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天皇陛下のパラオ訪問がやっと実現した。

天皇陛下のミクロネシアご訪問は、現地の人たちにとっても長年の夢であった。
太平洋戦争の激戦地となったミクロネシアの海と島々には沢山の同胞達が眠っている。

今から丁度100年前、パラオを含むミクロネシア全域は、南洋信託統治領として日本の領土となった。
サイパン、ヤップ、トラック、ポナペ、マーシャル(ヤルート)にそれぞれ支庁が置かれ、南洋庁の政庁がパラオに設置されて、パラオが南洋群島の首都となった。

一方、トラック島(現・チューク)には、1914年の占領後すぐに南洋群島海軍司令部が置かれ、南洋諸島防備の要となる。
後の連合艦隊司令部が置かれる先駆けとして、早くも日本軍の前線基地として発展していく。

トラック島(チューク)には今も、天皇家由来の遺跡や遺構が少なからず残っている。
30年に及ぶ日本時代、南洋群島の軍事の要としてその重責を担っていた夏島(デュブロン島)には、占領直後すぐに、大正天皇の即位を記念した運動公園(都洛公園・トラック公園)が造営され、今も島の人たちのレクレーションの場として親しまれている。

また、運動公園の入り口には、昭和3年トラック島をご訪問なさった高松宮殿下のお手植えの樹(玉名の樹・マホガニー)と同時に記念樹のマンゴーが、その樹齢を遥かに超える重厚な佇まいで、今もトラック公園を見つめている。

そして昭和16年の開戦前夜、再度のご訪問となった高松の宮殿下をお迎えした喜びの詩を刻んだ石碑が、艦隊司令部に建立されている。

ミクロネシアが日本統治時代だった頃、日本の国語の教科書に南洋の風物詩を紹介するコーナーがあった。
『トラック島便り』と称したその読本には、南の島に赴任したお父さんが、日本に残る子供に南洋の事を教えてあげる手紙の形で紹介されていた。

天皇陛下もご幼少の頃、このトラック島便りを読んで、トラック島にもことのほかご興味を抱いていらっしゃったらしいと言う事を、宮内庁の関係者からお聞きしたことがある。

この度のご訪問が滞りなく無事に終えられることを心からお祈り申し上げる。