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1944年2月17日・18日の両日、トラック諸島は未曽有の大空襲に見舞われた。
2日間での爆撃機の数・延べ1200機以上。
この2日間で、民間人を含む1万人以上の日本人と、多くの現地人が犠牲となった。

そして、65年後の今日、2月17日、アメリカ軍と現地政府による慰霊祭が厳かに執り行なわれた。
アメリカ軍の犠牲者を読み上げる式典の中に、一人の日本人遺族の姿があった。
小林良弘・77歳。
彼の父は、65年前の戦闘で戦死し、今もこのトラック諸島の海底に眠っている。

彼の子供たちがまだ小さかった頃、『うちのおじいちゃんはどこにいるの?』
子供達や甥っ子達は、純粋な疑問を何度も何度も彼に投げかけた。
小さな子供達に戦争の事を話しても理解できない。
しかし、私が死んでしまったら父のこと(おじいちゃんの事)を教えてくれる者は誰も居なくなってしまう。子供達にも立派なおじいちゃんが居た事を教えてあげなくてはいけない。
それから彼は時間を作っては父のことを調べ始めた。
戦争の事。
父の生きた時代の事。
父の軍人としての軌跡。

父の経歴をたどって行くうちに、横須賀からトラック島に向かって出港したところで止まってしまった。
『父の眠るトラック島に行かねば・・・。』
トラック島行きを決意した。
父の命日にあたる2月17日・18日、トラック大空襲の日を旅行日と決めた。

彼の父は、巡洋艦・『香取』の機関士として乗り込み、65年前の2月トラック諸島の夏島に居た。
引き揚げ船団の護衛艦として夏島を離れる予定が1日遅れ、運命の2月17日の未明、内地に向け出港した。
まさにその時、敵の猛攻に遭い、奮戦むなしく船団もろとも海の藻屑と消えてしまったのである。
今回の訪問で、いままでおぼろげだったトラック島の事が体中に溢れるほどに吸収できた。
父の軌跡を追い、父が乗船していた『香取』の最後の航跡もたどることができた。

父は今もこの海に眠っている。
65年前、別れて行った父の顔が水面に映る。
子供や孫たちに、
『おじいちゃんは、南の島に眠っているんだよ』と教えてあげることができそうだ。