2012年09月

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チュークの主島・モエン島最東端の丘の上にザビエル高校がある。
日本時代の海軍通信隊の建物を利用した高校で、海抜標高50mの丘から望む景色は正に絶景で、校長をして『ミリオンビュー』と言わしめるほどである。
チューク随一の景勝地でもあるこの地は、ホテルや観光業者にとっては貴重な観光ポイントであったが、あまりの悪路の為、数年前から観光コースから外されてしまった。

そんなある日、日本からのIT産業関連の方達をご案内して久しぶりにザビエル高校を訪ねた。
仕事の話を終え、校長の案内で校舎になっている通信隊跡のビルの屋上から『ミリオンビュー』を堪能して帰路についた。
前方にはコンクリートミキサーを牽引したダンプカーが道路いっぱいにゆっくりと走っている。
ザビエル高校に行く途中にはいくつかの難所がある。
通常の車では通れない日本人の想像を絶する悪路だ。
その為に我々もジープ並みの全輪駆動車をレンタルしていた。
その1つの悪路に差し掛かった時、前を行くダンプカーが坂道を上がれなくなり突然バックし始めた。
岩盤が露出していてタイヤがスリップしまうのだ。
あれよあれよと言う間にすごいスピードでバックして私たちの車のすぐ前で、草むらに乗り上げてしまった。

車を止めてドライバーに聞くと、なんとこのダンプカーはブレーキが効かないと言う。
もっともチュークではそんな車は珍しい事では無いのだが・・・(@^^)/~~~
それで私たちの車を見止めて、衝突を避けて山に突っ込んだらしい。
事故を未然に防いでくれたのは良かったのだが、今度はこちらが通れなくなってしまった。
時計を見ると次のアポイントメント(仕事)まであまり時間が無い。
迂回する道もあるにはあるが、もっとひどい道でとても車が通れる道路ではない。

結局、みんなで道普請をして何とか通過した。
これが飛行機に乗る前だったら・・・とゾッとする。

チュークの道路は概ねこのような調子で、洗車した車も1日で泥だらけになってしまう。
それでもみんなはケセラセラだ。

そんな人達だからかえって、自然は残る。
どちらがいいのか、、、ちょっと考えさせられる事ではある(^。^)y-.。o○

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土地問題で不便な場所に移転を余儀なくされていたポストオフィスの新屋がやっと完成し、このほど移転した。
チュークの土地は全てが民間の所有で、公共の土地は皆無だ。
地主が気に入らなければ、学校だろうが、お役所だろうが、果ては港でも空港でもたちまち閉鎖されたり、移転を余儀なくされたりする。
今回のポストオフィスもその例に漏れず、立ち退きを強制され、局員も住民もとても不便な思いをしてきた。

先週受け取った私の日本からの郵便も、1か月間も郵便局の中で遊んでいたようだ(@^^)/~~~
狭い建物の中で、私書箱も使えず、郵便物や小包がごった返していた為だ。

今日からは自分の私書箱を開けるだけで郵便物の有無を確認できる。
ごく当たり前の事ではあるが、このような文明社会の到来までには、まだまだたくさんのハードルを抱えている。
自給自足的な生活が殆どのチュークでは、他の地域に比べて基本的な生活インフラがとても遅れているからだ。

でもそんな非文明的な社会だからこそ、自然や人間味溢れるまた一味違った豊かな社会が存在するとも言える。

地球的な視野で見た場合、果たしてどちらがいいのか、、、考えさせられることである。

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シス島を出発してチューク本島・モエン島のホテルに到着したジェームス一家。
それを見て、ホテルの人達が怪訝そうな顔をしている。
それもそのはず、ブルーラグーンリゾートは世界中からやってくるダイバー憧れのホテル。
そんなホテルに英語も話せない離島の家族がチェックインしたのだ。
私と一緒にチェックインしたので、ホテルの人達も気にはなるが何となく納得はしている様子・・・。

そしていよいよチューク出発の空港カウンター。

空港で出会う知り合いの誰もが、ジェームス一家に、『あんたちどっかに行くの?』
『グアムに行くの?』と話しかけてくる。

『サパン!(日本)』と、ジェームス。

『何!・・・サパン!!??』
『本当はどこに行くの・・・?』

『サパン!!』『この人たちと一緒にサパンに行く!』とジェームス。

取材班の日本人と親しげにしているジェームス一家を見て、やっと納得した顔を見せる現地人たち。
でも不思議で不思議でたまらない。
『どうしてあんたちがサパンに・・・!?』

シス島を午後に出発して2日目の朝10時、日本の土を踏む
本で見た事もTVで見た事もない想像すらできない日本と言う世界。。。
平安・室町時代の離島の人達が現代の東京にいきなりタイムスリップしてきたと思って頂きたい。

此の世の果てまで果てしなく続く建物ばかりの世界。
4日目、伊豆の温泉巡りに出発。
しばらく車で走ると、遠くに山々が見えてきた。
すかさずジェームスが質問する。
『あそこもサパンか?』
大きな川を渡る。
『これも海か?』
人口250人・家屋は30軒ほど、滑走路1本分の広さしかない小さな小さな世界からやってきたジェームス一家の真面目な真剣な質問だ。

食べたいものは? の質問に、何度でも『ライス!』と答える4人。
彼らの頭には日本食と言う知識や概念は全くない。
とにかくお米を食べたい。

動物園でオウムと対峙した茶目っ気たっぷりの妻・フェリーサ。
かわいい顔をしたオウムに、思わず『コンニチハ!』
『コンニチワ!』と、すかさずオウム君。
これにはさすがのフェリーサも驚き、『ハッハッハー!!』と大笑い。
そしてまた『ハッハッハー!!』とオウム君!!
もうフェリーサの笑いは止まらない。
オウム君と楽しい笑いのひと時が続く。

八王子の木田さん宅に宿泊していた家族。
同い年のお嬢さんと意気投合、大の仲良しになった。

お嬢さんの可愛いピンクのパジャマを借りていた娘のジェイミーは、朝になっても、出発時間になっても、なかなか自分の服に着替えない。
通訳が、『ジェイミー、もう出発するから早く服を着替えて!』
『イラーチョク!(構わない・気にしない)』と一言、ジェイミー。
余程そのパジャマが気に入ったらしくて、ロケにもそのまま。
結局1日中パジャマを脱ぐ事はなかった。

彼らには水着とかパジャマとかと言う概念は全くない。
気に入ったものは気に入ったで構わないのだ。
彼らの世界は何もかもが、『イラーチョク!』である。

私もチュークに住んで早30年・・・。
イラーチョクな世界ほど楽なものはない。

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8月7日(火)夜、日本のTV製作会社から緊急の電話が入った。
『仰天ニッポン滞在記』のロケをもう一度チュークでやりたいと言う。

放送予定のマレーシアロケが突然中止となり、急きょお鉢が回ってきた。
2時間の特番だ。
番組に穴を空けれないため放映日は予定通り、9月2日と動かせない。
しかも5日後には取材班を送り込み、現地ロケを済ませて19日には現地家族を日本に連れて行き1週間の日本ロケを敢行すると言う。

と言う事は、明日からボートで離島を駆けずり廻り対象家族を探し出し(中途半端はダメ、あくまでも番組受けする家族が絶対条件だ)、モエン島に連れてきて、戸籍制度も無い人達4名のパスポート申請書を作成し、ポナペに行ってパスポートと日本のビザを取得し、日本往復航空券を購入するまでに、1週間しか時間が無いと言う事になる。
しかも間に土・日が入っている。
絶対に不可能な事だ。
これらの条件を満たすには、こちらのペースで少なくとも1か月半は要する。

断るべきか・・・。

制作会社も今回の件では絶対に穴を空ける訳にはいかず、社運を懸けているという。
実は前回チュークの同様の番組がとても好評で、私の存在を知って頼ってきた感がある。
断るわけにはいかない!!

その夜から妻の薫と2人、阿修羅の如き動きが始まった。
あまりにも時間が無いため、当初はパスポート取得家族に的を絞った。
早朝から丸1日掛けて環礁内の島々を駆けずり回るが、パスポートを取得している者達は、番組の趣旨に会う人たちではない。
貴重な1日が無駄に終わる。しかし妥協は許されない。

その日の夜から非取得者に的を絞り対象家族を選び出す。
2日目・3日目と、対象家族を絞り込み、現地ロケハンを行い、家族をモエン島に連れてきて申請書類作成の為の基本的な書類つくりから始まる。
戸籍も無い。生年月日をまともに知らない。名前は適当に付けてある。
パスポートを作るには厳正な書類審査が必要だ。
やっと書類を作っても何度も何度もやり直しが続く。
それもそのはず、1週間で作る書類を1日でやろうとしている。

3日目に絶体絶命の危機に見舞われる。
書類がおかしいので家族全員をもう一度離島から連れて来いと言われる。
来週もう一度やり直すと言う。
戸籍制度の無いチューク人のいつものトラブルだ。
そんな事をしていては、書類つくりだけで日程は終了する。

何度も行き来した裁判所の前の階段に2人で座り込んだ。
頭の中は真っ白・・・、胸の中は暗黒の闇・・・。
出来ないものは出来ない・・・。
『日本に断ろう!』
でもどう言って断れるのか・・・。

挫折感に打ちのめされ一度はあきらめかけたたこの絶対絶命の危機を救ってくれたのは、私たちを信じてくれた現地の友人達だった。彼らの協力でこの逆境を切り抜け、やっと基本的書類作成が完了する。
後は申請書類を作成し、全書類を携えてポナペに飛び、パスポートと日本のビザを取得する事だ。
しかしこれが一番厄介な時間の掛かる事だ。
チューク在住30年の人脈や経験・知識を総動員してこれを何とかクリアーする。
期限内にすべてを完了し、全員のパスポートと日本のビザ取得に成功した。
その離れ業にみんなが一応に驚いている。

何度も何度も絶体絶命の危機に見舞われた。
その都度、現地の知人・友人達に助けられた。
今回ほど長く住んでいる事を自分自身頼もしく嬉しく思った事は無い。

そして製作会社の方達もまた、ロケが終わってたったの5日間で、この2時間の長い番組を作り上げた。
最後は徹夜の連続だったと言う。

多くの人達の協力と努力でこの番組が出来上がったのだ。
局内では奇跡の番組と言っている。
番組は好評で、多くの人達から激励のメールやコメントを頂いた。
1日も早く現地の家族にも見せてあげたい。

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