チュークに移住してから早くも27年が過ぎた。丁度人生の半分をこの南の島で過ごした事になる。
家庭を持ってからも殆どが南の島での生活だった。妻と、3人の息子達が私の家族だ。

長男は邦雄、25歳。ミクロネシア国籍を持ち、現在、日本の大学に在籍している。古都・京都で、遊びに・アルバイトに・勉学にと、忙しい日々を送っているようだ。今後、何処でどう生きて行くのか、親父である私にも全く想像がつかない。広い地球、どこかで自由に生きて行ってくれればいいと思っている。子供と言えども所詮は一人の人間で全く別個の人格・人生である。己が心に悔いることなく、思うが侭の人生を送って欲しいと願っている。

次男は友(ゆう)、16歳。現在、現地のザビエルハイスクールという高校に在学している。チューク諸島の中心・モエン島の最東端の丘の上にその高校はある。厳しい受験競争をクリアして、ミクロネシア全域から生徒達が集まってくるこの高校は、カトリック系の厳しい学校としてミクロネシア全土にその存在を知られている。男子は全寮制で、生徒達は厳しい校則の基に厳格、かつ、楽しい学校生活を送っている。日本人はうちの次男坊ただ一人だけである。

もう一人の息子・3男坊が11歳で、家の近くの、これもまたキリスト教系の学校に通っている。ここでも日本人の子供は、うちの坊主ただ一人だけだ。チューク諸島には日本人は10人くらいしかいなくて、そのうちの約半分は我が家のメンバーである。純粋の日本人の子供と言えば、うちの2人だけしかいない。そんな環境の中で、息子達は自分の胸に様々な問題やストレスをかかえながら大変よく頑張っている。この11歳の坊主の名前は、海(ひろみ)、広い海をイメージして付けた名前である。彼が生まれた時、ホテルのビーチで友人と夜通し飲みながら考えた名前である。 今回は、11歳のヒロミを通じてチュークの中を覗いてみよう。

チューク諸島の人達は100%がキリスト教(クリスチャン)である。そこには、カトリック、プロテスタント、など様々な宗派が入り混じっている。そしてその宗派がそれぞれに学校を経営している。息子のヒロミが通う学校もそんなキリスト教系の小さな学校の1つである。
1学年1クラスで、1クラスの人数は10人~20人とマチマチである。ミッションスクールと言えば聞こえはいいが、所詮は僻地の小さな学校で、我々日本人の常識からすると沢山の問題が目に付くのは致し方の無い事でもある。

昨年のある日、昆虫採集の宿題が出た。チューク諸島では昆虫はとても少ない。チョウチョやバッタもいるにはいるが驚くほど小さい。おまけに、トンボやセミはこれまた小さい上に、めったに見かけないときている。宿題の昆虫は3種類、生きた状態での採集が条件となっている。さっそく、ヒロミと2人で採集に出かけた。昆虫採集用の網などそんなしゃれたものは無い。追っかけて追っかけて、すべて手づかみである。 2人で悪戦苦闘して、やっと宿題の条件に見合うサイズのバッタやトンボを3種類をゲットした。ジャムの空き瓶のフタに釘で穴を空け、中に草と水を少し入れてバッタ達を入れる。トンボはまた別の容器に入れて、元気な状態にして翌日学校に持って行った。ヒロミはクラスの友達が何をゲットしたかとても楽しみにしていた。当然みんなが自分と同じ様な状況で昆虫を採集して来ていると思っていたらしい。学校から帰ってきたヒロミの第一声は、昆虫採集の結果についてだった。

『お父さん、お母さん、みんな何を持ってきたと思う?』ヒロミは一人、ニヤニヤしている。私は、しばらく考えた。現地の子供達は虫を捕まえるくらい何てことはない、朝飯前だ。
『そうだなあ、トンボ、バッタ、セミ・・・・。』と答えた。ヒロミは、『そんなもの、持ってきたのは僕だけだったよ!』 『じゃあ、なにを持ってきたんだ??』 ヒロミは盛んに笑っている。
『ゴキブリ、ハエ、アリ、シラミ! アッハッハッハー!』 『みんなそうだよ!』
私もつられて笑ってしまった。なるほど、そういう手があったか・・・、 さすがはチューキーズ! と、うなってしまった。

チュークの子供達の学校や勉強に対する姿勢は概ねこのようなもので、我々が考えるように深くはない。対する親達も同じ様なものである。なにもかもがおおらかで難しく考える必要などはさらさらないのだ。

このような、社会と子供達の中で学校生活を送っているヒロミにとっては、小さいながらも様々な問題に直面している。我々は日本人として、ヒロミにはいつもそれなりの準備をさせて学校に送り出す。ヒロミの学校や勉強はいつも妻が見ている。女の几帳面さから、いつもヒロミのカバンの中身やノート、筆箱などをチェックしている。そして、その都度、鉛筆がなかったり、消しゴムが無かったりするときがあり、妻がヒロミに注意している。ヒロミは一言、『無くなった。』と言っている。 妻、『どうして?』 ヒロミ『みんなが勝手に僕のカバンから持っていく。』 妻、『えーーー!』 ヒロミ、『水筒の水もいつの間にか無くなっているし、水筒も壊れている。』 ヒロミが友達に注意すると、『ああ、チョット借りたよ。』という返事が返ってくる。 決して謝ったりはしない。

ある時期、あまりにもひどい時があったので担当の先生にクレームした事がある。以下、先生の返事である。『どうして、みんなに貸してあげれないの? なんで助け合ってやっていけないの?』逆にこちらが注意されたものである。こうなると、妻もヒロミも何も言えない。チュークで手に入る学用品には粗悪品が多い。従って、うちでは3人の子供達のためにいつも日本から学用品を買い求めて使用して来た。その貴重な学用品なので、妻もヒロミもよけいに頭に来る訳だ。それでも頭に来ているのは、我々日本人家族だけで、クラスメート達は決して悪い事をしているとは思っていない。

チュークの社会ではあらゆる事が助け合いの対象で、子供達の世界とて例外ではない。
クラスメート達はお互いがお互いの学用品を共用し、誰かが持ってきた水筒からだれでも水を飲んでいるし、お弁当も皆で分け合って食べている。現地の先生が、私達のクレームに対して、『どうして、みんなに貸してあげれないの? なんで助け合ってやっていけないの?』と、逆に注意を促したのは、実はこういう社会背景があっての事なのだ。

クラスメート達が、ヒロミのかばんから学用品を持ち出すのも、水筒の冷たい水を自由に飲むのも、お弁当に勝手に横から手を出すのも、すべてこれ、ヒロミを友人として認めている証でもあるわけだ。最近になって、ヒロミもそう言うチュークの人達の国民性を少しずつ理解して来たらしく、近頃は学校生活をとてもエンジョイしている。今年はクラスのプレジデント(級長)に選ばれて、クラスをまとめるのに奮闘している。

ある日、声をガラガラにして帰ってきた。『どうしたんだ?』と聞くと、『今日は先生が居なくて、自習時間が多くて、友達にいつも大声で注意していたからのどがガラガラになった。』 と言って笑っている。翌日、学校から帰ってきて、『今日、僕の声がガラガラしているのを、どうして? って友達に聞かれたよ。』と言っている。 私が、『何て言ったの?』って言う問いに、『きのう、お前達を注意するのに大声を出したからのどがガラガラになってしまったんだよ! って言った』 そうしたら、友達は『あっ、そうかそうか、ソウリー、ソウリー!』と言ったと笑っている。

子供達は今日ものびのびとした楽しい学校生活を送っている。学校に来る事は、勉強もさることながら、友達と遊ぶ事だという。学校で友達と駆けずり回った昔の自分の子供時代を思い出す。 チュークの学校はどこも例外なく設備が不充分で、教材や教職員の不足にいつも悩まされている。おのずと教育レベルの低下を招き、今後の大きな問題の一つとなっている。僻地に生まれたばかりに充分な教育が受けれない子供達。このような子供達に、もう少しきちんとした教育機会を与えてあげたいと、切に願う。

南の島の学校で
チューク諸島 / 末永 卓幸