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先週の金曜日と土曜日、チューク諸島の運動会が行われた。
島対抗の大運動会だ。
参加チームは9チーム。
そのうちの1チームはなんとグアム島からで、グアムに住むチューク人合同のチームだ。

チュークの運動会の発祥は、100年前の日本時代。
30年間の統治時代、現地人・日本人の区別なく毎年様々な運動会が盛大に行われてきた。
その影響もあり、種目や用語には日本名が次々と飛び出してくる。
イッシュウ(1周)、ハッシュウ(8周)、コンゴウ(混合リレー)、レンゴウ(連合リレー)、ウンパン(運搬リレー)、
カンジ(進行係)、ガンバレ、オウエン、レンシュウ、・・・等々。

その様子は、場内アナウンスと共に全島に実況中継される。
全島が運動会気分で盛り上がる。
2日目の土曜日はあいにくの雨模様で、グランドはぬかるみでドロドロの状態だが、それでも中止されることはない。
雨天決行だ。
グランドを一周するリレーでは、足を滑らし転倒する選手が続出する。
その度に場内は悲鳴と歓声が渦巻く。
応援のオバサンたちが狂ったように踊り出す。
規律正しい日本の運動会と違い、楽しさを最優先に行われるチュークの運動会は、年に一度の島人達のお祭りだ。

今年の優勝チームは夏島(トロアス島)。
日本時代の30年間、チュークの中心地として栄えた島だ。
ことしもまた、抜群のチームワークを見せてくれた。

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戦前の日本の運動会の姿を今に伝えるチュークの運動会は、島を上げてのお祭りで、島人達の最も楽しいイベントの1つである。
大会当日の朝には、港からグランドまでの1キロの道のりを団歌や応援歌を歌いながら行進する。
沿道の人たちや行き交う車の中からも声援が上がる。
各チームがグランドに結集した頃には、すでに観客もいっぱいで、いやが上にもボルテージは上がる。

大会は雨天決行だ。悪天候ほど彼らは興奮する。
誰が勝つか負けるか予想のつかない展開は、好戦的な彼らのもっとも好むところだ。
『ウンドウカイ』をかくも熱狂的な闘争の場とする根源は、彼ら自身の民族の血から来るものである。
 平和な社会になった今、彼らの闘争民族の血をぶつけるものはスポーツを置いて他に無い。

かつての闘争のはけ口を失った彼らが日本時代に遭遇した運動会は、恰好の戦いの姿だったのかもしれない。
パプアニューギニアに今も残るシングシングの祭り。彼らもまた、闘争民族の血を発散させるために、この戦闘のダンスを今に伝えている。

彼らの闘争本能を存分に受け入れ、発散させる『ウンドウカイ』は、彼らの血を受け継ぐ恰好のお祭りだとも言えよう。

ガンバレ! チュークの戦士達!

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チューク地方の運動会の起源は、遠く日本時代にさかのぼる。
第一次世界大戦後の1914年(大正3年)末期、グアムを除く全ミクロネシアは、日本統治となり、南洋防備隊司令部がトラック諸島・夏島に置かれた。
直後には各種運動施設を含む総合グランドが夏島の中心地に造営された。
以後、太平洋戦争の終わるまでの30年間に亘って、軍隊、民間、現地人の区別なく盛んに運動会が催された。

そう、現在チューク地方で行われている運動会は、その殆どが日本時代の運動会のスタイルを補習したものなのである。
島の村々は全て、1組(イチクミ)から5組(ゴクミ)まで分けられ、組み対抗(村対抗)で行われる。
ユニフォームや団旗には、ICHIKUMI、NIKUMI、SANNKUMI ~~とあり、
スタートの合図がヨーイドンで、ゴールはイットウ、ニトウ、サントウである。
応援はオウエン、頑張れはガンバレ、体操はタイソウ、駆け足はカケアシ、と今でもそのまま日本語が使われている。
種目に至っては、レンゴウ(連合リレー・小さい子供から大人までのリレー)
コンゴー(混合リレー・男女混合のリレー)
ムカデ(ムカデ競争)、ウンパン(荷物を運ぶ競争)、サンダン(三段跳び)
ハバトビ(幅跳び)、ホウガン(砲丸投げ)、キバセン(騎馬戦)などなど、当時の懐かしい競技がそのままの呼び名で行われている。

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今は、ソチオリンピックたけなわ。
世界のウインタースポーツの祭典が行われる直前の先週末、ここ南の島は、正に熱い闘いが行われていた。
ミクロネシアはチューク諸島の運動会だ。

今年は3年に一度のミクロネシア・オリンピックの年。
ミクロネシア連邦の首都・ポナペで、7月19日~29日までの10日間に亘って熱い戦いが繰り広げられる。
グアム、サイパン(北マリアナ連邦)、パラオ、マーシャル、ナウル、キリバス、そして、ご当地、ミクロネシア連邦と、全ミクロネシアの国と地方が参加する、3年に一度の南の島のスポーツの祭典だ。

今回は、ミクロネシア連邦で開催されることから、
連邦内の各州(ポナペ州、ヤップ州、コスラエ州、チューク州)からも、独自の選手団(チーム)が送られる。

先週末に行われたのは、その選手選考会を兼ねたチューク予選だったわけだ。
オリンピックに出れるとあって、男女ともに熱の入った競技が繰り広げられた。

今日から3日間に亘って南の島の運動会の様子をお届けしよう。

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昨日のユニフォームの記事にちなんで、今日は、チュークの『ウンドウカイ』の素晴らしさをお届けいたします。
過去に書いたエッセイです。
古き良き時代の日本の運動会をなつかしみください!

以下、そのエッセイです。

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ヨーイドン! スタートラインについた選手たちが日本語の号令の下に一斉に飛び出す。
場内アナウンスでは、コンゴウリレー(混合リレー)、レンゴウリレー(連合リレー)、などと言った日本語種目の案内が流れている。ここは、ミクロネシアのチューク(トラック)諸島。グランドでは昔ながらの日本の運動会そのままに、現地の人達によってスポーツゲームが行なわれている。10月中旬、モエン本島で行なわれた全島大会の一コマである。

 ゴールに駆け込む選手達は、競技の係員によって、イットウ(1等)、ニトウ(2等)、サントウ(3等)と呼ばれ小旗をもたされて表彰台に足を運んでいる。そこでセンシュ(選手)が手にするものは、ショウヒン(賞品)だったり、ショウキン(賞金)だったりする。 そして彼らはこのスポーツの祭典を、『ウンドウカイ』と呼んでいる。そこには日本人の姿はまったく見えないし、ましてや日本人主催による催しでもない。しかし目に映る光景は日本の運動会そのものである。
これは、いったい何処から来たものなのか・・・? 
それは遠く、日本統治時代にまでさかのぼる。

日本時代の中心だったデュブロン島(夏島)には、大正天皇の即位を記念して、大きな運動公園が造営された。島には街が開け、学校や役所、数多くの商店や会社などがあり、海軍の基地も設けられ、民間人に交じって沢山の兵隊や軍艦が島に溢れていたのである。それらの団体や部隊、軍艦などでは、士気を高めたり、交流を図るため盛んにスポーツが奨励された。運動会もその一環で、そしてそれはチュークの人達の間でも例外ではなかった。学校や村々など、島を挙げての大運動会が毎年、日本人の指導の下に行なわれていたのである。

当時、各島々は5つの地区に分けられ、イチクミ(1組)、ニクミ(2組)、サンクミ(3組)・・・・・、と呼ばれていた。この組み分けは今もそのまま残っており、島を挙げての催し事や、地区分けの基礎となっている。そして戦後60年経った今も尚、島々の運動会は、この区域によってチームが編成されるのである。チームの応援旗には、大きく、『ICHIKUMI』 『NIKUMI』 と染め抜いてあり、ハチマキ(チューク語)にも同じく、『ICHIKUMI』 『NIKUMI』 と書かれている。
 センシュ カケアシ レンシュウ ガンバレ オーエン など、運動会関連の言葉も数多く残っており、グランドでよく耳にする言葉である。 オーエンもとても賑やかで、興に乗って来ると、グランドのそこかしこで激しいオーエン合戦が始まる。
『ガーンバレ~♪♪、ガンバーレ~♪♪、・・・・・ ♪♪』と言った応援歌が、あちこちのチームから聞こえてくる。小錦バリに太ったオバサンが選手団の前に出て、狂ったように踊りだす。
それを合図に、あちこちのチームの前に、負けじとまたオバサンや若者が即興の歌や踊りでグランドを盛り上げる。そうなるともう、競技はそっちのけでグランド内は歓声で騒然となる。
グランドのまわりには、沢山の出店が並び、学校や官庁は殆どが休みとなり、島中のポリスが総動員され、交通整理や警備に当たっている。子供から大人まで、老若男女、正に島を挙げて運動会を楽しむ事となる

丁度、この運動会が行なわれていた10月のある日、日本から外務省を通じてとある団体が到着した。この団体は州知事の表敬訪問をはじめ、現地政府との懇談をするべく、日本大使館を通じて州政府にアポイントメントを取っていた。ところが、この団体一行が空港に到着する直前、現地側より『本日の州政府訪問は見合わせて欲しい』との連絡が入ってきた。
理由がふるっている。
『州知事はじめ、政府の要人は全てウンドウカイに出席しているため、お会いできない』と言うものであった。『ウンドウカイ』は、政府間レベルの用件を反故(ほご)に出来るほど彼らにとっては重要なものなのである。

各島々では、何ヶ月も前から選手を選考し、選手に選ばれた戦士達は、仕事も家事もほったらかしで、ひたすらレンシュウに励む。島々にはろくなグランドも無いので、ちょっとした広場や道路などがそのレンシュウの場となる。月夜の夜ともなれば夜遅くまで道路でレンシュウに励む女や男達を見かける。期日まで数週間ともなると、各チームは合宿に突入する。島の人達は選手のために、合宿の場所や、食べ物、飲み物などを、競って提供する。『ウンドウカイ』は島を挙げてのお祭りで、一大イベントなのだ。そしてこの模様は島のラジオ局を通してトラック諸島全域に実況中継される。

大会当日の早朝、各島々から集まってきた選手団は、港に集結し、それぞれのチームが州旗や団旗をひるがえし、グランドまでの約1マイルの道のりを、大声を張り上げ応援歌を歌いながら ゆっくりと行進してゆく。彼ら選手団の熱気は行き交う人達を巻き込みその興奮は次第に島中に広がってゆく。

 種目は、日本時代の伝統的な種目や、短・中・長距離、各種リレーなどの陸上競技種目がメーンで、一般男子による『椰子の実割り競争』や、女性による、椰子の葉っぱを使った『バスケット編み競争』などローカル色豊かな種目もいくつか用意されている。中でも彼らの最も興味をそそる種目はリレー競技だ。小さい子供達から、女、男、まで、ありとあらゆるリレーが次から次へと展開されてゆく。
そして、雨や嵐もなんのその、彼らのウンドウカイは必ず『雨天決行』である。彼らはむしろ、悪天候や予期せぬアクシデントなどから来る予想外なレース展開を最も好む。グランドは雨でドロドロ、それでもリレーは決行される。先頭を走っている選手が足を滑らせて転倒する。強者の足を引っ張る。だれが勝つか負けるか、全く予想もつかない。そうなるともうグランド内はヤンヤの喝采である。ルールを最重要視し、比較的紳士的に遂行される学校のウンドウカイとは赴きを異にするこの破天荒な争いの『ウンドウカイ』こそが、彼らの本領発揮の場なのである。

地理上の発見と言われた大航海時代、チュークの環礁内に入った外国船は度々現地人の襲撃を受けてきた。その悪名は、ヨーロッパの航海者達の間では長く言い伝えられており、その後長い間、ヨーロッパ人の上陸や入港を阻んできた。明治の半ば、一人の日本人が貿易会社の社員としてモエン島に上陸する。彼は現地人社会に溶け込むべく、鉄砲と日本刀で武装し先陣を切って部族間闘争の輪の中に飛び込んでいった。今からほんの100年ちょっと前まで、彼らは日本の戦国時代同様、部族間で戦争を繰り広げていた人達だったのである。

 平和な社会になった今、彼らの闘争民族の血をぶつけるものはスポーツを置いて他、何も無い。闘争のはけ口を失った彼らが日本時代に遭遇した運動会は恰好の彼らの戦いの姿だったのかもしれない。パプアニューギニアに今も残るシングシングの祭り。彼らもまた、闘争民族の血を発散させるために、この戦闘のダンスを今に伝えている。

『ウンドウカイ』をかくも熱狂的な闘争の場とする彼らの戦いの根源は、彼ら自身の民族の血から来るものであろう。彼らの闘争本能を存分に受け入れ、発散させる『ウンドウカイ』は、島社会を平和に保つための潤滑油ともなっている。文明人達によって両の腕をもがれた彼らにとって、『ウンドウカイ』はむしろ彼らの血を受け継ぐ恰好のお祭りだとも言えよう。

闘争民族の血を受け継ぐ祭り・ウンドウカイ
ガンバレ! チュークの戦士達!

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胸に大きく、NIKUMI の文字。

日本語で“2組”の事である。
かつての日本時代、チュークの島々はそれぞれ1組~4組(大きな島は5組)まで村々を分けて呼んでいた。
島を挙げての運動会やイベント、自治体の催事などにはすべてこの区分けが用いられた。
当時、島を挙げての運動会はその最たる行事で、今も『ウンドウカイ』と共にその呼び名が残っている。島の中を4組~5組に分けて、組毎に得点を競うわけだ。

写真の少女はフェファン島(秋島)の女の子で、丁度、秋島の運動会が終わったばかり。
なかなかしゃれたデザインだったので、ちょっと写真をお願いした。

シャツの下の方の文字、ESEPOCHOK。
POCHOKは“強い”ってことで、ESEPOCHOKは“強くない”って事。
さしずめ、『私たちの組は弱小軍団です!』てなところである。
その実、NIKUMIはちょっとした強豪チームなのだ。

なかなかのユーモアではないか!!

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毎年恒例のチューク州高校対抗の運動会が、今年も3日間に亘り賑やかに行なわれた。
水曜日にはマラソン、炎天下を避けて涼しい早朝の風の中を熱戦が繰り広げられた。
木曜日の午後からはフィールド競技や陸上競技の予選、南国ならではのヤシの葉っぱのバスケット編みやヤシの実割りなども行なわれ、序々にその興奮度も増してくる。
そして迎えたメーンイベントの最終日、高校生達のほとばしるエネルギーがグランドいっぱいに弾ける。選手や応援団にも熱が入る。序盤は調子の出なかったザビエル高校だったが、終盤には驚異的な追い上げを見せ見事に優勝。僅少差に無念の涙を飲んだ昨年の雪辱を果たした。成績発表の瞬間、校長に一斉に水を浴びせて踊り狂う生徒達の顔は底抜けに明るかった。

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晴天に恵まれた昨日と今日、恒例のチューク州高校対抗運動会・高校総体が行なわれた。
チューク州にある大小9校の高校が参加しての賑やかなそして楽しい2日間であった。
灼熱の南国の太陽の下、熱さにも負けずエネルギッシュなレースが次々と展開されて行く。
日本ならさしずめ真夏の炎天下での陸上競技大会と言ったところだ。
そんな過酷な条件の中で、選手によっては5種目にも、あるいは10種目以上にもエントリーしているが、疲れている様子は微塵も無い。彼らの底無しのパワーに圧倒される。
強いチームも弱いチームもそれぞれが一生懸命に応援して、祭りを心底楽しんでいる。
運動会は、話題の少ない南の島での最大のお祭りである。

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