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周囲200キロのトラック(チューク)環礁内には大小40隻以上の沈船があり世界中のダイバーの憧れの的となっている。
アメリカが設定する世界のダイビングスポットNOー1に選ばれたこともあり、世界のベスト10の常連でもある。
いずれも先の太平洋戦争で沈められた日本の艦船群だ。
大きなものは1万トン以上もあり、真っ逆さまになったり、横倒しになったり、まっすぐ正座していたりと様々だ。

この沈船達を潜る為に2年先の予約を受け付けるダイビングクルーズ船もあるほどだ。

そしてこれらの沈船はアメリカを初め、ヨーロッパや日本でも様々な形で紹介されてきた。
そのいずれもがダイバーを対象としたものである。

しかし、この沈船には今も数多くの日本の英霊たちが眠っており、悲惨な戦争の犠牲となった大きな証しでもある。
そんなトラックの沈船達に光を当てようと立ち上がった人がいる。
池田克彦、(株)アーク・ジオ・サポートを経営する社長さんだ。

彼は今年の1月、とある団体でトラック諸島を訪れ、ジャングルに眠る戦跡や今も海底深く眠る日本の艦船群を目の当たりにして深い感銘を受けた。
引き上げる事はままならぬこれら沈船たちを海底から呼び出し、日本の同胞たちに知らせたい。
すぐさま行動に移した。

彼は海底測量の会社を経営しており、沈船測量にはうってつけだ。
最新の3次元ソナーとコンピューターを駆使して、かつての連合艦隊の泊地であったトラック環礁の海底とそこに眠る沈船達を浮かび上がらせようというものだ。
貴重な時間と費用、自社の優秀なスタッフと機材を動員してその調査は始まった。
10日間に及ぶすべての費用は自社で負担した。

次々にモニターに現れる沈船の姿・・・。
周囲に散らばる残骸の影・・・。
68年前の大空襲で無残に沈められた姿が今そのままに浮かび上がってくる。

様々な制約の中で全船調査は叶わなかった今回、残された沈船たちとの約束を胸に再びトラックの海に戻ってくることを誓った。
そしてその胸中には、68年間海底に眠り続けている最後の沈船・駆潜艇29号を探し当て、英霊たちを日本に返したいと言う強い想いがある。

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トラック島には、かつて日本軍の一大基地があった。
その中心となった島は、夏島と呼ばれた。
面積はわずか9平方キロ、小笠原・父島の半分ほどの面積しかない。
その島の殆どに軍事基地が設けられ、島そのものが強固な要塞と化していた。
そして戦争以前、トラック島にはたくさんの日本人が移り住み、夏島は日本統治時代の中心都市の1つとして栄えていた。70年も80年も前、すでに夏島には多くの公官庁をはじめ、バス会社やタクシー会社、映画館や各種専門店、料亭・割烹、レストランなどが軒を連ねていた。

『雨が降っても全然平気だったよ!』
『お店がずっと並んでいたからね!』
当時を知る老人たちの言葉である。

そして、今日、そんな老人の1人に会った。
友人に依頼されていた、当時の街並みの復元図作成のためである。
終戦から65年、当時の街並みも基地の跡も今はジャングルの中に埋もれ、
当時を知る老人達はとんど居なくなってしまった。

そんな中で、現地人としては奇跡的に元気な老人がいる。
私の30年来の友人でもある彼は、84歳の今でも足腰もしっかりしていて、
何よりも(これが驚くべきことなのだが)頭も全くボケていない。
『ヌーカス、あんたはスケベーだからなあ~、だから元気なんだよ!』
彼と会うたびにそんな冗談を交わしている。

かれは、港のストアーに入り、日本食コナーで、缶入りのおしるこを買った。
店員の女がヌーカスに話している。
『ヌーカス、これなーに?』
『なんだ、おまえは店員のくせにこの飲み物を知らないのか?』
ヌーカスは得意げに昔の話を交えながら、『おしるこ』のなんたるかを、若い女店員に説明している。

彼は、かつての日本時代の中心だった夏島の出身である。
『私はね、春島に来るといつもこのおしるこ買うんですよ』
そしてこのおしるこの缶は、夏島に持って帰ってゆっくり味会うのだという。

1時間ほど当時の町の事を話し合い、彼を港まで送って行った。

・・・・元気でいろよ、ヌーカス!

あんたにはまだまだ聞きたいことが山ほどある。。。

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