チューク環礁はかつての日本時代、トラック島と呼ばれ日本有数の軍事基地が置かれていた。
写真に紹介したこの高射砲たちは、当時、春島と呼ばれたモエン島のとある山頂にある。
この山は、竜がくねったような山容を呈しているところから竜王山と名づけられた。
日本時代にはその竜の背に、ふもとの海岸から山頂まで軍用道路が通じていた山である。
終戦から65年経った今、その道路もほとんどがジャングルにのまれ、山頂付近の高原地帯にのみわずかに当時の面影を残すのみである。
写真に紹介したこの高射砲たちは、当時、春島と呼ばれたモエン島のとある山頂にある。
この山は、竜がくねったような山容を呈しているところから竜王山と名づけられた。
日本時代にはその竜の背に、ふもとの海岸から山頂まで軍用道路が通じていた山である。
終戦から65年経った今、その道路もほとんどがジャングルにのまれ、山頂付近の高原地帯にのみわずかに当時の面影を残すのみである。
先週の土曜日、日本から来た友人を誘って、妻のカオルと3人で山頂を目指した。
蛮刀片手にジャングルの急坂を上ってゆく。
およそ1時間後、視界は一気に開け溶岩台地の高原に出た。
眼下にはトラック環礁が360度のパノラマとなって開けている。
高原とジャングルを歩くことさらに1時間余り、目指す高射砲陣地に到着した。
標高は250~280mの広い高原地帯だ。
かつての日本時代、250人の高射砲陣地部隊が2年間の長きに亘って駐屯していたところである。
蛮刀片手にジャングルの急坂を上ってゆく。
およそ1時間後、視界は一気に開け溶岩台地の高原に出た。
眼下にはトラック環礁が360度のパノラマとなって開けている。
高原とジャングルを歩くことさらに1時間余り、目指す高射砲陣地に到着した。
標高は250~280mの広い高原地帯だ。
かつての日本時代、250人の高射砲陣地部隊が2年間の長きに亘って駐屯していたところである。
山を刳りぬいて造られた2つの砲台には、巨大な大砲が2門、豪の入口から眼下の海を睨んでいる。
山頂に広がる高原地帯には高射砲が5門、当時応戦したままの恰好で、今も空をにらみ続けている。
そして山頂付近の道路のそばには、大砲の基部と取り付け基盤、砲身と砲弾格納箱が、
今しがた荷降ろしを済ませ、あたかも組み立てを待つかのように、高原の草の中に座っていた。
山頂に広がる高原地帯には高射砲が5門、当時応戦したままの恰好で、今も空をにらみ続けている。
そして山頂付近の道路のそばには、大砲の基部と取り付け基盤、砲身と砲弾格納箱が、
今しがた荷降ろしを済ませ、あたかも組み立てを待つかのように、高原の草の中に座っていた。
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