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ミクロネシア・チューク(トラック島)に来て、この6月で40年が経った。
人生の大半をこの小さな南の島で過ごした事になる。

最初のチューク訪問は学生最後の卒業休み。学友4人で世界の秘境を物色していた。
縁あってトラック島(チューク)に決めた。
1か月間チュークの島々を訪ねた。全く異次元の世界だった。何もかもが新鮮だった。
以後、皆で会うたびにチューク移住を語り合った。4人でチュークに移住しようと約束した。
1年たち、2年が夢と共に経過した。それぞれが故あって夢を断念し、私1人が残った。

皆にチューク移住を誓い決意した。
1978年6月、日本を全て清算し夢の世界に旅立った。

新天地での生活必需品を厳選し、12個の段ボールに詰め、船便でトラック島に送った。
港に届いた玉手箱の中身は全て霧と消えていた。
荒らされた段ボールの片隅に大好きな地図帳だけがあった。

なーに、元々ゼロからの出発だ。
ゼロの世界を選んだのは自分なのだ。

こういう世界である事を肝に銘じた。

旅行業に興味をもち、日本でもその仕事をしていた私は、躊躇なくこのチュークでも観光業を始めた。
その後、紆余曲折はあったが、幸い今も元気でこの仕事を楽しんでいる。

チューク人によく言われる言葉がある。
『スエナガ、あんたはいったい何歳なの?』 
『私が小さい時からあんたは同じ顔をしてるし、ちっとも変わんないね!』
そんな時、私は決まって言う。
『日本人は歳をとらないんだ!』

その間、無人島が何度も消滅し、何度も復活した。
かく言う私も、何度も消滅し、何度も復活した。

そして今また、その無人島にも少しずつ緑が増え、ヤシの木が実を付け始めている。