トラック環礁はかつての日本時代、海軍の一大基地となっていた。現在の中心地モエン島もその1つで、日本時代は春島と呼ばれていた。この島の東端の小高い山頂には日本時代の灯台が立っている。
もう今は使用されてはいないが、建物は当時の姿そのままに残っており、そこに立つと今も広いトラック環礁を一望に見渡す事ができる。日本時代の春島の名前を取って、この灯台は『春島灯台』と呼ばれていた。先日、仕事の合間を縫って、久し振りにその灯台に登って来た。ノンビリと半島の集落を散策しながら山間の路に入ってゆく。当時はふもとの海軍桟橋から山頂の灯台まで軍用道路が通っており自動車で登れた道だ。灯台の下には、今もドイツ時代の大砲が残っている。胸突き八丁、長い灯台の取り付け階段を登りきると一気に展望が開ける。真東には北東水道が外洋に向って大きく口を開けている。かつて、戦艦大和や戦艦武蔵などの艦船群がここを通ってトラック環礁に入ってきた。春島灯台は、日本海軍の艦船の道しるべとなった灯台だったのである。そして、2日間で述べ1200機にも及ぶ米軍の猛攻激を目の当たりに見てた灯台でもあった。今は時折訪れる観光客や学校の生徒達の格好のハイキングコースとなっている。
もう今は使用されてはいないが、建物は当時の姿そのままに残っており、そこに立つと今も広いトラック環礁を一望に見渡す事ができる。日本時代の春島の名前を取って、この灯台は『春島灯台』と呼ばれていた。先日、仕事の合間を縫って、久し振りにその灯台に登って来た。ノンビリと半島の集落を散策しながら山間の路に入ってゆく。当時はふもとの海軍桟橋から山頂の灯台まで軍用道路が通っており自動車で登れた道だ。灯台の下には、今もドイツ時代の大砲が残っている。胸突き八丁、長い灯台の取り付け階段を登りきると一気に展望が開ける。真東には北東水道が外洋に向って大きく口を開けている。かつて、戦艦大和や戦艦武蔵などの艦船群がここを通ってトラック環礁に入ってきた。春島灯台は、日本海軍の艦船の道しるべとなった灯台だったのである。そして、2日間で述べ1200機にも及ぶ米軍の猛攻激を目の当たりに見てた灯台でもあった。今は時折訪れる観光客や学校の生徒達の格好のハイキングコースとなっている。
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