モエン島の中心街・港の周辺には、、丸い大きなトタン屋根の古い建物が幾つか残っている。
これは終戦直後にアメリカ軍によって建てられたもので、当時は『カマボコ兵舎』と呼ばれていた物だ。丸い屋根の形状が日本の蒲鉾(かまぼこ)に似ているからである。
日本時代のチュークには、海軍や陸軍の大きな基地があり、沢山の兵隊達が駐屯していた。
終戦になりアメリカ軍の統制下、捕虜となった日本兵の一部はここモエン島(春島)に集められ、日本に送還された。その時の日本兵を収容したのが、このカマボコ兵舎だったのである。
このカマボコ兵舎が現在も尚、10棟程残っており、政府や民間の倉庫として利用されている。
港の近くに『T・T・C』(トラック・トレーディング・コーポレーション)という会社がある。
貿易と小売業を行なうチューク地方最大の会社だ。終戦直後、現地日系人によって起業され、トラック島唯一の株式会社として発足した。当時まだ現地人にはなじみの無かった『株』を売買したところから、この会社の名前を『KABU』と呼ぶようになった。この名前は今も現地人の間でこのストアーの名前として使われている。T T C のスタートは、このカマボコ兵舎を利用したものであった。以前私がチュークに来ていた頃も、裸電球をつけた薄暗いこのカマボコ兵舎のストアーでよく買い物をしたものである。
当時、日本兵を収容したカマボコ兵舎は、終戦から60年経った今も尚、港を見つめて働き続けている。
これは終戦直後にアメリカ軍によって建てられたもので、当時は『カマボコ兵舎』と呼ばれていた物だ。丸い屋根の形状が日本の蒲鉾(かまぼこ)に似ているからである。
日本時代のチュークには、海軍や陸軍の大きな基地があり、沢山の兵隊達が駐屯していた。
終戦になりアメリカ軍の統制下、捕虜となった日本兵の一部はここモエン島(春島)に集められ、日本に送還された。その時の日本兵を収容したのが、このカマボコ兵舎だったのである。
このカマボコ兵舎が現在も尚、10棟程残っており、政府や民間の倉庫として利用されている。
港の近くに『T・T・C』(トラック・トレーディング・コーポレーション)という会社がある。
貿易と小売業を行なうチューク地方最大の会社だ。終戦直後、現地日系人によって起業され、トラック島唯一の株式会社として発足した。当時まだ現地人にはなじみの無かった『株』を売買したところから、この会社の名前を『KABU』と呼ぶようになった。この名前は今も現地人の間でこのストアーの名前として使われている。T T C のスタートは、このカマボコ兵舎を利用したものであった。以前私がチュークに来ていた頃も、裸電球をつけた薄暗いこのカマボコ兵舎のストアーでよく買い物をしたものである。
当時、日本兵を収容したカマボコ兵舎は、終戦から60年経った今も尚、港を見つめて働き続けている。
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