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この度の巨大地震による、被災者の方達、お亡くなりになられた方達、すべての方達に、心からお悔みとお見舞い申し上げます。

地震発生の数時間後、太平洋諸地域も、津波の襲来を予想し、大変な混乱に見舞われました。

先のスマトラ沖地震、そして、三陸地方に空前の津波被害をもたらしたかつてのチリ津波地震。

過去の教訓から、ミクロネシア地方も即座に厳戒態勢がひかれました。

私達の住むここチュークでも、ホテルに滞在する全ての観光客は、港の後方高台にあるチューク病院に非難しました。

そして私は、この千載一遇のチャンスを見逃してなるものかと、ホテルの桟橋に駆けつけ、地球史に残るような巨大地震による津波観測を行いました。

周りは無謀ではないかとの意見もありましたが、私には私なりの安全確信がありました。
チュークは、周囲200キロに及ぶ環礁に囲まれています。
いわば、巨大な、強固な防波堤に囲まれているようなものです。
津波の波とその波のエネルギーは、アウトリーフの環礁で一端破壊され、環礁内に流れ込んできます。

震源地に近い場合ならともかくとして、日本から4500キロ離れたこのチュークでは、かなり津波のエネルギーも弱くなっています。しかも、過去の事例からも、かつての言い伝えや、観測データ―からも、おそらく2mを超える事はないだろうと予測していました。
もし、2、3mの津波が来ても、環礁内では、いわゆる、津波としての巨大波ではなく、海水面が静かに上下する、と踏んでいました。ただし、万一の場合に備えての準備は怠りなくやっていました。
観測ポイントのすぐ傍に、頑丈なコンクリート製のシャワー施設があり、その屋上に飛びあがれば、3mの津波(海面上昇)があっても問題ありません。念のためにライフジャケットも付けていましたし、しかもこの夜は新月明けの干潮にあたっていましたから、1mくらいの海面上では、大潮時の満潮と同じくらいにしかなりません。

チュークへの津波到着予定は、現地時間で午後8時34分。
その10分ほど前に、ホテルの桟橋に、自作の観測バーを取り付けました。
観測バーを桟橋に固定した時、すでに海面上昇は始まっていました。
津波による海面上昇であることは明らかでした。
その後の5分間で一気に20センチメートルの上昇が見られました。
ただし、津波を連想する『波』ではなく、予想した通りの静かな海面上昇でした。

その後、海面は急激に下がり始め、ホテルの照明に照らし出された海岸は、見る見るうちに後退を始めました。
まるで、津波の映画を見ているようでした。
15分間で-75センチメートル、ホテルのビーチは一気に広がり、沖合の珊瑚礁が次々と姿を現し始めました。

『大津波は、急激な引き潮の後にやって来る』と云うのは、津波の常識です。
その前に海面上昇があったのがちょっとひっかかりはあったものの、この現象は、大津波の前兆かもしれないと思い、
ホテルのフロントに居残っていたスタッフに注意を呼びかけました。

私は観測ポイントにとって返し、詳細に観測を続けました。
心配は徒労に終わりました。
海面上昇後の急激な引き潮は、津波が去って行く時の引き潮であることがその後の観測で判りました。

結局、今回の津波による海面上昇は40センチ、最大干満は、80センチメートル、という観測結果を得ることが出来ました。

東京の大使館に勤める長男(邦雄)にこの観測結果を報告し、ホテルにも、非公式ではありましたが、自分の見解で安全を伝えました。