小笠原に古くから伝わる『南洋踊り』
日本統治時代にミクロネシア方面から伝わったものとされ、今でも学校で教えたり、父島や母島の保存会でその継承に力を入れている。その甲斐もあって現在では東京都無形文化財に指定されている。
小笠原が世界遺産に指定されたとあって、この南洋踊りも小笠原をアピールする上で格好の好材料となっている。
日本統治時代にミクロネシア方面から伝わったものとされ、今でも学校で教えたり、父島や母島の保存会でその継承に力を入れている。その甲斐もあって現在では東京都無形文化財に指定されている。
小笠原が世界遺産に指定されたとあって、この南洋踊りも小笠原をアピールする上で格好の好材料となっている。
今回、その『南洋踊り』のルーツを求めて、保存会の副会長を務める小高氏がチュークを訪れた。
そもそもの発端は今から20年ほど前に遡る。
当時チューク政府のある若者が漁業研修で日本各地を回り、小笠原の父島を訪れた際にこの南洋踊りの歓迎を受けた。
この踊りを見たチュークの研修生は自分の国・チュークの踊りとのあまりの類似性に驚き、『この踊りはチューク州のパッティウ地方の踊りととても良く似ています』と告げた。
そもそもの発端は今から20年ほど前に遡る。
当時チューク政府のある若者が漁業研修で日本各地を回り、小笠原の父島を訪れた際にこの南洋踊りの歓迎を受けた。
この踊りを見たチュークの研修生は自分の国・チュークの踊りとのあまりの類似性に驚き、『この踊りはチューク州のパッティウ地方の踊りととても良く似ています』と告げた。
この事を聞いた小高氏は、チュークのパッティウ諸島の事が片時も頭を離れず、念願かなって今回の訪問となった。
パッテイゥ地方は、チュークとヤップの間に広がる3つの環礁・島々の総称である。
チュークの伝統的な歌や踊り、民族的な習慣等を最も色濃く残す地方でもある。
ところがパッティウ諸島に行く定期便は無い。
大きな船舶をチャーターして行くしか方法はないし、とても個人でチャーターできる金額ではない。
パッテイゥ地方は、チュークとヤップの間に広がる3つの環礁・島々の総称である。
チュークの伝統的な歌や踊り、民族的な習慣等を最も色濃く残す地方でもある。
ところがパッティウ諸島に行く定期便は無い。
大きな船舶をチャーターして行くしか方法はないし、とても個人でチャーターできる金額ではない。
やむなくパッティウ行きはあきらめ、他の島々の手配していた時、思いもかけない朗報が舞い込んだ。
パッティウに政府の船が行くと言う。
しかも、4泊5日のPULAP島(ポンナップと発音)行きだと言うではないか。
ポンナップ島は、パッティウ諸島の中でも最も伝統的な行事や生活習慣を残しているところである。
そのポンナップ島でキリスト教伝来100年祭の一大行事が執り行われると言う。
これぞ千歳一隅のチャンス!!
小高氏の喜びと興奮は頂点に達した。
早速帰国便を変更しポンナップ島行きの船に乗り込んだ。
76歳と高齢で言葉や勝手もわからず心配なので、現地の日本人・末永かおるが案内役を買って出た。
パッティウに政府の船が行くと言う。
しかも、4泊5日のPULAP島(ポンナップと発音)行きだと言うではないか。
ポンナップ島は、パッティウ諸島の中でも最も伝統的な行事や生活習慣を残しているところである。
そのポンナップ島でキリスト教伝来100年祭の一大行事が執り行われると言う。
これぞ千歳一隅のチャンス!!
小高氏の喜びと興奮は頂点に達した。
早速帰国便を変更しポンナップ島行きの船に乗り込んだ。
76歳と高齢で言葉や勝手もわからず心配なので、現地の日本人・末永かおるが案内役を買って出た。
18時間の航海でポンナップ島沖に到着、迎えのボートでポンナップ島上陸。
歓迎の宴もそこそこに、島はすでに100年祭のお祭りムード一色。
小高氏も持参の伝統衣装に身を包み、早速、小笠原に伝わる南洋踊りを披露する。
文明国で継承されてきた南洋踊りの原点を今、目の前で見つめている。
3日間の踊りの渦の中で南洋踊りのルーツを確信したのは言うまでもない。
歓迎の宴もそこそこに、島はすでに100年祭のお祭りムード一色。
小高氏も持参の伝統衣装に身を包み、早速、小笠原に伝わる南洋踊りを披露する。
文明国で継承されてきた南洋踊りの原点を今、目の前で見つめている。
3日間の踊りの渦の中で南洋踊りのルーツを確信したのは言うまでもない。
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