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トラック島(チューク)には太平洋戦争時の遺構がたくさん残っている。
戦跡や沈船、多くの桟橋、公共建築物、街の跡など様々だ。
そして、当時建立された石碑や慰霊碑などもその1つである。
中には風化して判読不明のものもある。
そんな慰霊碑や碑文を、今のうちに拓本にとり後世に残そうと立ち上がった人がいる。
静岡の永島徳蔵氏(66歳)、人呼んで『仏の徳さん』その人である。
彼はこの10年来毎年のようにチュークに通っている年配のダイビング仲間の1人でもある。
去年の11月、ダイビングの合間に1日休みを取り、日本時代の中心地だった夏島を訪れた。
その折に夏島の艦隊司令部にある石碑を目にしたが、碑文の文字が旧仮名遣で解読不可能だった。
この石碑は、当時の第四艦隊司令長官・武田盛治中将の名で建立されたものだ。
これまでにご年配の方達も沢山ご案内したが、誰一人として解読できる人はいなかった。
トラック島に人一倍愛着を感じている徳蔵さんは、拓本を思いついた。
そうして準備万端、満を持しての今回の訪島となった訳である。
昔とった杵柄で、手際よく作業を進めていく徳さん。
この日、夏島・春島の両島で5枚の拓本をとる事に成功した。
お供をした私も、お陰でそのノウハウを完全に頭に叩き込む事が出来た。
今後は、徳さんの意向を継いで、残った石碑の拓本つくりは私が引き継ぐ事になった。
これからまた、余暇を見ながら戦争の記憶を拓本に残して行きたいと思っている。