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2年ほど前、初老の紳士がチュークを訪ねて来た事がある。民話を収集していると言う事で少しお手伝いをさせて頂いた。お話しを伺っていて、その生き方にとても感銘を受けた事を思い出す。そして今日、その方から1冊の本が送られてきた。『ミクロネシア千一夜譚』多賀敬二・文芸社発行だ。かつてのミクロネシアの島々には文字が無かった。人々は物語を言葉で伝え伝承していった。そんな昔々の夢物語が1冊の本になったのだ。ミクロネシアの楽しい夢物語がギッシリと詰まった1冊である。一読をお奨めする。

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旅には様々な旅の形がある。旅する人は、日常の現実世界から抜け出し、非日常の夢の世界を求めて旅をする。そんな旅人達の想いを充分に叶えてあげたい。そういう気持でお客様に接し、そう考えていつも仕事をしている。この1ヶ月間あまり、殆んど休む間もなく、実に様々なツアーのお客様をご案内してきた。フィッシングに始まって、新婚旅行、ダイビング、戦跡取材、無人島サバイバルツアー、視察旅行、家族旅行、そして最後は慰霊のツアーである。いずれもチュークならではの旅の形だ。

元来、チュークを訪れる観光客はそれ程多くはない。1年間に来る観光客の数は、グアム島を訪れる1日分の観光客の数にも満たない。しかし、その内容は実に多様である。

現在、チュークには2軒のダイビングショップと3隻のダイビングクルーズ船がある。一軒のダイビングショップを除き、殆んどがアメリカやヨーロッパからの沈船ダイバーである。その影響もあってか、チュークのダイビングは依然として従来のスタンスを保っている。
この間に何組かのダイバーをご案内した。このうちの一組は毎年やってくるダイビング仲間で、毎度の事、ダイビングのみならずチュークの海の自然をたっぷりと楽しんでいる。ダイビングでは、沈船、リーフ、ドロップオフ、パスのドリフト、ナイトダイブ等と、様々なダイビングを行い、ダイビングの休憩時間には、無人島ジャングル探検、バードウオッチング、自然蘭の採取、貝拾い、スノーケリングと、短い滞在を十二分に楽しんでいる。ダイビングのガイドだけでなく、このようなアレンジやガイドをしてあげるのもまた、私の仕事の一部であると思っている。

11月の上旬、面白いツアーが来た。無人島サバイバルツアーだ。海に不慣れなメンバーが海に遊び、自らの手で海の幸を求め、無人島での数日間を過ごそうというものだ。今回はそのテストケースで、彼らにとっては、何もかもが手探りの海の旅だった。大自然の海の美しさとスケールにドキモを抜かれ、そして海のやさしさと、海の豊かさに心を打たれた旅でもあった。初めて経験する南の島の釣り。用意してきた釣具が全く通用しない。面白いようにヒットするがいとも簡単にラインが“プツン”“プツン”と切られてゆく。無人島の海岸でカニと戯れ、夜ともなればジャングルでヤシガニ獲りを行う。広大な環礁を歩き、海に潜り、海の幸を求める。
自分で釣った魚を食べた。自分達で獲った貝を肴に酒宴を開く。必死で捕まえたカニで作ったカレーの味は別格だった。心に響く波の音と、椰子の葉のそよぎを耳にしながらグラスを交わす。あっという間の1週間だった。

久しぶりに『君が代』をしみじみと聞いた。慰霊団の合同慰霊祭において遺族の方々が亡き父に捧げる国歌だ。これもまた『旅』の一環である。太平洋戦争時代のチュークには海軍の大きな基地があり、その結果、数多くの戦争の犠牲者を出している。終戦から60年経った今も、これら遺族の方達が度々チュークを訪れる。生まれながらにして父を失い、写真の父に問いかけて母と共に生きてきた60年間の熱い想いをチュークの海に捧げる。彼等の墓はチュークの海にある。何とかして、この方達を父親の戦没地点にご案内してあげたい。そういう想いで、一人一人の話を聞き、部隊名や船名、戦没日時等からその地点を割り出しゆく。予期せず、父の眠る場所を探し当てた時の彼等の気持は如何ばかりかと思う。『再会した父』に語りかける彼等の言葉を聞く度に涙が溢れてくる。

こうして毎日、南の島の夢の案内人として走り回っている。
お客様の笑顔を見る度に、この仕事をやってて良かったとしみじみ思う。

海に遊び、海に祈る。 
・・・・・夢の世界へ。  pocosuenaga

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