2013年01月

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この10年、毎年釣りにやって来る新潟の加藤さん。
最近になって、相棒が入れ替わりここ2年は同業者の渡辺社長とご一緒だ。
加藤さんは自身も釣り船を所有している大の釣り好き青年だ。
チュークでも、毎年大物を釣り上げている剛腕のアングラー。
釣りバカ日誌よろしく、日本でも、ここチュークに来ても、社長の釣り指南役を買って出ている。

今年の日本出発前、その加藤君からメールが届いた。
「社長がキャスティングをやりたがっているので、今回はその鬼指導を頼む!!」と言うもの・・・。
最近大物釣りを始めた社長は、チュークでのここ2年はもっぱらのジギング。
大物釣りにも慣れてきて、今年はキャスティングで大物を、と狙っている。
キャステイングの大物と言えば当然GT(ジャイアントトレバリー)だ。
GTとは、釣り仲間の名称で、ロウニンアジの事。
キャスティングの定番で、誰もが一度は釣ってみたい大物魚だ。

今年の釣行は丸2日と半日。
まずは最初の半日でキャスティングのイロハから始める。
大揺れのボートの中で、しかも大好きなジギングの合間での練習だが、なかなか思うように竿を操れない。
そんな半日が過ぎて、翌・2日目。
何とかルアーも飛ぶようになり、少しずつヒットも出始めたが、まだまだ詰めの甘さも手伝いどうしてもゲットに至らない。
念願のGTも2回ヒットしたが、浅場で走られラインブレーク。
2日目もキャスティングはボーズのままで終わってしまった。

そして、最終日の3日目、社長の依頼もあり、午前中をキャスティングにあてる。
昨日そこそこにヒットして、少しずつだがキャスティングも様になってきた。
そして、朝一のキャスティングで待望の1匹目をゲット!!
しかも釣り上げたのは、釣り人も喜ぶ高級魚のカスミアジ。

1匹釣り上げると、余裕が出てきたのか社長のキャスティングも驚くほどうまくなってきた。
2匹目がすぐにヒット!
これは見るからに大物だ。
引きからしても待望のGT間違いなし!!
周りの応援も賑やかで、社長も大物ヒットにやる気満々だ。
走り回るGTを相手に必死で堪える社長。
なかなか思うようにリールを巻けないながらも少しずつ引き寄せ、透明な海に光るGTの姿を目にとらえた。
すかさずギャフを掛け、遂にGTをケットした!!

引き続き大ぶりのバラフエダイもゲットして、あっという間に3匹の大物を釣り上げた。
大満足の初キャスティング!!
『キャステイング最高!』会心の笑みを浮かべ何度も何度も叫ぶ。

今年最高の滑り出しでチュークのフィッシングを終えた社長。
早くも来年の約束を期してニコニコ顔でタラップを上がって行った。

加藤師匠、社長、お疲れ様でした!!

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1943年(昭和18年)1月、太平洋戦争も日増しに激戦の度を加えている頃、航空母艦・翔鶴(しょうかく)がトラック環礁の艦隊錨地に投錨した。
差し迫ったソロモンの戦闘に参戦すべくトラック島の基地に配備されたのだ。
当時トラック島には連合艦隊司令部が置かれ、艦隊錨地には世界に誇る戦艦大和、戦艦武蔵の雄姿があった。

『私が翔鶴でトラック島に来た時、ここに戦艦大和と戦艦武蔵が並んで停泊していました。』
空母・翔鶴でトラック島に上陸した航空機整備兵の根津は懐かしそうに当時を回想する。

根津はトラック島の竹島飛行場に上陸した。
竹島飛行場は戦闘機の基地、なかんづくゼロ戦の基地でもあった。
根津はゼロ戦の整備士である。
だが竹島飛行場に上陸した根津を待っていたのは退屈な士官詰めの仕事だった。
目の前に居並ぶゼロ戦を前に、根津は一抹の寂しさを覚えた。
前線では激しい戦闘が繰り返されていた頃、太平洋の要衝トラック島にはまだまだ平和な時間が流れていた。
しかしその事が根津の運命を大きく変える事になろうとは、当の根津本人も知る故も無い。

その後、空母・翔鶴はソロモン海戦に参戦し、飛行甲板も破壊され、多くの戦死者を出し傷ついた姿で再びトラックに帰って来た。
艦上には根津の戦友の姿を見る事は無かった。

根津が駐屯していた竹島飛行場の真向かいには夏島水上基地が間近に見える。
エプロンに駐機している沢山の水上飛行機の群れ。
目の前の海上を離着水する水上飛行機が手に取るように見えた。
そんな18年4月、連合艦隊司令長官・山本五十六は根津の居る竹島飛行場からゼロ戦6機を従え、真向いの夏島水上基地を飛び立った。
ブーゲンビルの前線視察の為である。
五十六は還らぬ人となり、その遺骨は彼の死を伏せて、トラック島に停泊する戦艦大和に秘密裏に安置された。

そしてその年の暮れ、根津は幸運にも日本に帰る事となる。
その数か月後、トラックはアメリカ軍による未曾有の大空襲を受け、壊滅的な打撃を受けた。
1944年(昭和19年)2月17、18日のトラック島大空襲である。
根津はこの悲報を日本で知った。

終戦から数十年、根津の頭から亡き戦友たちの事が離れた事は無い。
彼はその間、かたくなに戦争の話を拒んできた。
そしてそんな気持ちもほぐれてきた20年ほど前から、無性にトラック島が懐かしく思われてきた。
『戦友たちの霊を慰めに行きたい』
年を追う毎にその気持ちは強くなってくる。
なかなかチャンスが無いまま歳を重ね、あと数か月で90歳を迎えようとしていた。
遂に決心し、娘たちの協力の元、念願のトラック島上陸を果たした。

大時化の艦隊錨地、竹島飛行場のジャングル、変わり果てた夏島水上基地、、、。
戦友を想い体力の限りを尽くして戦友たちの跡を訪ねた。

多くの戦友達の命と引き換えに日本に帰った自分・・・。
トラックの海に、竹島飛行場に、五十六の飛び立った水上基地で、、、戦友たちに祈る。

『良かった! トラックに来れて本当に良かった!!』

遠くを見つめる根津のまなざしがいつまでも脳裏に浮かぶ。

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正月から慌ただしい1週間が過ぎて、年末年始のツアーも一区切り。。。
やっとお正月らしい気分に浸っている。

今年も南の島での正月を楽しもうと様々なお客様がいらっしゃった。

新婚旅行、中年のカップル、年配のカップル、一人旅、家族旅行、ダイビング、シュノーケリング、無人島巡り、戦跡めぐりや離島めぐり、、、今年1年の想いで作りにと、思い思いのツアーを楽しんだ。

中でも例年この時期にいらっしゃる豪快な家族がいる。
今年はパパと3人の子供達、、、3年生の男の子、5年生の女の子、そして中一のお姉ちゃんだ。
雨が降ろうと海が荒れようと、全くお構いなしの海好きの家族だ。

今年は例年に無く悪天候の毎日・・・。
荒天もなんのその、連日大荒れの海に繰り出した。
大晦日の釣りと海遊び、元日の釣りと海遊び・・・、1年間の遊び納めと遊びはじめだ。

パパはお正月の第一投で、大物のロウニンアジをゲットすると、子供たちも負けじと高級魚を次から次へとゲット。
瞬く間に大きなクーラーボックスは魚で満たされた。

釣りの合間には、無人島探検やシュノーケリング、アウトリーフの巨大波に突進しての波遊び・・・。
全く休む間もなく海の自然を相手に遊びまくる・・・あまりの楽しさに時の経つのも忘れている。

日本では難しくなってしまった5感・6感を駆使しての自然相手の豪快な遊び。
年をまたいでの1週間、連日の釣りと遊びで子供達も大満足・・・\(^o^)/\(^o^)/

そんな子供たちを見つめるパパの笑顔もまた忘れられない。

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