2016年05月

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今、チュークの島々はマンゴーが真っ盛り。
どこを歩いても、どこに行っても、みんなマンゴーをかじっている。
島の中には何処にでも巨大なマンゴーの木が生い茂っている。
そんな時、一陣の風が吹けば、丁度食べごろのマンゴーがバラバラと落ちてくる。

我々が住んでいるブルーラグーンリゾートには、広いヤシ林があり、その中に大きなマンゴーの木が2本ある。
当然、この2本の木にも沢山のマンゴーが枝もたわわに実っており、ホテルで働く人たちのチョットした楽しみでもある。
このマンゴーの木の下では、いつも誰かが落ちたばかりのマンゴーをかじっては雑談に興じている。

そして今夜、突然、嵐のような強風が吹き始めた。

しめた! マンゴーが落ちてくるぞ!!

そう思って外に出てみると、早くも女たちの嬌声が聞こえてきた。
男や女たちが4~5人、懐中電灯を持ってマンゴーの木に向かって走っていくのが見える。
電灯の光が忙しく動き回っている。
 
遅れて行ってみると、すでに40~50個のマンゴーを集めていた。

『スエナガ、遅いよ!』
そう言って、拾ったばかりの新鮮なマンゴーを私に差し出した。

この時期の一陣の風は、チュークの人たちにとっては小さな素敵な『神風』だ。

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年も押し迫った去年の暮れ、初めてチュークを訪れた広島の伊藤さん。
伊藤さんにとって、ここチュークはいろんな縁で結ばれている。

70年前の太平洋戦争、医者である父は軍医としてトラック島(チューク)に駐屯していた。
それが縁で父は晩年、チュークのために医療ボランティアを組織し、10年以上に亘って医療奉仕活動を行ってきた。
そして今は、父も高齢になり活動にも終止符を打ち、父はチュークを訪れる事も叶わなくなってしまった。

父の奉仕活動の期間中、何とかチュークを訪ねたいと願ってはいたが、父の跡を継いだ医者としての立場から、なかなかそれも叶わず、時が流れていった。
なんとか時間をつくりやって来たのが、去年の暮れの訪問だった。

70年前の戦争時代の父の足跡。
晩年になって医療奉仕活動を行ってきた父の足跡。
チュークに残した父のゆかりの地を訪ね、一緒に奉仕活動を行ってきたチュークの医療関係の人たちを訪ねた。
父の想いの詰まったチュークを訪ねながら、生来の遊び心が頭をもたげてきた。

残った1日を利用して、一緒に来た友人を誘って釣りに出た。
日本でやり始めていた、キャスティングとジギングに挑戦する。
道具を用意していなかったため、やむなく全てレンタルタックルで間に合わせた。
それでも日本では釣った事もない大きな魚が面白いようにヒットする。

今回・2度目のチューク訪問は鼻からフィッシングと決めていた。
今回の目標は、キャスティングでGT(ジャイアントトレバリー)を釣り上げる事と、
ジギングではイソマグロを釣り上げる事だ。
前回はこの2匹ともヒットはしたが、惜しくも逃げられていた。

今回も、大きなバラフエダイやオアチビキ、スジアラ、バラクーダー、など大型の高級魚が次々とヒットする。
そして最終日、ついにターゲットのGTがヒットした。
連日の疲れもなんのその、懇親の力を振り絞ってGTと格闘すること15分あまり・・・。
ついに銀色に輝く巨体にギャフが打ち込まれた。

そしてもう一つのターゲットであるイソマグロは今回もまた取り逃がしてしまった。

嗚呼、またチュークが我を呼んでいる!!

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