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チューク環礁の北北西の端に、プサモエ島と言うきれいな島がある。

7年前の大嵐で一夜にして消滅した幻の無人島で、今また復活して小さいながらも緑が生え始めた。

かつて嵐で消える前は、日本のメディアにも数多く紹介され、チュークを訪れた旅行者に最も愛された無人島だ。
私の名刺にも、かつてのこの絶世の美女の姿が刷り込んである。
プサモエ島の復活は、無人島が売り物のチュークにとってはとても嬉しい限りだ。

ところで、このプサモエ島が消滅した時に書いたエッセイがあるので、皆さんにご紹介したい。
それは2005年の出来事だった。

『 無人島消滅 』 - 島もまた漂流 -

5月の下旬、西日本を襲った時期早々の台風を皆さんは覚えていらっしゃるだろうか。
西日本で多大な損害をもたらしたこの台風4号は、ミクロネシア随一とも言われる華麗な無人島を一夜にして破壊してしまった。全く跡形も無く。

過去にチュークを訪れた殆ど全てのダイバーや観光客、釣り人達の憧れの島であった『プサモエ島』はもうこの世には無い。申し訳程度に残ったわずかばかりの砂浜が、『プサモエ島』がそこにあったことを偲ばせるだけだ。
西日本を襲う10日程前、この台風はチュークの海で生まれた。
渦の中心をチューク環礁の北西に据え、殆ど移動する事も無く、日毎に巨大な雲の渦を形成していった。その勢力は膨大で、チューク環礁を離れる時のこの熱帯低気圧の雲の領域は半径・最大で1000キロにも及んでいた。その当時、グアム、サイパンの業者仲間に台風接近の危険信号を送った覚えがある。

周囲200キロに及ぶチューク環礁は、約100個近くの島々と数多くの砂浜や浅瀬から形成されている。その中で人が住んでいる島は20島、あとは全て無人島だ。その中には、ジャングルを形成して長さ数キロにも及ぶ大きな無人島もあれば、プサモエ島のように小さな可愛い無人島も沢山ある。
今回の台風で犠牲になったのは不運にもこのプサモエ島だった。こんなに沢山ある無人島の中で、どうしてプサモエ島だけが犠牲になってしまったのか。疑問に思われる方も沢山いらっしゃる事と思う。

『プサモエ島』は年寄りに聞いても全く判らないくらい昔から存在していた。
日本時代は『菊島』と呼ばれ、100年ほど前の地図にはすでに記載されている。
おそらく何百年の単位だと思われる。
『プサモエ島』はチューク環礁の北北西の突端に位置しており、一番、台風の影響を受けやすい所にある。
以外に思われるかもしれないが、元来、チューク地方は台風の非常に少ない地域だった。
私がチュークに来るようになってからでも、すでに25年が過ぎているが、その頃でもチュークに来る台風は4~5年に1個位の割でしかなかった。チュークの年寄りにも、いつもそう聞いていた。

チューク環礁の緯度は北緯7°~8°に位置する。
北赤道のこの辺りは熱帯海洋性気候と言い、年間を通して熱帯の高気圧帯に属し、北東の貿易風下にある。
12月~3月頃まではこの貿易風が強くなり、5月~10月頃には貿易風もおさまって海も陸も穏やかな季節を迎える。
よく、グアムやサイパンなどのマリアナ諸島とチューク地方の気候をミックスして同じ様に案内しているものを見受けるときがあるが、これは間違っている。マリアナ諸島は緯度が15°前後で、気候的にはモンスーン気候の影響を大きく受けている。このために雨季、乾季がはっきりしており、ミクロネシアの東側の地域とは異なった気候区分になっている。

台風は、このミクロネシア海域でよく発生する。
しかも、それは、熱帯高気圧帯の北側、すなわち北緯10°から15°の海域において発生し、北西に進んでいく。
台風は低気圧帯なので、常に高気圧帯に覆われているチューク地方にはなかなか入って来れない、ということになる。
そういうことから、過去に発生した台風は殆どがチュークの北側を通り、マリアナ方面に向って行くと言う訳だ。

しかし、そういう気候の定説もここ数年来崩れつつある。
世界的な異常気象の影響かもしれないが、来ないはずの台風や長期間に渡る高潮などが頻繁に発生し、少しずつ海岸線やひ弱な無人島を蝕んでいる。今回の『プサモエ島の消滅』もこういう前触れがあっての事と思われる。
去年、チュークには大きな台風が2回襲来した。その他にも大きな熱帯低気圧の通過や高潮時の嵐などで、環礁の北西に位置するプサモエ島は西側の海岸線から序々に侵食されていたのを覚えている。
チュークを襲ったり通過する台風は、殆どがチュークの北側を通る。そのために西側からの風が強くなり、外洋の大きな波がプサモエ島を一気に襲う事となる訳だ。去年から今年に掛けてやってきたこれらの一連の嵐の数々が、プサモエ島を一夜にして消滅させた大きな要因だったと思われる。あの時の巨大な低気圧のことを考えると、きっと、とてつもない大きな波がプサモエ島を襲ったに違いない。

6月のある日、釣り客を案内して、北西のアウトリーフに向かった。
釣りをしながら北上し、プサモエ島に上陸して食事休憩をとる予定だった。
ところが、プサモエ島の見える位置に来てもプサモエ島を見る事ができない。
その時はまだ、まさか島が消えうせているなどとは思いもよらない事なので、なんとなく、『おかしいなあー』位にしか思っていなかった。
『プサモエ島』と並んで、そのそばにちょっと大きな『ピシリーリ島』という島がある。その時は漠然と、『あー、きっとピシリーリと重なっているんだな、だから見えてないんだな』と思い、釣りのガイドに専念していた。
そのうち、ローカルのボートオペレーターもその異変に気が付き、『スエナガ、プサモエはどこだ!』と言ってきた。
その時はまだ、『ピシリーリと重なっているんだろー』と、簡単に答えただけだった。
しかし、その時にはもう私の頭の中は疑問が渦を巻いていた。

この距離までくると、この角度からだと、いつも見慣れたピシリーリとプサモエの遠景が必ず見渡せるはずだ。
しかし、そこには、ピシリーリ島しか見えないではないか!
この位置から見て、ピシリーリ島と重なっているはずがない! 
無い! きっとプサモエは無くなっている! でも、どうして! 
何百年もの間、何十回と無く台風や嵐をしのいできたのではなかったのか? 
今年になって、島を消滅させる程の、そんなにひどい台風は無かったはずだ! 
何か超常現象でも起こってしまったのか! 
私の頭の中はすでに、ありもしないそんな事まで考えていた。

ボートをプサモエに向って走らせた! 
ダブルエンジンをフル回転させて走らせた! 
プサモエのあるべき位置が段々近くなって来る! 
しかし、依然として、見えているのはピシリーリの島影だけだ! 
プサモエの南側のパスに差し掛かった。
過去に私が漂流の出発点となったあのパスである。もう、疑う事はなかった! 
無い! 何も無い! 椰子の木どころか、草木の1本も無いではないか! 
一切がこの世から消え去っている! 

見慣れたいくつかの岩の中にわずかばかりの砂浜が顔を出している。
プサモエの横を猛スピードで走りながら、わずかに残された砂浜を横目で追ってゆく。その目に涙がとめどなく溢れてくる。涙が頬を伝う。
プサモエ島の思い出が走馬灯のように頭を巡って行く。
色んな人達の顔が次々と思い出されては消えて行く。
1つの時代が終わったのだ。
それにしてもなんと言う運命だろう。なんという巡り合わせだろう。
何百年もの間その優美な姿を誇ってきた『プサモエ島』が、よりによって、今、この私の目の前で消えてしまうなんて。

私のチュークでの仕事はこのプサモエ島と共にあったと言っても過言ではない。
ダイバー、スノーケラー、ハネムーナー、家族連れ、釣り人達、そして数多くの恋人達がこの楽園に遊んだ。
プサモエは究極の無人島だった。
それが、今、はっきりと終わりを告げたのだ。
ご存知の通り、チュークには沢山の綺麗な無人島がある。その中でもこのプサモエ島は別格の存在だった。

このプサモエ島とならび、私のチュークでのライフワークの1つとして重要な無人島の1つに、『パラダイスアイランド』というきれいな砂の島がある。
チューク環礁の東端にあり、その海域にボートが入って行くときの素晴らしさは、何度行っても、何百回見ても感動する。
私がチュークに来た頃、パラダイス島は沢山の木が生えており、やしの木も5~6本生えていた。
その海のすばらしさから、何度か、日本の娯楽番組やコマーシャルにも登場したことがある。吉野雄輔さんのすばらしいサンゴの写真もこの海から切り取ったものも少なくない。そんなパラダイスアイランドも15年程前から少しずつ侵食され、ついに10年程前に完全に陸上から姿を消してしまった。
そこには、砂浜すらなく、ただ遠浅のきれいな海域が広がっているだけだった。
そうして、3年程前の嵐が続いた後、忽然として、また同じ位置に砂浜が姿を見せた。 この3年間、少しずつビーチの大きさを増やし続け、現在では小さな木も生え始めている。『パラダイスアイランド』が復活したのは言うまでも無い。
『プサモエ島』が無くなった今、この『パラダイスアイランド』の復活は、チュークにいらっしゃるお客様にとっても、私達にとっても、とてもうれしい事である。

チュークの無人島は殆どが砂浜だけから成っている。
環礁の岩盤の上に砂浜が出来、やしの木が生える。砂上の楼閣である。
砂は流れ、砂は移動する。島は消え、島はまた復活する。

人知れず散っていった『プサモエ島』の姿を思うにつけ空しさが込み上げてくる。
『プサモエ島』もまたいつの日か復活するのだろうか。