カテゴリ: ツアー

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このところご無沙汰していたフィッシングツアー。
今回は、超多忙な仕事から抜け出し、チュークを訪れた大塚さん。
得意のフィッシングで命の洗濯だ。
チュークは初めてだったが、持ち前の技術と並外れたパワーで、いかんなく実力を発揮!
連日の爆釣で、怒涛のGT3連発を初め、大型のGTだけでも10匹以上もゲット。

キャスティングの合間に時折竿を下すジギングでも巨大イソマグロが次々にヒット。
そして例外なくシャークアタックに会い、サメとの格闘とあいなる。

4日間で、GT(ロウニンアジ)、イソマグロ、カスミアジ、各種のハタ、バラクーダー、バラフエダイ、フエフキ、アオチビキ等々、連日の五目釣りも達成。
そして極めつけは、1本のルアーに2匹の大型バラフエダイがヒットと言う、奇跡のフィッシング!

大塚さん、無風酷暑の中、お疲れさまでした。
たっぷりと楽しませて頂きました!!

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かつての太平洋戦争時、軍医としてトラック島(チューク)に赴任していた父親の縁で、毎年チュークに足を運ぶことになった広島の伊藤さん。その父上も他界し、最近はもっぱら趣味のフィッシングでの訪問となっている。
そして今年は、頼りがいのある相棒を引き連れて、満を持しての還暦フィッシング。
初日からロッドがしなる。赤い「ちゃんちゃんこ」ならぬ、真っ赤な「バラフエダイ」が還暦祝いとばかりにどんどん釣れる。
そして極め付きは、ヒラアジの雄・GT(ジャイアントトレバリー)とカスミアジ。
人生の節目に相応しいフィッシングで顔もほころぶ。
「じゃあ、また来年!」
足も軽やかにタラップを駆け上がる。

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 太平洋戦争時には連合艦隊の本拠地が置かれ、戦艦「大和」「武蔵」が碇泊したことでも知られるトラック諸
島(現・ミクロネシア連邦チューク州)。
この度、同地を訪ねる5 泊6 日のツアーが開催される。
案内するのは、元産経新聞記者で、『キスカ島奇跡の撤退 木村昌福中将の生涯』などの著作で知られる将口泰浩氏。
㈱JTBコーポレートセールスが参加者を募集する。
 将口氏には、戦前にトラック諸島に渡り、漫画「冒険ダン吉」のモデルにもなった森小弁に関する著作『「冒険ダン吉」になった男 森小弁』がある。
取材経験もあるトラック諸島のツアーについて、「連合艦隊泊地の施設や夏島小学校など、かつての日本の面影が色濃く残ります。『キンロウホウシ』『ココロ』などの日本語が通じる親日国で、日本とは何か、日本人とは何かを問いかける旅にしませんか」と話している。
普段はなかなか足を運ぶことができないトラック諸島を、この機会に訪ねてみてはいかがだろうか。

Point❶ 現地取材経験がある将口氏が、丁寧に解説!
Point❸ 世界有数の親日国ミクロネシアの美しい風景も見どころ
Point❷ 零戦基地や「武蔵」係留ブイ見学など、特別な内容!
訪問予定地…旧日本軍飛行場(現チューク国際空港)、旧日本軍水上基地跡、神社・仏閣など当時の町の跡、座礁船や沈没船。

募集要項
行程…2017 年9 月24 日(日)成田空港から出発。グアム経由でチュークへ

5 日目=チュークからグアムへ

6 日目=航空機直行便で成田へ
旅行代金…1 名様396,000 円(燃油サーチャージ・空港税含)。
備考…募集人員:25名様。最少催行人数は10名様 宿泊:チューク/ブル
ーラグーン グアム/プラザホテル 食事:朝食4回、昼食2回、夕食3回

旅行企画・実施:株式会社JTB コーポレートセールス
観光庁長官登録旅行業第1767 号 一般社団法人日本旅行業協会正会員 
〒100-6051 東京都千代田区霞が関3-2-5 霞が関ビルディング12 階
TEL:03-6737-9361 FAX:03-6737-9365

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1944年2月17日、トラック諸島(チューク)。
数多くの沈船が眠る中で、アメリカ軍の猛攻を受け全滅した悲劇の船団がある。
トラック島に残っていた民間人を運ぶ最後の引揚船とその護衛の船団である。
船団の旗艦は巡洋艦・香取(かとり)。
多くの遭難者を救助し、最後まで戦った巡洋艦・香取もまた太平洋の海の藻屑と消えた。

香取で戦死した叔父の慰霊のため1人の女性がトラック島を訪れた。
神奈川県在住の小川英子さん・67歳。
元・職業軍人の長女として生まれ、父からの教えを啓示として生きてきた。
戦死した叔父もまた弟として父の背中に憧れ軍人を目指し、一等機関士として巡洋艦・香取に乗り込んだ。
父は弟の戦死通告を受けたものの、南方洋上とあるだけでその戦没地は不明のままであった。

父の死後、神奈川県が沖縄で戦没者慰霊の事業を行っているのを知り、父と叔父の無念を晴らすべく毎年その慰霊事業に参加した。沖縄なら叔父の戦死した南方洋上が望めるだろうと言う気持ちからであった。
そんな矢先、厚労省で戦没者の確認ができることを知り、早速問い合わせると、叔父の詳細な戦歴と戦没地の記録が届いた。叔父は1944年2月17日トラック島で巡洋艦・香取の乗組員として戦死していた。

矢も楯も堪らずトラック島に旅立った。
香取が眠るトラック環礁の北水道。
洋上慰霊を行い、北水道にある北島(現地名・ピス島)に立ち寄る。
叔父はこの北島のすぐ傍に眠っているのだ。
元気なうちにもう一度、叔父に会いに来たいが、果たしてどうなることやら先の事は解らない。

純粋な島人達と触れ合い、かわいい赤ちゃんの姿を目にした英子の胸に、ある思いが沸々と湧き上がってきた。
この子に託そう!
小さな貝殻で作った首飾りと交換に、自分の首から金のネックレスを外し、赤ちゃんの首に掛けた。

どうか私の愛する叔父さんの事を、私に代わっていつまでも見守ってあげてね・・・。

香取が眠る北島の海、叔父が辿った死出の道を、ボートは現実の世界へと戻っていった。

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年も押し迫った去年の暮れ、初めてチュークを訪れた広島の伊藤さん。
伊藤さんにとって、ここチュークはいろんな縁で結ばれている。

70年前の太平洋戦争、医者である父は軍医としてトラック島(チューク)に駐屯していた。
それが縁で父は晩年、チュークのために医療ボランティアを組織し、10年以上に亘って医療奉仕活動を行ってきた。
そして今は、父も高齢になり活動にも終止符を打ち、父はチュークを訪れる事も叶わなくなってしまった。

父の奉仕活動の期間中、何とかチュークを訪ねたいと願ってはいたが、父の跡を継いだ医者としての立場から、なかなかそれも叶わず、時が流れていった。
なんとか時間をつくりやって来たのが、去年の暮れの訪問だった。

70年前の戦争時代の父の足跡。
晩年になって医療奉仕活動を行ってきた父の足跡。
チュークに残した父のゆかりの地を訪ね、一緒に奉仕活動を行ってきたチュークの医療関係の人たちを訪ねた。
父の想いの詰まったチュークを訪ねながら、生来の遊び心が頭をもたげてきた。

残った1日を利用して、一緒に来た友人を誘って釣りに出た。
日本でやり始めていた、キャスティングとジギングに挑戦する。
道具を用意していなかったため、やむなく全てレンタルタックルで間に合わせた。
それでも日本では釣った事もない大きな魚が面白いようにヒットする。

今回・2度目のチューク訪問は鼻からフィッシングと決めていた。
今回の目標は、キャスティングでGT(ジャイアントトレバリー)を釣り上げる事と、
ジギングではイソマグロを釣り上げる事だ。
前回はこの2匹ともヒットはしたが、惜しくも逃げられていた。

今回も、大きなバラフエダイやオアチビキ、スジアラ、バラクーダー、など大型の高級魚が次々とヒットする。
そして最終日、ついにターゲットのGTがヒットした。
連日の疲れもなんのその、懇親の力を振り絞ってGTと格闘すること15分あまり・・・。
ついに銀色に輝く巨体にギャフが打ち込まれた。

そしてもう一つのターゲットであるイソマグロは今回もまた取り逃がしてしまった。

嗚呼、またチュークが我を呼んでいる!!

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70数年前の太平洋戦争。

開戦の翌年には連合艦隊司令部の前線基地となったチューク環礁(トラック島)には、戦艦大和・武蔵をはじめとする、100隻に近い日本海軍の連合艦隊と輸送船団が集結した。
そして、昭和19年2月17日、トラック島はアメリカ軍による未曾有の大空襲を受ける。
環礁内に残された輸送船団、護衛の艦船など、80隻あまりが今もトラック環礁の内外に沈んでいる。

そんな沈船の一つに、『文月』(ふみづき)と言う駆逐艦がある。
沈船の多くが輸送船と言う中で、わずか2隻しかない戦闘艦の中の1隻だ。
トラック環礁の中央部、40m程の海底に船体をねじるように沈んでいる。

その『文月』の船上で慰霊祭を行いたいと言うご家族がいらっしゃった。
父が『文月』の軍医であったという長谷川さんご一家だ。

父・長谷川豊男は、初陣から文月の軍医長として乗船した。
ラバウル、ソロモン、ブーゲンビル、ガダルカナルなど、幾多の戦闘に参加し
数多くの戦友たちを死の淵から救い出し、またなすすべも無く見送った。
激闘の最中、今にも沈まんとする薄暗い艦内で丸一昼夜、不眠不休で一滴の水も口にせず次々と運ばれてくる重傷兵の治療に当たった。
受けるも地獄、治療を施すのも地獄の永遠の時間が流れる中、純白の軍医装は血と油でドロドロになっていた。
艦が窮地を脱した時、『軍医長、ご苦労様でした。神様のように見えます。』
上官の一言が心にしみた。

『文月』は激闘の傷を癒す為、トラック環礁に入港した。
修理の為に主機関を停止したままの駆逐艦にアメリカ軍の集中攻撃が始まった。
断腸の思いで、戦死者を機関室に残し、重傷兵達を伴い命からがら艦を脱出した。
その後幸運にも恵まれ、奇跡的に日本に帰還した。

『2月17日は、もう一つの俺の誕生日だ。』
父は娘たちにいつもそう言い聞かせていた。
多くの戦友たちの命も助けたが、それにも増して、多くの命をなすすべも無く無念の思いで見送ってきた。
戦争を通じて医師としての責任感と義務感が後の長谷川豊男の人生を支えた。
晩年まで大病院の院長として医術の道に一生を捧げ、今また戦友の下に旅立って行った。

飲んべえの父娘は、生前よく酒を飲み交わした。
『お前なら俺を太平洋に・・・。』
父の遺言とも取れる言葉が脳裏をかすめた。
長女・千代はトラック島の慰霊を思い立った。
父の遺骨を『文月』に納めてあげよう・・・。

生前、父と親交のあった静岡のダイビングショップ・石塚さんにツアーの手配と現地での慰霊祭をお願いした。
彼は、由緒ある神社の神主でもあり、ベテランダイバーで、これまでも幾度と無くトラック島を訪れていた。
今回の慰霊行には最適の人物だった。
そんな石塚さんに現地のガイド・末永を紹介された。
なんと末永は『文月』の発見者であり、かつて父が慰霊でトラック島を訪ねた時のガイドでもあった。

彼らの手で、父・長谷川豊男の遺骨は、『文月』の艦内奥深くに帰って行った。

『本当にこのタイミングですべてが完結したかのようです。』

父の無念の想いと第二の誕生日となった『駆逐艦・文月』への想い。

長女・長谷川千代さんから届いたお礼の言葉に父への愛情が溢れていた。

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海の遊び人を自称している御仁、通称・シャコ!

南の島のシャコガイから取ったその名に偽りは無い。
れっきとしたダイバーだが、いつものありきたりのツアーに物足りなさを感じて、最近は無人島サバイバルキャンプにハマっている。

生き馬の目を抜く東京での仕事から解放されて、思いっきり海の自然を堪能する。
本物の南の島の自然を体験すべく、今年もまた新年早々、友人2人を引き連れてミクロネシア・チューク諸島へ乗り込んで来た。

初日のダイビングもそこそこに、早速、2泊3日の無人島サバイバルキャンプに突入する。
食料は全て海からの御用達。 
オ・テ・ノ・モ・ノ・だ!

早速明るいうちに海に入り、シャコガイや様々な貝をゲット!
大きなタコのおまけまで付いて来た!
新鮮な海の幸で宴も盛り上がる。

無人島の夜は長く、そして楽しい。
呑んでいるだけではもったいない。

宴たけなわの頃、今度は潮の引くのを狙って、真夜中のアウトリーフに繰り出す。
夜の浅瀬に潜む獲物が狙いだ。
ライトの明かりを頼りに真っ暗な環礁の上を歩きながら、魚を次々とゲットする。
なんと手掴みだ。

現世とはあまりにもかけ離れた異次元の3日間・・・。
天国のような無人島で、虚空の時間が流れて行く・・・。

彼らとってここは天国に一番近い島・・・、

と言うより、、、天国そのものだったかもしれない。

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フィリピン・レイテ沖に沈む戦艦武蔵が発見され、その戦艦武蔵・戦艦大和の両艦が並んで停泊していたトラック環礁・・・。
マニアの方達にとってこの海域は一度は訪れたい聖域でもある。

今年の夏、そんな大和・武蔵をトラック島の艦隊錨地に浮べるべくやって来た自称・艦コレの村上さんと渡辺さんお2人。
その夏の訪問時は台風の来襲に遭い、さすがの大和・武蔵も大荒れの艦隊錨地で轟沈。
http://blogs.yahoo.co.jp/pocosuenaga/63275293.html

そしてこの秋、再び戦艦大和・戦艦武蔵をトラック島艦隊錨地に浮べるべく満を持しての再訪となった。
春島水上基地跡をボートで出発。まずは日本時代の中心地だった夏島に向かう。
途中、夏島南方のトラック軍港外港に大和と武蔵を浮かべる。
そして春島をバックに連合艦隊錨地に浮かぶ巨大戦艦・大和と武蔵。

70年前の雄姿がよみがえる。

今回のトラック島訪問には、大和・武蔵の両艦を艦隊錨地に浮かべる事の他に、トラック島の戦跡を訪ねる中で最大の目的が、連合艦隊司令長官・山本五十六の官舎を訪ねる事。
国内における五十六ゆかりの地を走破した2人にとって、山本五十六は師とも神とも仰ぐ聖人。
長官官舎は是が非でも見ておかねばならない聖地である。

30年間の日本統治時代の中心地で海軍の一大基地があった夏島(デュブロン島)。
当時の港町から上陸して、岡の上に登っていくと最上部のジャングルの中にその館は眠っている。
木々に隠れた連合艦隊司令部の正門を見つた2人は、現地人の持っていた蛮刀を手に取り、ジャングルにうずもれていた正門から館に続く長い見事な階段を復元させた。
山の斜面に続くその階段の一部は日本庭園に向かう。
そしてその先に山本五十六が住んでいた長官官舎が姿を現した。
重厚な鉄筋コンクリート造りの建物。
裏手に廻るとジャングルの中にタイル張りの風呂場跡やキッチンの跡、さらにその奥には日本庭園の跡が垣間見える。
眼下には、当時の夏島の町並みとトラック軍港、竹島飛行場が一望に広がる。
五十六が毎日目にしていた光景だ。

艦隊錨地に浮かぶ戦艦大和と武蔵、連合艦隊司令長官・山本五十六の官舎、日本海軍の頂点を極めたこれらのものを目の当たりにして、両人の心はいやが上にも高ぶる。

日本海軍の雄姿をもっともっと極めたい・・・。
早くも2人の心の中には3たびトラック島訪問の想いが駆け巡る。

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