2018年02月

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長い間続けていたジョギングがしばらく途絶えていた。
最近の運動不足から、体が疲れやすくだるくなる傾向が出てきた。
年末年始のあわただしさから、2か月。
そろそろ体を動かさなければ、、、と思っていたところだった。

オリンピックの女子スピードスケートと東京の男子マラソンに触発され、またぞろ運動の虫が騒ぎ始めた。
4月のGWから1か月半、全く休みなしの過酷なスケジュールも控えている。
今から体を鍛えておかねば、、、と、今日からジョギングを開始した。
腹筋運動と縄跳びとジョギングと水泳。
体の調子を見ながら無理なく続けていこう。
幸い、今住んでいるブルーラグーンリゾートは、そのすべてを提供してくれる。

合言葉は、『年齢凍結・生涯青春』
限られた人生、心も体もいつまでも若々しく元気でありたい。

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現在、チュークでチョットしたリクルート活動を行っている。
慢性的な人材不足に悩んでいるサイパンの友人からのリクエストが発端だった。
チュークから外に出て働きたい若者たちに働く場所を斡旋してあげている。

就業先は『サイパンワールドリゾート』ミクロネシア最大のウォーターパークを有する大きなホテルだ。
2年ほど前に、ここで働いている古い友人から、人材募集を依頼された。
ウォーターパークのライフガード、レストランのウエイトレス、キッチン、ベルボーイ、などなど。

第一次募集で多くの応募者の中から8名の若者を厳選し、サイパンに送り出した。
ところが、実際にサイパンに到着したのは6名だけだった!
1名は飲酒トラブルで、チュークの空港で逮捕された。
もう1名は、途中のグアムでトンズラしてしまった。

そんなことがあり、2次募集からは私と家内のカオルで、サイパンまで引率していくことになった。
過去5回の募集で28名を送り込み、早くも7名が脱落した。
現在21名が一生懸命働きホテルにも貢献している。
彼らの出稼ぎの一番の理由は、チュークにいる家族への仕送りだ。
誰もが働きたい理由の第一に、『家族を助けたい』と言う。
一度も飛行機に乗ったことが無かった彼らも、観光客を相手に仕事をするうち、驚くほど変身する。
女の子は化粧を覚え見違えるほどにきれいになり、朗らかになる。

そうして今回が6回目の募集となり例によって7名の若者達を引率していった。
チュークからサイパンに行くには、グアムで飛行機を乗り換えてゆく。
無事グアムに到着し、サイパン行きの飛行機に乗り込む寸前、『サイパン行きの飛行機は欠航です』
という案内が流れた。軽飛行機がサイパン空港に不時着し、しばらくは滑走路が使えないという。
早速翌日のフライトを確保しようと、カウンターに行くと、満席で3日後でなければ行けないと言う。
おまけにホテル代、食事代、送迎費用は個人負担ときた。

結果的に翌日の夜に臨時便が出ることになり、なんとか大事は免れた。
チュークの7名は降ってわいたグアム滞在に大喜びである。
こちらはまるで小学生の修学旅行の引率よろしく、万事が万事、気が気ではない。
翌日の夜、無事サイパン到着と相成った。

早速、ホテルスタッフに若者たちを引き継ぎ、私たちは帰途に向かった。
今度はグアムを経由してチュークに戻る。逆のパターンだ。
そして、グアムに到着したとき・・・、またまたフライトキャンセル!!
今度は、チュークの滑走路が電気トラブルで照明が点かず、夜間のフライトはキャンセルだという。
そして、またしても航空会社の責任はなく、グアムでのホテル代は個人負担となった。

かくなる上は、サイパンに残してきた連中に頑張って働いてもらうのがせめてもの慰めである。
頑張れ、チュークの戦士たち!!

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歌人の金子 兜太さんが亡くなられた。享年・98歳。
金子さんは太平洋戦争時代、トラック島の海軍施設部隊に所属、2年間をトラック島で過ごした。
戦後、トラック島を訪れることはなかったが、自らの戦争体験を事あるごとによく話しておられた。
金子さんが勤務しておられた第四艦隊施設部本部の大きな建物跡が今もトラック島の夏島に残っている。

トラック島からご冥福をお祈りいたします。

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トラック島(チューク)には、太平洋戦争の犠牲となった日本人の英霊たちが数多く眠っている。
中には幼くして父を亡くした方達も多い。
そんな方たちを対象に、毎年、慰霊団が組織され、多くの方たちが父の慰霊や、戦没者の慰霊を執り行う。

特に日本遺族会のツアーでは、慰霊友好事業の中で、記念植樹が行われる。
今は亡き英霊たちに所縁・ゆかりの樹木が選ばれ、当時を偲ぶ。
ハイビスカス、プルメリア、ブーゲンビリア、南洋桜、アンブレラーツリー、などなど・・・。
これまでも多くの草花や樹木を植樹してきた。

通年、10月に慰霊事業は催されるが、そのために。年が明けるとその年の記念樹を選び、苗作りに取り掛かる。
今年の記念樹には、『マンゴー』の木を選んだ。
食糧が尽きて餓死した人も多い中で、巨木となり沢山の実を付けるマンゴーは貴重な食べ物であり彼らの栄養補給源であった。
そんな当時を偲び、マンゴーの木を植えることにした。

早速、ジャングルを駆け回り、苗木を収集してきた。
そして家の小さな軒下菜園に、小さなマンゴーの苗を6本植えた。
この中から元気に育った苗木が、10月の記念植樹に使用される。

これからの8か月間、英霊と共に、マンゴーの苗木が元気に育ってくれることを祈る。

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小さな店先のコンクリートの椅子・・・。
みんなが勝手に座っては、ゴミを散らかして行く。
言っても、張り紙をしても効果なし! 全くの無駄!

たまりかねた店主が強硬手段に出た。大きな石を並べて意志表示・いや、石表示!!
『座るな!!』

私も固い意志を持ちたいなァ~~~

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太平洋戦争の終わる1年半前の2月17日・18日の両日、トラック島はアメリカ軍による未曾有の大空襲に見舞われた。
『Hailstone』作戦だ。
その名の通り、軍艦からの艦砲射撃と航空機からの爆弾、魚雷、機銃掃射など、、、空からの攻撃は熾烈を極め、トラックの軍事施設、艦船は壊滅的な被害を被った。
多くの艦船の消失と民間軍人、アメリカ人、現地人など合わせて1万人を超える人々が犠牲になった。

本日、その記念式典(慰霊追悼式)がアメリカ軍とチューク州政府によって厳かに催された。
式典の場所は『ブルーラグーンリゾートホテル』のビーチガーデン。
ここは、日本時代の飛行場があった場所でもあり、その周辺海域は日本の連合艦隊艦隊錨地でもあった。

大空襲から74年。
戦争を知らない人達だけで模様されたこの式典は、現地女性コーラスの華やかな歌声も交え、厳かな中にも和やかな雰囲気の中で執り行われた。

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