今から67年前の2月、終戦の1年半前・・・。
トラック諸島は、アメリカ軍の機動部隊による未曾有の大空襲を受けた。
トラック環礁の周りには、70隻にも及ぶアメリカの大艦隊が取り囲み、トラック環礁に出入りする船舶、環礁内に停泊していた船舶はことごとく沈められてしまった。その数は環礁内外でなんと100隻に近い。
さらに、7隻の航空母艦から発艦する飛行機は、2日間で延べ1200機に及び、爆撃機からの爆弾、戦闘機からの機銃掃射が、正に雨あられのごとくトラック環礁の島々を襲った。
そして並みいる軍艦からの艦砲射撃は動かぬ島々を標的として、軍事基地、民間人、現地人の別なく、島々を粉々に打ち砕いた。
この2日間のアメリカ軍の攻撃で『東洋のジブラルタル』と評されたトラック島の軍事基地は壊滅した。
この大空襲を受け、この時期には、日本からの慰霊のツアーをよくお迎えする。
今週もまた、トラック島周辺海域で亡くなられた方達のご遺族による慰霊祭が行われた。
トラック環礁を見下ろす丘の上で、かつての病院跡で、飛行場跡で、各島々の慰霊碑の前で、沈船・そして洋上での慰霊と、
10か所に及ぶ場所での慰霊祭が執り行われた。
10か所に及ぶ場所での慰霊祭が執り行われた。
家族と2度と会うことなく異国の土となってしまった父親・・・、無念にも祖国の土を踏むこと無く散っていった同胞。
緑の島に、青い海の底に、1万人に近い同胞が今も眠っている。
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