2016年07月

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1944年2月17日、トラック諸島(チューク)。
数多くの沈船が眠る中で、アメリカ軍の猛攻を受け全滅した悲劇の船団がある。
トラック島に残っていた民間人を運ぶ最後の引揚船とその護衛の船団である。
船団の旗艦は巡洋艦・香取(かとり)。
多くの遭難者を救助し、最後まで戦った巡洋艦・香取もまた太平洋の海の藻屑と消えた。

香取で戦死した叔父の慰霊のため1人の女性がトラック島を訪れた。
神奈川県在住の小川英子さん・67歳。
元・職業軍人の長女として生まれ、父からの教えを啓示として生きてきた。
戦死した叔父もまた弟として父の背中に憧れ軍人を目指し、一等機関士として巡洋艦・香取に乗り込んだ。
父は弟の戦死通告を受けたものの、南方洋上とあるだけでその戦没地は不明のままであった。

父の死後、神奈川県が沖縄で戦没者慰霊の事業を行っているのを知り、父と叔父の無念を晴らすべく毎年その慰霊事業に参加した。沖縄なら叔父の戦死した南方洋上が望めるだろうと言う気持ちからであった。
そんな矢先、厚労省で戦没者の確認ができることを知り、早速問い合わせると、叔父の詳細な戦歴と戦没地の記録が届いた。叔父は1944年2月17日トラック島で巡洋艦・香取の乗組員として戦死していた。

矢も楯も堪らずトラック島に旅立った。
香取が眠るトラック環礁の北水道。
洋上慰霊を行い、北水道にある北島(現地名・ピス島)に立ち寄る。
叔父はこの北島のすぐ傍に眠っているのだ。
元気なうちにもう一度、叔父に会いに来たいが、果たしてどうなることやら先の事は解らない。

純粋な島人達と触れ合い、かわいい赤ちゃんの姿を目にした英子の胸に、ある思いが沸々と湧き上がってきた。
この子に託そう!
小さな貝殻で作った首飾りと交換に、自分の首から金のネックレスを外し、赤ちゃんの首に掛けた。

どうか私の愛する叔父さんの事を、私に代わっていつまでも見守ってあげてね・・・。

香取が眠る北島の海、叔父が辿った死出の道を、ボートは現実の世界へと戻っていった。

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南の島のフルーツと言えば、バナナ、パパイヤ、パイナップル、マンゴー、と言ったあたりが定番だが、島の中をよく見ると、日本人にはなじみの薄い様々なフルーツがまだまだ沢山ある。

そんな中で、最近病みつきになっているのが、写真にある小さな木の実・南洋サクランボだ。
現地名を『チー』と言う。
プチッ、と一口噛んだ瞬間、得も言われぬ甘さと食感が口の中に広がる。

このチーの木、成長がやたら早く、2年前に植えた小さな苗が今では3~4mにもなり、長い枝を何本も伸ばし、連日沢山の実を付けている。
我が家の庭で沢山の小さな実を付けているこのチーの木は、1昨年のTV取材で離島を訪れた時、知人からもらってきた苗を植えたものだ。半年ほど前、早くも小さな白い花が咲き始めたかと思うと、今ではかわいい実を枝の隅々までいっぱいに付けている。

現地人にも人気の木の実で、通りすがりにポイポイと摘んでは口の中に放り込んでいる。
木の実を失敬するのは構わないが、最近、このチーの実にご執心なおばちゃんに、枝を1本盗まれてしまった。
おまけに子供たちが、枝を引っ張っては木の実を取ろうとするので、チョイチョイ枝が折れたりもする。
最近はご難続きのチーの木だが、それにも負けずグイグイと成長し、連日私たちの口を楽しませている。

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