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先の台風で、日本時代の貴重な建物や記念物が危機にさらされている。

1914年・大正4年、今から丁度100年前、現ミクロネシアは日本の統治地となった。
日本からの多くの移民者達が夢を抱いて南の島を目指した。

占領と同時に南洋群島軍司令部が置かれ、大正天皇の即位を記念して大きな運動公園が造成された。
そして間もなく運動公園そばには、現地人対象の立派な小学校(公学校)もできた。
それに伴い、多くの現地人達が日本人社会で働いたり日本語を学んだりして、現地人達の間にも日本人としての意識が徐々に高まっていた。

そんな折の1928年(昭和3年)9月、高松宮殿下がトラック島をご訪問された。
その時の宮様お手植えの樹が今も運動公園傍に立っている。
そして、宮様お手植えの樹と対峙するように公園の向かい側には、同じ日に植えられた
巨大なマンゴーの樹が仲良く公園を見渡すように立っている。

ところが今回の台風Maysakで、このマンゴーの樹が倒壊し、公学校の建物も大きな被害を受けた。
日本時代に建てられ90歳を超える公学校の校舎は、今も島の役所として使用されている。
そして、宮様お手植えの樹とお供に87歳になるマンゴーの樹。
戦渦をくぐり、幾度となく嵐や台風をくぐりぬけてきたマンゴーの樹もついに命が尽きてしまった。

幸い、公学校の方は、修復の道も残されており、今後の成り行きが気になるところだ。
多くの現地人が学んだ学校の建物がいつまでも保存されることを祈っている。