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チューク地方の運動会の起源は、遠く日本時代にさかのぼる。
第一次世界大戦後の1914年(大正3年)末期、グアムを除く全ミクロネシアは、日本統治となり、南洋防備隊司令部がトラック諸島・夏島に置かれた。
直後には各種運動施設を含む総合グランドが夏島の中心地に造営された。
以後、太平洋戦争の終わるまでの30年間に亘って、軍隊、民間、現地人の区別なく盛んに運動会が催された。

そう、現在チューク地方で行われている運動会は、その殆どが日本時代の運動会のスタイルを補習したものなのである。
島の村々は全て、1組(イチクミ)から5組(ゴクミ)まで分けられ、組み対抗(村対抗)で行われる。
ユニフォームや団旗には、ICHIKUMI、NIKUMI、SANNKUMI ~~とあり、
スタートの合図がヨーイドンで、ゴールはイットウ、ニトウ、サントウである。
応援はオウエン、頑張れはガンバレ、体操はタイソウ、駆け足はカケアシ、と今でもそのまま日本語が使われている。
種目に至っては、レンゴウ(連合リレー・小さい子供から大人までのリレー)
コンゴー(混合リレー・男女混合のリレー)
ムカデ(ムカデ競争)、ウンパン(荷物を運ぶ競争)、サンダン(三段跳び)
ハバトビ(幅跳び)、ホウガン(砲丸投げ)、キバセン(騎馬戦)などなど、当時の懐かしい競技がそのままの呼び名で行われている。