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歌人の金子 兜太さんが亡くなられた。享年・98歳。
金子さんは太平洋戦争時代、トラック島の海軍施設部隊に所属、2年間をトラック島で過ごした。
戦後、トラック島を訪れることはなかったが、自らの戦争体験を事あるごとによく話しておられた。
金子さんが勤務しておられた第四艦隊施設部本部の大きな建物跡が今もトラック島の夏島に残っている。

トラック島からご冥福をお祈りいたします。

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新年明けましておめでとうございます。

これまで、たくさんの方々に支えて頂き、ここまで続けてくることが出来ました。
皆様のおかげで、本ブログも10年目を迎える事となりました。

最近は更新も途絶えがちで、ご期待に添う事が出来ませんでしたが、10年目にふさわしいブログとして
気持ちもまた新たに、南の島の情報をお届けしてまいります。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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息子のヒロミ・21歳が日本の運転免許証を取得することになった。
ヒロミは日本国籍を有する正真正銘の日本人だが、21歳の現在までずーと海外生活だったため日本の免許証は持っていない。
ミクロネシア連邦チューク州の免許証を基に、日本の免許証を頂こうという訳だ。
日本に住んでる外国人達が日本の免許証を取得する比較的簡単な方法である。
かく言う私も、妻のカオルも、次男のユウも、この手でチャッカリ頂いた。

まずは、妻・カオルの実家がある三重県運転免許センターに行って、試験の申請を出した。
ところが、このセンターにチューク州の免許証サンプルが無いという事で、申請が却下された。
同じミクロネシア連邦の、ポナペ州、ヤップ州、コスラエ州のサンプルはあるという。
チューク州もあるにはあるのだが、デザインが変更になって従来のものしか置いてなく、照会出来ないと言う。
すったもんだの末、現地・チュークから免許証を証明する書類を作ってもらって提出しなさいと言う事になった。

さて、ここからは我々両親の出番である。
早速朝から出かけて、警察署の窓口に行き、事の詳細を説明する。
渋る担当のオッチャンをなだめすかしてなんとか書類を作ってもらうことに成功。
警察署長のサインももらった。
さあ、これでよし!!
勇んで出ようとしたら、几帳面な妻が、早速書類ミスに気が付いた。
最初からやり直しである。
でもまあ、自分のミスだと分かっているので、オッチャンも笑いながら作り直してくれる。
もう一度、所長のサインを貰って、スタンプを押し、ハイ出来上がり・・・。

ところがカオルちゃんは、簡単には引き下がらない、
他にミスはないか、暗いカウンターの中で目を凝らしながら小さな文字を追っている。
『あった!』またしてもオッチャンのミス。
身長の数値が違う。
さすがのオッチャンも今度は気分も悪く素直では無い。
『月曜日に来てくれ!』と渋っている。

ところが・・・、今日は金曜日、今日のチャンスを逃すと、いつ出来るかわかったものでは無い。
というのは、いつもは留守がちな警察署長が今日は2階のオフィスにデンと構えている。
月曜日に出勤して来るとは限らないし、長期出張に出てしまうかも知れない。
そしてこう言う事はここでは日常茶飯事なのを、我々は良~く知ってるし、これまでも随分えらい目に会ってきたのだ。

スッタモンダの末、なんとか今日のうちに作ってもらうことになった。
またまた作り直してプリンターから出てきた書類を持って、所長のもとにサインを貰いに行く。
重厚な警察署のスタンプを手にとってオッチャンが押すのを固唾を呑んで見ている私たち。
〈よし、よし・・・〉と心の中で呟く私達。
よっしゃぁ~~!! 出来たぁ~~!!
オッチャンがこれみよがしにカウンターの中から書類を手渡す。

『もう間違いはないか?』
オッチャンがデスクの上でパソコンをのぞきながら我々に話しかける。
暗いカウンターの上で、カオルが必死になって文字を追う。
『いいみたい・・・』カオルが呟く。
暗くてよく見えないし、いくら何でももう大丈夫だろう、と言う気持ちが2人の心を支配する。
『OK! いいよ!』
オッチャンに礼を言って外に出た。

『良かったね、良かったね!』と帰りの車の中で、今日の奮闘ぶりをお互いが称え合う。
日本に居るヒロミとスカイプで話しながら、書類を見ていたカオルの表情が一瞬曇る。
そして落胆の表情・・・。
ヒロミと話しながら、私に向かって例の書類を盛んに叩いている。
『えッ!!』まさか・・・!
あった! まだミスがあったのだ。

暗いカウンターと、オッチャンにすまないと言う気持ちと、まさかもう無いだろうと言う安易な行動がまたしてもミスを重ねてしまったのだ。
しかも2箇所、、、国籍と出生地がチュークになっていると言う決定的なミステーク!!
自分の愚かさをつくづく痛感する。

月曜日に持っていくオッチャンへの手土産を何にしようかと考えている。

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六本木アークヒルズの裏手に、ミクロネシア大使館がある。
大使を含め、総勢6名の小さな大使館だ。
長くチュークに居たのに、私はまだ一度も訪ねていなかった。
我が息子も職員としてお世話になっていることもあり、この度の帰国を機に妻と2人、
やっと表敬訪問をする機会を得た。

大使のジョン・フリッツ氏と我が息子はチューク出身。
アンドリュー・レンスター公使はコスラエ出身。
古株の草薙女史は、連絡事務所時代からの大使館の生き字引だ。
そして男性職員の岡本さんと若手女史の松井さん。

皆さんを囲んでの楽しい昼食会が始まった。
ヤップ、コスラエ、チューク、ポンペイの各州の話、、そして日本での話題に花が咲き、時間の経つのも忘れる。
お陰様でとても有意義な時間を過ごさせて頂いた。

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ブログでご紹介してまいりました、「ポンナップ島」とチュークの島々がNHK・BSプレミアムで放映されます。
タイトルは、「太平洋の楽園を行く 鶴田真由ミクロネシア魅惑の島めぐり」

放送日時は、12月21日((土))19時15分~20時45分(1時間半の放映)

驚きと感動の連続・ポンナップ島・・・
無人島と沈船、力強く生きる日系人達・・・

チューク島の魅力をたっぷりとご覧下さい。

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8月の末、NHKのよるポンナップ島のTVロケが行われた。
ポンナップ島に伝わる伝統的な航海術を取材するためだ。

ポンナップ島には、伝統的な外洋航海帆走カヌーが10隻ほど現存している。
これらのカヌーは島人達の重要な移動手段として、あるいは漁などにと、今も変わらず使用されている。

島のあちこちに、カヌー小屋と呼ばれる椰子の葉葺きの大きな小屋がある。
通常は海に浮かべているカヌーも、使用しない時や手入れを要する時には
このカヌー小屋に収納される。

羅針盤や磁石を使用せず、古来から伝わる伝統的な航海術が今も受け継がれており、
ポンナップにはこのような航海術を伝承する『ポ』と呼ばれる儀式がある。

この航海術を会得した者には『ポ』の称号が与えられ、その儀式もまた『ポ』と呼ばれている。
半年前から準備をし、島中全ての人達が参加して4日間に亘って行われるとても神聖な、盛大なお祭りだ。

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チューク本島から遠く離れたポンナップ島。
たまにやってくるチャーター船以外には、チューク本島とを結ぶ連絡手段は無い。
島の人達の生活は、今もほとんどが自給自足だ。
パンの実やタロイモ、バナナなどの食べ物はもちろん、様々な生活道具やカヌーなども自らの手で作り出す。
何もかもが自給自足の世界だ。

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タロイモやパンの実、バナナなどを主食とする島人達の最も大切な副食は魚介類である。
小さな島ながら四方を海に囲まれたポンナップには豊富な海の幸がある。
通常は各家庭で思い思いに漁をして日々の糧としている。

チューク環礁から遠く離れたここポンナップ島ではガソリンはとても貴重で高価なものだ。
日常の沿岸での漁には、ほとんどがカヌーを使用するケースが多い。
したがって、エンジン付きのモーターボートを使用するのは島の催し事がある時や特殊な場合に限られる。

ところが、島を挙げての行事や、平時でも村長の命令一下、大掛かりな漁を行う事が良くある。
このような時は島中の男たちが総出で、島中のカヌーとモーターボートが動員される。
そして水揚げされた魚は、全ての島人達に平等に振り分けられる。
島では、家族構成がきちんと把握されており、小さな子供も大人も分け隔てなく人数割で配分される。
大昔から生きてきた島人達の大事な習慣でありみんなが強く生きて行く為の知恵でもある。

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