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RQにお応えして、夏島(トラック島)の在りし日の航空写真です。

昨日ご紹介した通り、トラックの夏島(デュブロン島)には、日本海軍の司令部がおかれ、島全体が軍事都市として機能していました。
街には商店やレストランが軒を連ね、島の中は網の目のように道路網が発達していました。
街の中心部には、タクシー会社、バス会社、酒屋、映画館、呉服屋、お菓子屋、写真屋、など専門店や、判子屋、新聞店、本屋などもありました。

ある現地老人が私に話した言葉があります。
『日本の時は、雨が降っても平気だったよ。お店がずーっと並んでいたからね。』

そんな街の様子も今は見る影もなく、ジャングルの中にひっそりと眠っています。

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太平洋戦争当時、トラック島には、日本の連合艦隊司令部が置かれていた。

昭和16年12月、ハワイ真珠湾攻撃を皮切りに、対・アメリカとの太平洋戦争が始まった。
そして、翌17年8月には、広島にあった連合艦隊司令部を、ここトラック島・夏島に移したのである。
周囲200キロのトラック環礁には、軍艦・輸送船団等、100隻以上が結集し、司令長官の山本五十六は、戦艦大和と共に夏島に常駐した。

五十六が滞在していた連合艦隊司令部の建物跡が今も夏島の小高い丘の上に、ジャングルに埋もれて静かに眠っている。

建物の横には優雅な日本式庭園も施され、夏島の街並みとトラック軍港が一望に見渡せた。

昨日、久しぶりにその場所を訪ねた。

大きな石門から建物へと続く2つの螺旋階段は、ジャングルに埋もれて歩くことができない。
建物跡にも木々が生い茂り、かつての眺望はジャングルにさえぎられ見ることもできなかった。
そんな中、五十六が時を忘れて浸かったであろうお風呂のタイルが、今も当時のまま、色鮮やかに輝いていた。

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