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今日は久しぶりに、山歩きをした。
山頂に向かう途中のジャングルの中にも、方々に民家が点在している。
山中で暮らす人々を訪ねるのもまた楽しいものだ。
草原の尾根からの眺めは特に素晴らしく、稜線をなでる風が疲れた体に気持ちがいい。
天気にも恵まれ、さわやかなハイキングとなった。

目指す山の山頂には日本時代の神社跡(春島神社)があり、
その周辺の山中には、当時の守備隊の墓地が2つある。
かつて、20年ほど前に、日本からのお客様を何度かご案内して訪ねた場所でもある。
1つはこの辺一帯に駐屯していた松本連隊の墓地。
これは何度も行っているのですぐに分かったが、もうひとつの墓地がなかなか見つからない。
トラック神社跡の近くという記憶はあるのだが、何せ20年も前のことで、ジャングルを搔き分け搔き分け
探したもので、今となっては記憶も定かではない。

第六防空隊という部隊で、空港周辺の防備に当たっていた部隊だ。
本部跡は今も空港そばの裏山に沢山の遺跡が残っており、支部隊のお墓がこの春島神社跡の近くにある。
かつて、厚生省の遺骨収集の際に、墓地は発見されたが、時間が足りなくて遺骨収集を断念した経緯がある。その数年後に関係者がいらしたときも、とうとう発見できずに、神社跡で慰霊祭を行った。
この第六防空隊については、私も何度か春島内の部隊跡をご案内した方達だったので、今日は何とかしてその墓地を見つけ出したい、という気持ちがとても強かった。

そして、今日。
松本連隊の墓地を後にして春島神社に向かうジャングルの中、突然現地の案内人が、ジャングルの草むらを指さして、『ペイヤス! ペイヤス!』(お墓)と叫んでいる。
聞くと、ここに当時の日本人のある部隊のお墓があると言う。
彼は以前、このあたりを歩いた時に老人に教わったと言っている。
そこには、私が関係者から何度も聞いていた小さな石積みの跡がきれいに残っていた。
状況的に見て防空隊のお墓であることに間違いない。
現地の案内人が、蛮刀を使って周りの木々やブッシュをきれいにしてくれる。
石垣の全貌が見えてくるにつれて、かつてご案内した防空隊の方達の無念の表情が昨日のことのように思い出されてくる。
この下に、60数年前彼らと生死をともにした戦友達が眠っているのだ。
場所を脳裏に焼きつけ墓地を後にした。