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戦前、日本全土で消費する鰹節のなんと6割をこのミクロネシア地域で生産していた。
化学調味料がまだ少なかった戦前の話である。

日本統治時代のミクロネシア(南洋群島)では、盛んに鰹節(カツオ節)の製造がおこなわれていた。
そして、ここチューク(トラック)諸島はその一大生産地であった。
諸島内の各島々にはたくさんの鰹節工場とその基地となる港が造られた。

チューク諸島はカツオ漁場の真っただ中にある。
早朝に出漁し、夕刻にはすでにカツオを満載した船が港に帰って来る。
その日のうちに新鮮なカツオを捌き、釜ゆでし、乾燥に掛ける。
多くは天日干しにされた。
こうして出来上がった鰹節は“南洋節”と呼ばれ、高級品として日本本土で重宝された。

その中心になったのは、沖縄からの移民の人たちだった。
各島の工場は、100人~200人の人達で構成され、島々には沖縄の人達のコミュニティーが出来ていた。
最盛期には、このような人達だけでも優に5000人は超えていたと思われる。

今日、日本からの研究者をご案内して、そんな港・港を巡ってきた。
活気にあふれていたかつての港は、何もかもが廃れてしまい今ではもう見る影もない。

そんな中、当時の住居跡や井戸が今も現地人達に受け継がれ、当時の人達の生活振りを偲ばせていた。