『戦艦武蔵』発見の報がにわかに話題になっている。
ここトラック島(チューク)は、日本有数の海軍基地があったところだ。
太平洋戦争勃発の翌年には、早くも連合艦隊司令部の前線基地が置かれ、戦艦大和、戦艦武蔵をはじめ、
日本海軍の艦船が、トラック環礁に結集した。
太平洋戦争勃発の翌年には、早くも連合艦隊司令部の前線基地が置かれ、戦艦大和、戦艦武蔵をはじめ、
日本海軍の艦船が、トラック環礁に結集した。
今、インターネットで盛んに紹介されいている、戦艦大和・戦艦武蔵のツーショット写真は、
何とこのトラック島で撮影されたものだ。
昭和17年夏、トラック島の艦隊錨地のに停泊していた両艦を、戦艦長門の艦橋から撮影したものである。
何とこのトラック島で撮影されたものだ。
昭和17年夏、トラック島の艦隊錨地のに停泊していた両艦を、戦艦長門の艦橋から撮影したものである。
当時、日本海軍のほとんどの軍艦、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦、航空母艦がこのトラック環礁にその雄姿を見せた。
当時の艦隊錨地の近くの浅瀬には、当時、戦艦武蔵が使用していた係留ブイが今も残っている。
ゼロ戦の基地・竹島飛行場。
山本五十六、死出の場所となった水上飛行機の基地。
五十六の居住地・連合艦隊司令長官官舎。
今も天空を睨む山頂の高射砲、等々・・・。
山本五十六、死出の場所となった水上飛行機の基地。
五十六の居住地・連合艦隊司令長官官舎。
今も天空を睨む山頂の高射砲、等々・・・。
トラック島の海とジャングルには、70年前の戦闘の跡が今も数多く残っている。
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