋に詰めて並べてある。
これがまた飛ぶように売れる。
今流行のマンゴーの食べ方だ。

ちょっと食べてみようか、、、と気になる食べ方ではあるが、いざ食べるとなるとどうしても食べごろのマンゴーをスライスして食べる事になってしまう。

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チュークの伝統的なダンスのメッカとして前号でご紹介したチューク諸島のポンナップ島。
ヤップとの国境にある周囲3キロ程の絶海の孤島だ。
その登録人口は1200人だが、多くが島の外で暮らしており、常時ポンンアップ島に居るのは400人程。
アメリカ本土やハワイ、グアムへの出稼ぎ、そしてこのモエン島にも400人程が暮らしている。

モエン島の北側に彼らのちょっとした集落がある。
私とポンナップ島の人達とは30年以上も前から親交を温めてきた。
伝統ダンスの手配、学術調査、TV取材などを通して親友も多く島の古老から若者に至るまで、和気あいあいとした関係が続いている。

先週もちょっと用事がありその集落を訪ねた。
いつもの広場に人だかりがしている。
みんなが見つめているのは1匹の解体されたウミガメだ。
バナナの葉っぱを広げた上に、小さく切り分けられたウミガメの肉や臓物などが並べられ、一人一人に分け与えられている。

この集落には12軒の家がある。
家族構成はマチマチで、夫婦2人だけの家もあれば、10人以上の大家族もある。
赤ちゃんもいれば大人もいる。
しかし、構成員はすべてポンナップ島の人達。
そこには身分や差別は存在しない。
先生も村長も赤ちゃんも、1人は1人だ。
細かく切り分けられたウミガメの肉は、一軒一軒、人数割に均等に分けられていく。

外国の先進文化を呈受しながらも彼らは島の伝統文化を島民一丸となって守り続けている。
ここには、本当の基本的人権が生きている。

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今年はマンゴーが豊作だ。

昨年はイマイチだったマンゴーだが、今年はいつもより早くから市場やストアに出始め、3~4か月が経った今も沢山のマンゴーが市場で売られている。
私たちも毎週まとめて買って来てはテーブルに並べ、食べ頃のものから毎日楽しんでいる。
今年のマンゴーは例年になく大粒の物が多く、味もまた格別に美味しい。

そんなマンゴーの木をよく見ると、今頃花を付けているのもがあったり、小さな実を付けている物もあり、今年はまだまだしばらくは楽しめそうだ。

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チュークには、まともな日本食の食材は殆ど無い。
特に日本独特の調味料においてはなおさらである。

日本から隔絶した島に長く住んでいると、まともな和食や日本の食べ物が無性に欲しくなる時がある。
かと言ってそのようなレストランも無ければ食材も無い。

そんな時、現地の食材を使って、和食もどきを造る。

写真のお寿司は、アジを〆たものだ。
いつもはマグロのお寿司を造って食べるが、たまには光りものも欲しくなる。
ここでは日本のようなサバは無く、〆サバも売っていない。
そこで、市場から新鮮なアジを買ってきて、2日がかりで〆アジを造る。

ひと口、ふた口・・・、日本の味だ。

1カ月に一度は、茶碗蒸しを造る。
カマボコも無い、ギンナンも無い。
現地の食材を使い、青物にはプランターで栽培したカイワレを散らす。

お茶碗を前に口に運ぶ時・・・、日本の心を感じる。

ここで一献、“き~ざくら!”といきたいところだが・・・、いつも寂しい缶ビール!

されど、命の水!!

日本食に勝る肴はない!!!

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食べ物の中には、お互いの美味しさを引き出してくれる相性の合ったものががある。

その代表的な物が、アボガドとマグロのお刺身かもしれない。
刺身好きの家内は、早くからこの組み合わせに気付いていたようだ。
その家内の勧めもあって、私も口にしてみた。

もともと私も刺身は好きで、しかも、アボガドも大好物ときている。
でも“果物と刺身”と云う組み合わせにイマイチ乗り気がせず、いつも食後のデザートで済ませていた。

おそろおそるひと口食べてみた・・・
『・・・うーン! これはいける (^_-)-☆』

これまでに感じた事も無いアボガドの美味しさとマグロの刺身の美味しさがどんどんと口の中に広がって行く。

う~ん、これは・・・! 1+1は10だ!!
瞬時にそんなフレーズが頭をよぎる。

これまでは、“餃子+ビール”が、私の美味しさ係数の最大の物だったが、この“アボガド+マグロの刺身”
ははるかにその数値を超える物だった。

そのアボガドももうそろそろシーズンを終える。
来年までこの組み合わせが食べれないかと想うと、チョット寂しい・・・。

私はビール党なので、今夜もビールだったが、この味はきっと、ワインや日本酒にも合いそうだ。

皆さん、肉厚のアボガドが手に入ったら是非お試しあれ!!

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今、島にはマンゴーが溢れている。
一陣の風が吹けば、鈴なりになったマンゴーの枝から食べごろの熟れたマンゴーがパラパラと落ちてくる。
そんなマンゴーを目当てに、子供たちが森の中に分け入っては、袋いっぱいのマンゴーをぶら下げている姿をあちこちで見受ける。

GWツアーの最終日、子供4人を含む日本からの家族連れを島内観光にご案内した。
マンゴーの小高い丘を歩き始めた時、マンゴーの森の中から現地の子供たちが歓声を上げて駆け寄ってきた。
日本の子供たちを目ざとく見つけ、『マンゴー! マンゴー!』『マンゴー食べないか!!』と、次々に採りたてのマンゴーを差し出してくる。

たちまち日本とチュークの子供たちのマンゴー交流が始まった。
新鮮なマンゴーの味に感嘆の声をあげる日本の子供たち。
代わりに何もあげる物が無くてしきりに残念がっている。
それでもチュークの子供たちは、採ってきたばかりのマンゴーを惜しげもなく次々と
日本の子供たちに差し出している。

日本の子供たちが驚いたのは、マンゴーの美味しさだけではない。
島の子供たちの底抜けに明るいやさしさに感激した瞬間でもあった。

マンゴーの森の交流は、子供たちの胸の中にいつまでも咲き続けていくに違いない。

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