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先日、2ヶ月間に渡る漂流の生き地獄から生還した人達を出迎えるシーンに、偶然遭遇した。死の淵から生還した家族を迎える人達の表情は、今も強く私の脳裏に焼き付いている。

4月のとある日曜日の夜、お客様を迎える為に空港に行った。飛行機が到着して到着ゲートから少しずつお客さんが出始める。出口が出迎えの現地人でごったがえしているのはいつもと同じなのだが、今夜の様子はどうもおかしい。最前線に陣取っている離島のおばさん達が、なぜか興奮状態になっているのを感じる。そのうち、待ち人が出てきたかと思うと、そのおばさん達は、なにやら大声でわめきながら、到着ロビーに集まっていた人達に向って、いっせいにお菓子やキャンディーを撒き散らし始めた。続いて出てきた数人の帰省客を体もちぎれんばかりに思いっきり抱きしめ、振り回しては、再会出来た喜びを人目もはばからず大声で口走っている。
不審に思い、どうしたことかと近くにいた知人に尋ねた。なんと、フィリピンまで漂流した人達が今帰ってきたのだと言う。なるほど、さもありなん、と、一人頷いた。しかし、驚いた。
話を聞くと、なんとチューク環礁の沖合いからフィリピンまで3000キロ・58日間の漂流を男女各2名、4人全員が生き抜いたという。途端に私の血が騒いだ。何とも知れぬ興奮が私の体全体を襲ってくるのがわかる。その日はこの漂流者の事が片時も頭から離れる事はなかった。

後の話によると、2月の上旬、サイパンから帰省した1人の女性がチュークのとある離島に帰ることになった。女性の身内と共に4人で小型ボートに乗り込み150キロ離れた太平洋の離島に向った。距離は150キロとたいした距離ではないが、行程の殆どは太洋の大海原である。しかも2月と言えば貿易風の一番吹き荒れる季節でもある。貿易風の吹きすさぶ大ジケの中を、あるいは激しく襲うスコールに視界や方向を見失いがちになりながら、全長7メートルの、船外機エンジンを1機だけ付けたボートで走っていくのである。

はたして、エンジントラブルにみまわれ、頼みのガソリンも底をついてしまった。しかし、彼等の気持ちの中にはまだ余裕があった。この海域ならまだボートや船舶に出会う可能性もある。しかも彼等はモエン本島から離島に帰るということで、様々な荷物をボートに積み込んでいた。離島に持ち帰る為の沢山の食糧、衣類、日用品など、あたかも、漂流に備えるかのごとく・・・である。彼等を58日間の漂流から救ってくれたのは、これらの食糧と日用品の数々だった。
持参していたカッパで飲み水はなんとか補充できた。漂流期間中スコールが多かったことも彼等を助けてくれた。そして持参の食糧が底をついた時でも尚、彼らにはまだ余裕があった。釣り道具をもっていたからだ。彼等がフィリピンまでたどり着けたのもこの海の恵があったからだ。空港に凱旋した時の4人の素晴らしい笑顔が忘れられない。

チューク諸島はチューク環礁を中心に600Km~700Km余りに渡って広がっている小さな環礁や島々の集まりである。古来からチューク人はすぐれた海洋民族として知られている。ヤップに近い西の離島には、今もなお、昔ながらの外洋航海用の大型帆走カヌーが現存しており、日常的に使用されている。羅針盤や磁石等が発見されるずっとずっと以前から、彼等はこのアウトリガーカヌーを蹴って、太平洋の様々な島々を行き来した。このような伝統的な航海術は今も尚、離島の人達によって受け継がれている。このようなカヌーで航海を行う場合、日よけなどは全く無い。最低限の食糧と飲み物、釣具などを積み込み、フンドシ1つで航海に出る。灼熱の太陽、大嵐、寒さ、飢え、現代人だったら一日ともたないだろう。

元来、彼等の航海は漂流に似ている。そこに違いを見出すなら、目的地があったということだろう。こういう人達を祖先にもつチューク人の、現代の生活ぶりもまた海洋民族そのものである。昔に変わらず今も尚、様々な一族、一族が、あるいは親族達が遠く離れた島々に散在して生きている。彼等は今こうしている時も、日夜海に出て漁を行い、島々を行き来して暮らしている。300キロ、400キロ離れた離島間でも、彼等は平気で小さなボートで行き来する。チュークのラジオ局からはいつも、外洋に出る時は必ず携帯食糧と飲み水、水中ライト、を持っていくように呼びかけている。しかし、海洋民族の血がそうさせるのか同じような漂流の事件は今も後を絶たない。この漂流事件の直後にも、私の親友を含む家族5人がやはり小さなボートで行方不明となってしまった。
 
私は以前から、“遭難”“漂流”と言う言葉には非常に興味を抱いていた。何の準備もなく、何の前触れもなく、いきなり極限の状態に追いやられてしまう。しかし生きなければならない。どんな状況下であろうと、まず生き延びることが要求される。人間としての全知全能が否応なしに試されるのである。こういう観点から考えると“漂流”は究極の航海、究極の冒険旅行と言えるだろう。58日間の漂流を乗り切ったこの離島出身のチューク人もまた、飛び切りの海洋民族である。彼等の皮膚は灼熱の太陽を物ともしないし、魚を生で食べる事自体、彼等の日常の生活に他ならない。彼等の海洋民族としての資質が、この58日間の究極の冒険旅行を成功させたと言えるだろう。
チュークの人達は、これからもこの小さなボートで太平洋を行き来することであろう。そして彼等、海洋民族の冒険の旅はこれからも絶えることなく繰り返されて行くことだろう。

海洋民族・究極の航海 

チューク諸島・pocosuenaga