カテゴリ: エッセイ・南国にあそぶ

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常夏の島にも春があるのだろうか・・・・。
3月~4月が北半球の春ならば、北緯7度のチューク諸島はやはり春である。
1年中が常夏の熱帯の島ではあるが、気をつけてよく見ていると随所に春の季節を感じる事ができる。

その筆頭が、南洋桜であろう。 
3月、日本に桜情報が聞かれ始める頃、それに呼応したかのように赤い大きな花を枝一面に、一気に咲かせ始める。それ故、かつて南の島々にいた日本人達に『南洋桜』として親しまれた花だ。ただし、本家本元のか弱い桜と違い、情熱的な真っ赤な花を半年間にも亘って咲かせ続けていく。南洋桜が咲き始めた頃に感じる春の季節は、この花の最盛期には灼熱の夏の季節に突入している。この南洋桜がか弱い可憐な花でなく、情熱的な真っ赤な花であることが何となく実感できようと言うものだ。
南の島は、春も情熱的だ。

南洋桜の蕾が次々に膨らみ、赤い花を咲かせ始める頃、マンゴーの木の枝先には沢山のかわいいマンゴーが鈴なりになってくる。そして4月ともなると、赤みをさして美味しそうに熟れたマンゴーが枝もたわわにぶら下がっている。大きなマンゴーの木の下に行けばいつでも熟れたマンゴーが落ちている。ローカル市場では、どの売り場にもマンゴーが山と積まれている。この時期になると道行く人達の殆どがマンゴーをかじっている。そして子供達のポケットはいつもマンゴーで膨れている。マンゴーは南の島に春の到来を告げる数少ない果物である。

チューク諸島の3月はまだまだ貿易風が強く、この風は4月頃まで続いている。
ここチュークの春は、貿易風の吹き荒れる最後の季節でもある。そしてこの春の貿易風は、南の島に1つの風物詩を見せてくれる。

 春の澄み切った青空に、時として雪ならぬ純白の綿が舞い始める。
手のひらほどもある大きな物から、正に小雪がちらつくような小さな物まで、様々な大きさの綿雪が春の空に舞っている。どこから飛んでくるのか、かなりの高空を大小の白い綿毛がふわふわと風に乗って流れてゆく。ふと下を見ると、路上一面に、あるいは草むらに白い花が咲くように、純白の羽毛が積もっていたりする。
『カポック』と呼ばれる綿の木の花である。
チューク環礁の大きな島々には、このカポックの木が随所に見られる。熱帯のジャングルでも一際大きな背の高いこの木はどこからでも眺められる。そして3月の声を聞くと一斉に白い大きな花を咲かせる。この花が綿雪の正体だ。手のひらに乗せても全く重さは感じない。とたんに柔らかい温もりがてのひらに広がってゆくのを感じる。それもそのはずで、どんな物体よりも浮力に優れ、断熱効果に優れている。ジャングルの木々の間から大きく顔を出し、白い綿毛の中に小さな種を包み込み、青空を浮遊する。

南洋桜が報せる真っ赤に燃える情熱的な春。
その圧倒的な春の中に柔らかい春の季節を感じさせてくれる綿雪。
巨木を覆い尽くす純白の綿の花に春の到来を感じ、青空に舞う綿雪に行く春を想う・・・。

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 チューク環礁は周囲が200キロ以上もある世界最大の環礁である。
太平洋の中にポッカリと浮かんだそんな環礁のあちこちをボートで走り回っていると、いろんな事柄に遭遇する。
  最もよく見かける光景が、飛び魚である。
大きなウネリの上を、まるで滑るように、優雅に、ボートよりも早く、かなりの距離を飛んでいく。
私はこの飛び魚の飛び方がとても好きで、いつも最後まで見つめている。
よく観察していると、この飛び魚にも個人差(固体差)があるらしく、飛び方にも上手、下手が如実に現れている。飛上がったかと思うと、すぐに海面に没してしまうドジな飛び魚もいれば、高く舞い上がり、飛行機が旋回するように、滑るように海面上を上手に飛んでゆく飛び魚もいる。
そして驚いた事に、稀にではあるが、2段飛び、3段飛びをする飛び魚を見かけることがある。
一度滑空して水面に没するかと思ったその瞬間、尾びれをビビビ・ビッと海面に震わせて、前にも増したスピードでまた海面上を滑空して行くのである。そして一度ならず2度も飛び直す飛び魚を見ていると、もう嬉しくて嬉しくて、ただただ単純に海の驚異に酔ってしまう。
 
 環礁内でよく見かけるもう一つの光景に海亀の姿がある。
静かな海面に、頭をチョコンともたげ、大きな甲羅を海面に出し、流れに任せてゆったりと浮かんでいる。ほとんどが、アオウミガメやアカウミガメ、タイマイ(鼈甲亀)で、小さな物から、甲羅の大きさが1.5mもある大きなものまでさまざまである。 ところが、もう15年以上も前の事であったろうか、とても珍しい巨大な海亀に出くわした事がある。
 亀の中の王様・オサガメである。
このオサガメを見たのは、とある大きなクルーザーの上からだった。
いつものように海を見つめていると、かなり離れた前方の方に流木らしい漂流物が見えてきた。 
それが段々と近づくにつれ、どうも見たことも無いような漂流物で、よーく見ると海亀のようでもある。しかし、どう見てもこれまでの海亀の常識をはるかに打ち破る大きさである。
その時、私の頭の中にはそのような巨大な海亀の存在は全く無く、それが海亀であると言う思考にはどうしても思い至らなかった。
 大蛸や大イカの話はよく聞くが、このような大きな亀の話しなどは、一度も見た事も聞いた事も無かった。その漂流物が船のそばに来た時、『エッ』と、思わず息を呑んだ。まるで海の怪物を思わせるような巨大な海亀の姿がそこにはあった。
 その時は、海の底知れない神秘に感動し、船べりにたたずみ、いつまでもいつまでも海面を見つめていた事を思い出す。
 このように、海に浮かぶ海亀達は大概は1匹だけで、ボートが近づくとサッと海中に潜ってしまう。 しかし、稀にだがこの海亀達が海面で交尾をしている場面に出くわす事がある。こんな時には、さすがの亀さんも行為に夢中で、ボートが近づいてもなかなか体を離そうとしない。時にはゆったりと流れに任せ、ある時には激しく海面を叩きながら体を動かし、いつまでも2匹仲良くくっ付いているのである。
  
 海で遭遇する代表は何と言ってもイルカ達であろう。
2~3頭の小さいグループから、海洋一面見渡す限りイルカの群れ、と言う場面に出くわす事もよくある。私はフィッシングのガイドで環礁の周りや外洋に出る事がよくあるのだが、そういう時には必ずと言ってよいほどイルカの群れに遭遇する。いつも見慣れているとは言え、何度見てもイルカは可愛く、その姿には心を慰められる。
 イルカの群れ程頻繁ではないが、最近は、チューク環礁の外洋でクジラに遭遇する事がよくある。遠くの海面を沢山のクジラが列になって移動する姿をよく見かけるし、間近で潮を吹くクジラに出会った事も何度かある。そして最近、マッコウクジラの群れにまともに出くわした。

 アウトリーフからさらに5キロほど離れたとある洋上での事だ。
見渡す限りの海面がまるで沸騰しているかの如く沸き立っている。巨大なナブラだ。
カツオ・マグロの群れが水中を泳ぎまわり、ジャンプを繰り返し、その中には大きなサメが獲物を狙ってこれまた狂ったように泳ぎ回っている。そんな異常な状態のトリヤマの中で釣りをしている真っ最中の出来事だった。
 なんと今度はマッコウクジラが現れたのである。最初、ボートから離れていたクジラは、段々と我々の乗っているボートに近づき、そしてついにはボートを擦るように体を滑らせマッコウクジラ特有の長くて大きな胸鰭(むなびれ)を天高く指差すように掲げながら、我々の目の前を通り過ぎていった。
あの時の状況は大きな感動となっていつまでも私の心の中に熱く残っている。
 
 そしてもう一つ、シャチである。
この2~3年、シャチを見かけることが多い。
クジラ同様、遠くの海面をゆっくり移動するシャチを見かけることがよくある。
ボートのそばまで来て、何か話したげに目の前の海面をゆっくりと過ぎ去っていったシャチもいた。
 そして圧巻は、やはり釣りをしていた時にやってきた。
チューク環礁の北西のとあるパス(水道)でキャスティングに興じていた時の事、遠くの海面に10頭近く、2つのグループに分かれて移動しているシャチの群れを見かけた。
 遠巻きに行きつ戻りつしていたそのシャチの中で2~3頭が段々とこちらに近づいてきた。
私達がキャスティングをしていた所はパスのコーナー付近で、水深は20m前後と浅い場所である。
とてもこのような浅い所にはやって来ないだろうと思いながら、それでもドンドンと近づいてくるシャチに目を奪われながら漫然と竿を振っていた。
ところが、2頭のシャチがすぐ近くまでやってきたかと思うと、なんとそのままボートに体をくっ付けるようにして、その場に止まってしまったのである。
我々の乗ったボートに体を擦るようにしてクルクルと回っている。
 1頭は30フィートのボートよりも大きく、そしてもう一頭はその子供であろうか、半分にも満たない大きさである。大きなシャチの方は手で触れる距離だ。そのまま5分も居ただろうか。。。
私にはとてもとても長い時間に感じられた。
一緒に泳ぎたい衝動に駆られたが、この時は何となく躊躇した。
カメラを持っていなかったのがとても悔やまれた。
 
陸上ではとても経験できない海の驚異の数々。。。
底知れない神秘と感動を与えてくれる海。。。
海に酔いしれ、海に感謝し、そして海に遊ぶ。
そんな海を舞台に生きていける幸せを心から感じている。

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 日本の魚に比べて、南の島の魚はまずい、という話をよく耳にする事がある。 
四季折々の旬があり、季節や、ワビ・サビ、と言ったものを大切にする日本人の食文化が言わせる言葉だろう。ところがどっこい、この南の島々にも、日本の魚に負けないくらいに美味しい魚がたくさん泳いでいる。料理上手な日本人が住んでいれば、きっとおいしい魚のレシピがいっぱい出来ているに違いない。

まずはその鮮度である。
江戸っ子が宵越しの金を持たないのなら、チュークの人達は、宵越しの魚は食べない。
その日に取れた魚はその日のうちに食べてしまう。冷凍なんぞは以ての外である。
日本で最も多く食べられている魚の1つにカツオ・マグロ、がある。
遠洋魚の代表各である。日本では遠洋でもここチュークはその漁場の真っ只中にある。
かつての日本時代、当時日本で消費される鰹節の、なんと60%は、チューク・パラオなどのミクロネシアで生産された。朝釣れたカツオはその日のうちに捌かれ、釜茹でをし、鰹節となるべくすぐに天日干にされた。当時は、南洋で生産される鰹節は南洋節と呼ばれ最高級品として、日本中で重宝されたのである。
獲れ立てのカツオの刺身は、マグロともおぼしきもので、これがカツオか?と思うほどに美味い。いわんやマグロをや、である。チュークにいらっしゃるお客様に、獲り立てのマグロをよくご馳走する事があるが、その美味しさには一様に脱帽する。新鮮なマグロの頭をそっくりそのまま焼き上げた兜焼に至っては、涙が出るほどに美味しい。このようにチュークで獲れる魚は、いずれの魚も鮮度抜群で、それ故に美味しさが一段と引き立つのである。
料理の腕では無い。鮮度のなせる業である。

チュークの人達の魚の食べ方はとても単純で、日本人のように手の込んだ料理は殆ど無い。生で食べるか、椰子ミルクで煮るか、焼くかである。
日本人も刺身と称して生で食べるが、ここの人たちの生食は、日本人の上品な刺身には程遠い。魚をそのまま、姿のままか、もしくは大きくぶつ切りにして生で食べる。
焼くのも、上品な塩焼きではない。ウロコもはらわたもそのままに、焚き火の上にポンと乗せて、あたかも日本のタタキ風に、両面をちょっと焦がして、中は生焼けの状態で召し上がる。
日本人にはちょっとまねの出来ない食べ方である。そんな環境で食べる魚達であっても、美味しい魚は沢山ある。

スジアラと呼ばれるハタの仲間は、日本では高級魚である。
刺身はもちろん、天麩羅にフライにから揚げ、アライや酢味噌ヌタなどにしても美味しいが、特に鍋がいい。熱帯の島で囲む鍋だが、このハタ鍋は格別に旨い。野菜や食材が極端に少ないチュークでは、鍋と言っても、入れる物はこのハタと白菜のみである。その白菜すらもいい物はなかなか手に入らない。たまにきれいな白菜が入ったときには、新鮮なハタを求めて、ハタ鍋を作る。このハタ鍋には、まともな日本食に飢えてる私や家内だけでなく、子供達までが競って箸を出す。友人が日本から来る時は、ハタ鍋をするために白菜と味噌をこっそり担いでやってくる程である。

ヒラアジの仲間には、大きなローニンアジを始め、ギンガメアジ、カスミアジ、カッポレ、シマアジ、南洋カイワリ、などといった沢山の種類がある。この中でも特筆ものが、カスミアジと南洋カイワリだ。カッポレやシマアジも美味しいが、総合点では、このお二人さんには叶わない。
まず、南洋カイワリ。
頭の小さい、この平べったい魚は、エサで釣るのは難しく、従ってローカル市場にはなかなか出回らない。ところがルアーにはよく反応するので、日本人の釣り客や、私が自分で釣りに行く時には、必ずゲットする魚である。頭と腹が小さくて実の部分が大きく、しかも厚みが余り無いので塩焼きやから揚げには最適である。しかも味は天下一品ときている。3枚におろし、ちょと塩をして、酢で〆ると、酒の肴にも絶品だ。

次に、カスミアジ。
興奮すると、澄み切った青い霞み模様を体いっぱいに際立たせるこの魚は、日本から来る釣り人達にとっても人気の魚の1つである。そして食材としても南の島の魚の中でもトップクラスにランクされる。ヒラアジの仲間では文句なしに最高の食材だろう。大きいものは、10キロ近くにもなる。きれいな魚で形もよく、捌く方も気持よく包丁が入る魚である。3枚におろした後のアラは、カマや頭を取り分け、背骨はスープ用に切り分ける。捨てるところは何も無い。
寿司・刺身、煮魚、フライ、テンプラ、塩焼き、と何でも来いだ。そして、このカスミアジも、南洋カイワリも、最後の仕上げにそろって美味しい潮汁を提供してくれる。

我が家で好んで食べる魚に、『アオチビキ』がある。
通称・パシィフィックサーモンと呼ばれているこの魚は大きなものは10キロほどにもなり、フィッシングの対象魚としても人気がある。この魚は、どんな料理にも向いており、真アジ同様、白身魚と赤身魚の特色を備えた重宝魚で、その味は天下一品である。塩焼きはもちろん、寿司・刺身、テンプラ、フライ、から揚げ、煮魚、とどれをとってもトップクラスにランクされる。
そしてもう一つ、アオチビキの潮汁は正に絶品で、しかもスープが冷めてからでも臭みが無く、美味さが損なわれる事がない。このアオチビキモもまた、カスミアジ同様、エラとはらわた以外には、捨てるところは全く無い。釣りに出かけてアオチビキが釣れると、思わず顔がほころぶ。
そして、頭の中は、早くも夕食のメニューの事でいっぱいとなるのである。

友人達を家に迎えるとき、ローカルフードの他に彼らをもてなすのは、いつも生きのいいこれらの魚たちである。料理好きで、お祭り好きな私にとっては、美味しい、そして鮮度抜群の南の島の魚たちは、何物にも変えがたい食材である。毎年チュークにやって来る、とある友人のグループの為に、鮮度のいいアオチビキを用意する事は恒例となってしまった。

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こぼれるような満天の星空、南の空には南十字星が椰子の葉の間にくっきりとその姿を見せている。
上弦の月が水平線に浮かんで、夜の海をオレンジ色に染めている。幻想的な夜のビーチ。
椰子の葉の間を通ってくる優しい夜風を肌で感じながらグラスを片手に夢の世界に浸る。
・・・・・ここはチューク諸島の南に位置するとある無人島である。
『原始の無人島でキャンプをしたい!』 
そんな単純な発想から始まったこの無人島サバイバルツアー。
自分達で魚を釣り、貝を獲り、イセエビやカニを獲り、食糧を調達する。
その過程がまた楽しい。

参加者は5名。紅一点、今回も女性の参加者があり、男ばかりの無人島生活に華を添えてくれる。
ガイドの私と現地人スタッフ2名の、総勢8人での無人島キャンプだ。出発に先立ちキャンプに必要な物を補充・調達する。ビール・お酒などの飲み物。これがなくては夜の楽しみが半減する。釣具の補充。これが大きな威力を発揮する。ちょっとした道具だが、食糧調達には欠かせないものだ。
ホテルでの1夜が明ければいよいよ出発である。まだ見ぬ無人島への思いを胸にボートに乗り込む。広大なトラック環礁をボートが疾走してゆく。何度乗っても気持ちがいい。みんなの顔も笑顔で緩みっぱなしだ。ましてや今から3日間の無人島生活が待っている。

途中のアウトリーフで釣り大会を行う。この釣りは毎度恒例のお祭りみたいなものであるが、キャンプを張る前のメンバーの親睦とその日の食糧調達を兼ねたとても重要な催しでもある。
早速、釣り大会がスタートした。
女性の参加者がある場合は、すべて私が面倒を見る事になっている。
今回も私が女性隊員の釣りの手ほどきをする。糸を垂れると同時に彼女の竿がしなる。
男達の悔しそうな顔を尻目に、次々と魚を釣り上げてゆく。
しかも今宵の宴会を考えたような高級魚ばかりである。彼女の賑やかな笑い声とみんなの囃し立てる声が明るい海にこだまする。そのうちに男達の竿にも次から次へとあたりが出始めた。現地スタッフが忙しくボートの中を走り回る。あっと言う間にクーラーボックスが満杯となってしまった。
自然と笑いがこみ上げてくる。今夜のおかずはすでに確保して、誰の顔も底抜けに明るい。
午後の楽しいひと時を過して、さあ、いよいよキャンプ地の無人島に出発だ。

3時前、無人島に上陸。荷物を運び終え、ボートはモエン島に帰ってゆく。これからの3日間は我々だけの無人島となる。みんな思い思いの場所にテントを張る。この3日間の我が家と言うわけだ。
私達もベースキャンプの設営を行う。キャンパスシートで屋根を覆い、もう一枚をグランドシートに敷いただけの簡単なものである。食事や宴会の場所には、新鮮な椰子の葉っぱを一面に敷き詰めて、椅子代わりに浜から大きな流木を担いでくる。これで立派な宴会場の出来上がりだ。

さんご礁の海をのんびりと泳ぐ者、今夜の宴会用にと獲物を探しに行く者、椰子の木陰で読書をする者。夕食までのひと時を、思い思いに過す。
その間に我々スタッフは、薪を集めたり、夕食の準備にと余念がない。男性隊員が手に手に獲物を持って嬉しそうに海から上がってくる。シャコ貝、ラクダ貝、クモ貝、、、と、どれも酒の肴にピッタシだ。

大きな夕陽が水平線に落ちる頃、楽しい無人島の宴(うたげ)が始まる。尾頭付きの魚の塩焼き、カスミアジや貝の刺身、貝の煮物、ハタのスープ・・・。全てが今日自分達で獲ったものばかりである。素朴だが日本では決して口には出来ない新鮮な味わいと旨さ。昼間のほてった体に椰子の夜風が心地良い。冷えたビールと南国のカクテルが居る者を天国へと誘う。
満天の星空に水平線を照らす月の明かり。聞こえてくるのは、椰子の葉のそよぎと、夜のビーチを優しく洗う波のささやきだけ・・・。 赤く燃える焚き火が、残り2日間の夢の世界を照らし出す。
天国に集う者達の心の言葉が夜の無人島にしみわたる。

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数ある媚薬の中に『惚れ薬』というのがある。辞書をひもといてみると、惚れ薬 ー 相手に恋慕の情をおこさせるという薬、とある。中でも『イモリの黒焼き』は、その手の媚薬としてつとに有名である。

実は、このチューク(トラック)諸島にはその『惚れ薬』なるものが今も存在する。チュークに伝わる『惚れ薬』はミクロネシア地方ではかなり有名なもので、チューク諸島だけではなく、グアム、サイパン、などでも密かに高値で売買されている。そして、この『チュークの惚れ薬』は、過去に何度も日本のTVに登場したこともある。

イモリの黒焼きは、その名の通り、イモリを黒焼きにしたもので、それを粉末にして使用する。製法は至って簡単明瞭である。それに対し、我らがチュークの惚れ薬は、一種の香水のような液体でその製法はとても複雑・怪奇である。魚介類、サンゴ、海草、植物、動物に至るまで、自然界から数十種類の材料を採取・調合して、極秘裏に精製される。その製法は一族、一族によって異なっており、先祖伝来の秘法が受け継がれ門外不出である。この惚れ薬が如何に複雑な行程を経由して作られるのか、大まかに説明してみよう。

まずは材料の採取である。植物からは、椰子の実や木の実、山野に茂る薬草・ハーブ、樹皮、などが使用される。これらを採取する時は、その植物の種類によって、あるいは、惚れ薬を誰が使うかによって、採取時間(日の出前、午前中、午後、日没後、夜間など)、採取場所(方向、山奥、平地など)、採取する人(子供、若い女、男など)、採取する時の呪文・念仏などが違ってくる。サンゴや魚介類・動物などの採集の場合も同様の手順を踏んで行われる。こうして採取された材料は、先祖伝来の道具を使って、秘伝の方法で液状の惚れ薬に生まれ変わる。

通常、惚れ薬は使用する本人が、自分の体や相手の体(衣服)などにさりげなくつけて使用する。チューク諸島の人達にとっては、この惚れ薬は絶大な効果があると言う。長くチュークに住んでいる私も、この惚れ薬によって生まれたカップルを沢山知っている。その中には、婚約してたカップルの仲を引き裂き、見事意中の人と結婚した女性もい居る。さらにアメリカ人男性を射止めた女性もいれば、その反対にアメリカ人女性を射止めた男性もいる。そして彼らは、『私は惚れ薬でこの人を射止めた』と公言して憚(はばか)らない。

変化や刺激が少ない南の島では、恋愛やその手の遊びは、彼らの日常生活の中でとても大きなウエイトを占める。そこでは、未婚、既婚の区別や制限、規制、などには左程左右されることもなく、とてもおおらかに、比較的自由に行われている。その遊びや恋愛、果ては結婚に至るまで、チュークの惚れ薬は彼らの恋のキューピットとして今尚大きな威力を発揮している。

彼らの生活・社会・思想は自然界の上に成り立っており、そこには様々な民間療法や呪い・妖術などが今も根強く生きている。惚れ薬が効力を発揮する裏には、これら彼ら独特の精神文化がある。彼らの生活環境のあらゆるところに『神』が存在する。山の神、海の神、魚の神、植物の神、木の神、草の神、動物の神、女の神、男の神、ありとあらゆるものに神が宿り、かれらの生活をコントロールする。
良いい神もいれば悪い神もいる。彼らは神の存在を信じ、神に感謝し、神を畏怖し、神の示唆を仰ぎ生きている。

ずっと以前、私は生後間もない自分の子供を無人島に遊びに連れて行ったことがあった。その時、彼らに猛反対された。『無人島の神がとり憑いて子供が病気になる』、『無人島の神がとり憑いたら、その無人島に行ってそこにある自然界のもので薬を調合して、子供に飲ませないといつまでも無人島の神は子供の体の中から離れない(病気が治らない)』というものだった。これが現代人だったら、『無人島なんかの過酷な場所に赤ちゃんを連れて行ったりしたら、赤ちゃんはきっと体調を崩して病気になるよ』と考えるところだろう。

彼らにとって自然は神そのものである。神が彼らに食糧を与え、神が彼らに罰を与える。神と自然は一体であり彼らの原宗教でもある。神々と共に生きる彼らの心にはこれからもずっと惚れ薬が生き続けることだろう。

神々の島・恋の島 

チューク諸島・末永卓幸

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南の島の海の中には様々な生き物達がいる。共存というサイクルの中で、助け合い、奪いあい、殺し合い、そうして生きている。貝もまた例外ではない。

鬼ヒトデはサンゴを食べて生きている。きれいなサンゴの上にどっかりとかぶさってサンゴを食い荒らしている姿は、どう見てもおぞましい限りだ。しかし、この鬼ヒトデを食べる貝がいる、と聞けばなんとなく嬉しく、その貝が頼もしく思えてくる。皆さんもよくご存知の『ホラ貝』だ。
英語名はそのものズバリ、『トランペットシェル』と呼ぶ。わが国でも、野武士や修行僧が空に向って“法螺を吹く”絵や写真を、よく目にした事がおありだろう。ここチューク地方でも、ホラ貝は大事な生活の道具として重宝されてきた。その独特の音は、戦いや、島々への合図などに使われたという。古式豊かに作られたチュークの法螺貝が私の家のリビングの壁にも掛かっている。

鬼ヒトデを食べる強い貝もいれば、タコに食べられるかわいそうな貝達も沢山もいる。比較的小さな二枚貝や巻貝などがその被害となっている。タコ穴の周りには、タコの餌食となったこれらの貝の残骸が沢山散らばっている。タコは島の周りの浅瀬で比較的簡単に獲ることができる。チュークの人達の大事な食糧でもある。ポリネシアの伝統的なタコ漁には宝貝の殻を使ったものがある。甲殻類や貝を好物とするタコの習性を利用したものだ。

貝の中には、貝を襲って生きているものもいる。通称、ツメタガイと言われているタマガイの仲間がそうである。小さな二枚貝や巻貝に、見事な穴があいているのを、よく見かけることがある。まるで、小型ドリルで開けたような見事な穴だ。これがツメタガイの仕業なのである。
貝に穴を開け、中身を吸い取って食べてしまう、貝のギャングである。ウズラの卵ほどの大きさの、光沢のあるとてもきれいな姿をしており、まさかこの貝が仲間の貝を襲うとは想像もできない。

海を泳いでいると、貝を食べている魚をよく見かける事がある。
そんな中で、ヒラアジがシャコガイを襲うという話が伝えられている。
ただ単に殻の中身を突っついて、食べると言うのではない。正に襲うという形容がピッタシだ。
目標のシャコ貝に狙いを定めたヒラアジは猛然と獲物に向って突進する。そして、自身の尻びれの部分にある鋭利に尖った突起をピンと立てて、口を大きく開いているシャコ貝の貝柱を一気に切断するのである。そうして、口を閉じれなくなったシャコ貝をゆっくりと賞味するという。電光石火の早業だ。

タコや魚に襲われる貝がある中で魚を襲う貝もいる。イモ貝の仲間だ。イモ貝の仲間には、毒腺を持つものが多く、その毒腺で小魚や海中生物を襲って食べる。特に、『アンボイナ貝』や『タガヤサンミナシ貝』は毒性が強く、人間の命を落とす程の猛毒を持つ。しかし、この猛毒を有する2つの貝は、貝収集家の間ではとても人気がある。

我が家にはこのような様々な貝のコレクションがある。長年私がチュークの海から丹精込めて集めてきた海の宝物である。様々なデザインを施した貝達が、その1つ1つにいろんな思い出を包んで、海の香りと彩りを与えてくれている。そしてそれは私のチュークの軌跡でもある。

チュークに移住してから早くも27年が過ぎた。丁度人生の半分をこの南の島で過ごした事になる。
家庭を持ってからも殆どが南の島での生活だった。妻と、3人の息子達が私の家族だ。

長男は邦雄、25歳。ミクロネシア国籍を持ち、現在、日本の大学に在籍している。古都・京都で、遊びに・アルバイトに・勉学にと、忙しい日々を送っているようだ。今後、何処でどう生きて行くのか、親父である私にも全く想像がつかない。広い地球、どこかで自由に生きて行ってくれればいいと思っている。子供と言えども所詮は一人の人間で全く別個の人格・人生である。己が心に悔いることなく、思うが侭の人生を送って欲しいと願っている。

次男は友(ゆう)、16歳。現在、現地のザビエルハイスクールという高校に在学している。チューク諸島の中心・モエン島の最東端の丘の上にその高校はある。厳しい受験競争をクリアして、ミクロネシア全域から生徒達が集まってくるこの高校は、カトリック系の厳しい学校としてミクロネシア全土にその存在を知られている。男子は全寮制で、生徒達は厳しい校則の基に厳格、かつ、楽しい学校生活を送っている。日本人はうちの次男坊ただ一人だけである。

もう一人の息子・3男坊が11歳で、家の近くの、これもまたキリスト教系の学校に通っている。ここでも日本人の子供は、うちの坊主ただ一人だけだ。チューク諸島には日本人は10人くらいしかいなくて、そのうちの約半分は我が家のメンバーである。純粋の日本人の子供と言えば、うちの2人だけしかいない。そんな環境の中で、息子達は自分の胸に様々な問題やストレスをかかえながら大変よく頑張っている。この11歳の坊主の名前は、海(ひろみ)、広い海をイメージして付けた名前である。彼が生まれた時、ホテルのビーチで友人と夜通し飲みながら考えた名前である。 今回は、11歳のヒロミを通じてチュークの中を覗いてみよう。

チューク諸島の人達は100%がキリスト教(クリスチャン)である。そこには、カトリック、プロテスタント、など様々な宗派が入り混じっている。そしてその宗派がそれぞれに学校を経営している。息子のヒロミが通う学校もそんなキリスト教系の小さな学校の1つである。
1学年1クラスで、1クラスの人数は10人~20人とマチマチである。ミッションスクールと言えば聞こえはいいが、所詮は僻地の小さな学校で、我々日本人の常識からすると沢山の問題が目に付くのは致し方の無い事でもある。

昨年のある日、昆虫採集の宿題が出た。チューク諸島では昆虫はとても少ない。チョウチョやバッタもいるにはいるが驚くほど小さい。おまけに、トンボやセミはこれまた小さい上に、めったに見かけないときている。宿題の昆虫は3種類、生きた状態での採集が条件となっている。さっそく、ヒロミと2人で採集に出かけた。昆虫採集用の網などそんなしゃれたものは無い。追っかけて追っかけて、すべて手づかみである。 2人で悪戦苦闘して、やっと宿題の条件に見合うサイズのバッタやトンボを3種類をゲットした。ジャムの空き瓶のフタに釘で穴を空け、中に草と水を少し入れてバッタ達を入れる。トンボはまた別の容器に入れて、元気な状態にして翌日学校に持って行った。ヒロミはクラスの友達が何をゲットしたかとても楽しみにしていた。当然みんなが自分と同じ様な状況で昆虫を採集して来ていると思っていたらしい。学校から帰ってきたヒロミの第一声は、昆虫採集の結果についてだった。

『お父さん、お母さん、みんな何を持ってきたと思う?』ヒロミは一人、ニヤニヤしている。私は、しばらく考えた。現地の子供達は虫を捕まえるくらい何てことはない、朝飯前だ。
『そうだなあ、トンボ、バッタ、セミ・・・・。』と答えた。ヒロミは、『そんなもの、持ってきたのは僕だけだったよ!』 『じゃあ、なにを持ってきたんだ??』 ヒロミは盛んに笑っている。
『ゴキブリ、ハエ、アリ、シラミ! アッハッハッハー!』 『みんなそうだよ!』
私もつられて笑ってしまった。なるほど、そういう手があったか・・・、 さすがはチューキーズ! と、うなってしまった。

チュークの子供達の学校や勉強に対する姿勢は概ねこのようなもので、我々が考えるように深くはない。対する親達も同じ様なものである。なにもかもがおおらかで難しく考える必要などはさらさらないのだ。

このような、社会と子供達の中で学校生活を送っているヒロミにとっては、小さいながらも様々な問題に直面している。我々は日本人として、ヒロミにはいつもそれなりの準備をさせて学校に送り出す。ヒロミの学校や勉強はいつも妻が見ている。女の几帳面さから、いつもヒロミのカバンの中身やノート、筆箱などをチェックしている。そして、その都度、鉛筆がなかったり、消しゴムが無かったりするときがあり、妻がヒロミに注意している。ヒロミは一言、『無くなった。』と言っている。 妻、『どうして?』 ヒロミ『みんなが勝手に僕のカバンから持っていく。』 妻、『えーーー!』 ヒロミ、『水筒の水もいつの間にか無くなっているし、水筒も壊れている。』 ヒロミが友達に注意すると、『ああ、チョット借りたよ。』という返事が返ってくる。 決して謝ったりはしない。

ある時期、あまりにもひどい時があったので担当の先生にクレームした事がある。以下、先生の返事である。『どうして、みんなに貸してあげれないの? なんで助け合ってやっていけないの?』逆にこちらが注意されたものである。こうなると、妻もヒロミも何も言えない。チュークで手に入る学用品には粗悪品が多い。従って、うちでは3人の子供達のためにいつも日本から学用品を買い求めて使用して来た。その貴重な学用品なので、妻もヒロミもよけいに頭に来る訳だ。それでも頭に来ているのは、我々日本人家族だけで、クラスメート達は決して悪い事をしているとは思っていない。

チュークの社会ではあらゆる事が助け合いの対象で、子供達の世界とて例外ではない。
クラスメート達はお互いがお互いの学用品を共用し、誰かが持ってきた水筒からだれでも水を飲んでいるし、お弁当も皆で分け合って食べている。現地の先生が、私達のクレームに対して、『どうして、みんなに貸してあげれないの? なんで助け合ってやっていけないの?』と、逆に注意を促したのは、実はこういう社会背景があっての事なのだ。

クラスメート達が、ヒロミのかばんから学用品を持ち出すのも、水筒の冷たい水を自由に飲むのも、お弁当に勝手に横から手を出すのも、すべてこれ、ヒロミを友人として認めている証でもあるわけだ。最近になって、ヒロミもそう言うチュークの人達の国民性を少しずつ理解して来たらしく、近頃は学校生活をとてもエンジョイしている。今年はクラスのプレジデント(級長)に選ばれて、クラスをまとめるのに奮闘している。

ある日、声をガラガラにして帰ってきた。『どうしたんだ?』と聞くと、『今日は先生が居なくて、自習時間が多くて、友達にいつも大声で注意していたからのどがガラガラになった。』 と言って笑っている。翌日、学校から帰ってきて、『今日、僕の声がガラガラしているのを、どうして? って友達に聞かれたよ。』と言っている。 私が、『何て言ったの?』って言う問いに、『きのう、お前達を注意するのに大声を出したからのどがガラガラになってしまったんだよ! って言った』 そうしたら、友達は『あっ、そうかそうか、ソウリー、ソウリー!』と言ったと笑っている。

子供達は今日ものびのびとした楽しい学校生活を送っている。学校に来る事は、勉強もさることながら、友達と遊ぶ事だという。学校で友達と駆けずり回った昔の自分の子供時代を思い出す。 チュークの学校はどこも例外なく設備が不充分で、教材や教職員の不足にいつも悩まされている。おのずと教育レベルの低下を招き、今後の大きな問題の一つとなっている。僻地に生まれたばかりに充分な教育が受けれない子供達。このような子供達に、もう少しきちんとした教育機会を与えてあげたいと、切に願う。

南の島の学校で
チューク諸島 / 末永 卓幸

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旅には様々な旅の形がある。旅する人は、日常の現実世界から抜け出し、非日常の夢の世界を求めて旅をする。そんな旅人達の想いを充分に叶えてあげたい。そういう気持でお客様に接し、そう考えていつも仕事をしている。この1ヶ月間あまり、殆んど休む間もなく、実に様々なツアーのお客様をご案内してきた。フィッシングに始まって、新婚旅行、ダイビング、戦跡取材、無人島サバイバルツアー、視察旅行、家族旅行、そして最後は慰霊のツアーである。いずれもチュークならではの旅の形だ。

元来、チュークを訪れる観光客はそれ程多くはない。1年間に来る観光客の数は、グアム島を訪れる1日分の観光客の数にも満たない。しかし、その内容は実に多様である。

現在、チュークには2軒のダイビングショップと3隻のダイビングクルーズ船がある。一軒のダイビングショップを除き、殆んどがアメリカやヨーロッパからの沈船ダイバーである。その影響もあってか、チュークのダイビングは依然として従来のスタンスを保っている。
この間に何組かのダイバーをご案内した。このうちの一組は毎年やってくるダイビング仲間で、毎度の事、ダイビングのみならずチュークの海の自然をたっぷりと楽しんでいる。ダイビングでは、沈船、リーフ、ドロップオフ、パスのドリフト、ナイトダイブ等と、様々なダイビングを行い、ダイビングの休憩時間には、無人島ジャングル探検、バードウオッチング、自然蘭の採取、貝拾い、スノーケリングと、短い滞在を十二分に楽しんでいる。ダイビングのガイドだけでなく、このようなアレンジやガイドをしてあげるのもまた、私の仕事の一部であると思っている。

11月の上旬、面白いツアーが来た。無人島サバイバルツアーだ。海に不慣れなメンバーが海に遊び、自らの手で海の幸を求め、無人島での数日間を過ごそうというものだ。今回はそのテストケースで、彼らにとっては、何もかもが手探りの海の旅だった。大自然の海の美しさとスケールにドキモを抜かれ、そして海のやさしさと、海の豊かさに心を打たれた旅でもあった。初めて経験する南の島の釣り。用意してきた釣具が全く通用しない。面白いようにヒットするがいとも簡単にラインが“プツン”“プツン”と切られてゆく。無人島の海岸でカニと戯れ、夜ともなればジャングルでヤシガニ獲りを行う。広大な環礁を歩き、海に潜り、海の幸を求める。
自分で釣った魚を食べた。自分達で獲った貝を肴に酒宴を開く。必死で捕まえたカニで作ったカレーの味は別格だった。心に響く波の音と、椰子の葉のそよぎを耳にしながらグラスを交わす。あっという間の1週間だった。

久しぶりに『君が代』をしみじみと聞いた。慰霊団の合同慰霊祭において遺族の方々が亡き父に捧げる国歌だ。これもまた『旅』の一環である。太平洋戦争時代のチュークには海軍の大きな基地があり、その結果、数多くの戦争の犠牲者を出している。終戦から60年経った今も、これら遺族の方達が度々チュークを訪れる。生まれながらにして父を失い、写真の父に問いかけて母と共に生きてきた60年間の熱い想いをチュークの海に捧げる。彼等の墓はチュークの海にある。何とかして、この方達を父親の戦没地点にご案内してあげたい。そういう想いで、一人一人の話を聞き、部隊名や船名、戦没日時等からその地点を割り出しゆく。予期せず、父の眠る場所を探し当てた時の彼等の気持は如何ばかりかと思う。『再会した父』に語りかける彼等の言葉を聞く度に涙が溢れてくる。

こうして毎日、南の島の夢の案内人として走り回っている。
お客様の笑顔を見る度に、この仕事をやってて良かったとしみじみ思う。

海に遊び、海に祈る。 
・・・・・夢の世界へ。  pocosuenaga

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