70数年前の太平洋戦争。
開戦の翌年には連合艦隊司令部の前線基地となったチューク環礁(トラック島)には、戦艦大和・武蔵をはじめとする、100隻に近い日本海軍の連合艦隊と輸送船団が集結した。
そして、昭和19年2月17日、トラック島はアメリカ軍による未曾有の大空襲を受ける。
環礁内に残された輸送船団、護衛の艦船など、80隻あまりが今もトラック環礁の内外に沈んでいる。
そして、昭和19年2月17日、トラック島はアメリカ軍による未曾有の大空襲を受ける。
環礁内に残された輸送船団、護衛の艦船など、80隻あまりが今もトラック環礁の内外に沈んでいる。
そんな沈船の一つに、『文月』(ふみづき)と言う駆逐艦がある。
沈船の多くが輸送船と言う中で、わずか2隻しかない戦闘艦の中の1隻だ。
トラック環礁の中央部、40m程の海底に船体をねじるように沈んでいる。
沈船の多くが輸送船と言う中で、わずか2隻しかない戦闘艦の中の1隻だ。
トラック環礁の中央部、40m程の海底に船体をねじるように沈んでいる。
その『文月』の船上で慰霊祭を行いたいと言うご家族がいらっしゃった。
父が『文月』の軍医であったという長谷川さんご一家だ。
父が『文月』の軍医であったという長谷川さんご一家だ。
父・長谷川豊男は、初陣から文月の軍医長として乗船した。
ラバウル、ソロモン、ブーゲンビル、ガダルカナルなど、幾多の戦闘に参加し
数多くの戦友たちを死の淵から救い出し、またなすすべも無く見送った。
激闘の最中、今にも沈まんとする薄暗い艦内で丸一昼夜、不眠不休で一滴の水も口にせず次々と運ばれてくる重傷兵の治療に当たった。
受けるも地獄、治療を施すのも地獄の永遠の時間が流れる中、純白の軍医装は血と油でドロドロになっていた。
艦が窮地を脱した時、『軍医長、ご苦労様でした。神様のように見えます。』
上官の一言が心にしみた。
ラバウル、ソロモン、ブーゲンビル、ガダルカナルなど、幾多の戦闘に参加し
数多くの戦友たちを死の淵から救い出し、またなすすべも無く見送った。
激闘の最中、今にも沈まんとする薄暗い艦内で丸一昼夜、不眠不休で一滴の水も口にせず次々と運ばれてくる重傷兵の治療に当たった。
受けるも地獄、治療を施すのも地獄の永遠の時間が流れる中、純白の軍医装は血と油でドロドロになっていた。
艦が窮地を脱した時、『軍医長、ご苦労様でした。神様のように見えます。』
上官の一言が心にしみた。
『文月』は激闘の傷を癒す為、トラック環礁に入港した。
修理の為に主機関を停止したままの駆逐艦にアメリカ軍の集中攻撃が始まった。
断腸の思いで、戦死者を機関室に残し、重傷兵達を伴い命からがら艦を脱出した。
その後幸運にも恵まれ、奇跡的に日本に帰還した。
修理の為に主機関を停止したままの駆逐艦にアメリカ軍の集中攻撃が始まった。
断腸の思いで、戦死者を機関室に残し、重傷兵達を伴い命からがら艦を脱出した。
その後幸運にも恵まれ、奇跡的に日本に帰還した。
『2月17日は、もう一つの俺の誕生日だ。』
父は娘たちにいつもそう言い聞かせていた。
多くの戦友たちの命も助けたが、それにも増して、多くの命をなすすべも無く無念の思いで見送ってきた。
戦争を通じて医師としての責任感と義務感が後の長谷川豊男の人生を支えた。
晩年まで大病院の院長として医術の道に一生を捧げ、今また戦友の下に旅立って行った。
父は娘たちにいつもそう言い聞かせていた。
多くの戦友たちの命も助けたが、それにも増して、多くの命をなすすべも無く無念の思いで見送ってきた。
戦争を通じて医師としての責任感と義務感が後の長谷川豊男の人生を支えた。
晩年まで大病院の院長として医術の道に一生を捧げ、今また戦友の下に旅立って行った。
飲んべえの父娘は、生前よく酒を飲み交わした。
『お前なら俺を太平洋に・・・。』
父の遺言とも取れる言葉が脳裏をかすめた。
長女・千代はトラック島の慰霊を思い立った。
父の遺骨を『文月』に納めてあげよう・・・。
『お前なら俺を太平洋に・・・。』
父の遺言とも取れる言葉が脳裏をかすめた。
長女・千代はトラック島の慰霊を思い立った。
父の遺骨を『文月』に納めてあげよう・・・。
生前、父と親交のあった静岡のダイビングショップ・石塚さんにツアーの手配と現地での慰霊祭をお願いした。
彼は、由緒ある神社の神主でもあり、ベテランダイバーで、これまでも幾度と無くトラック島を訪れていた。
今回の慰霊行には最適の人物だった。
そんな石塚さんに現地のガイド・末永を紹介された。
なんと末永は『文月』の発見者であり、かつて父が慰霊でトラック島を訪ねた時のガイドでもあった。
彼は、由緒ある神社の神主でもあり、ベテランダイバーで、これまでも幾度と無くトラック島を訪れていた。
今回の慰霊行には最適の人物だった。
そんな石塚さんに現地のガイド・末永を紹介された。
なんと末永は『文月』の発見者であり、かつて父が慰霊でトラック島を訪ねた時のガイドでもあった。
彼らの手で、父・長谷川豊男の遺骨は、『文月』の艦内奥深くに帰って行った。
『本当にこのタイミングですべてが完結したかのようです。』
父の無念の想いと第二の誕生日となった『駆逐艦・文月』への想い。
長女・長谷川千代さんから届いたお礼の言葉に父への愛情が溢れていた。
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