2012年07月

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小笠原に伝わる南洋踊り・・・。
20年前の小笠原でチューク出身の若者が目にした踊りは、チュークの踊りそのものだった。
そのチュークで最も伝統的な慣習が残っているパッテイウ地方のPULAP島。(ポンナップと発音)
南洋踊りのルーツを求めて初めてチュークを訪れた小高氏は偶然にもポンナップ島に渡る機会を得た。
グアムから1000キロ、チューク本島からでも400キロ近くも離れた、周囲4キロ足らずの絶海の孤島である。

そこで目にしたものは踊りだけでなく、海洋民族の伝統的な生活風景そのものだった。
フンドシと腰巻を身にまとい、タロイモ、パンの実、バナナ、椰子の木、そして豊富な海の幸を糧に伝統的な生活を続ける島人達。
羅針盤や近代航行技術に頼らず、自然の航海術で太平洋を行き来する海の民。
その外洋帆走カヌーを今も大事に保管する伝統的な造りの巨大なカヌー小屋。
カヌー小屋は島の男たちの憩いの場所でもあり航海術を学ぶ寺子屋でもある。

島にあるものが彼らの生活の全てであり、彼らの世界でもある。
世界中が文明の波に洗われ犯されていく昨今、チュークの島々もその例外ではない。
そんな中でポンナップ島のリーダーたちはその伝統的な世界を守るべく、文明の荒波にあらがい果敢に立ち上がっている。
そして今、この小さな島の小さな世界で、世界に向けて大きな波が広がり始めている。




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小笠原に古くから伝わる『南洋踊り』
日本統治時代にミクロネシア方面から伝わったものとされ、今でも学校で教えたり、父島や母島の保存会でその継承に力を入れている。その甲斐もあって現在では東京都無形文化財に指定されている。
小笠原が世界遺産に指定されたとあって、この南洋踊りも小笠原をアピールする上で格好の好材料となっている。

今回、その『南洋踊り』のルーツを求めて、保存会の副会長を務める小高氏がチュークを訪れた。
そもそもの発端は今から20年ほど前に遡る。
当時チューク政府のある若者が漁業研修で日本各地を回り、小笠原の父島を訪れた際にこの南洋踊りの歓迎を受けた。
この踊りを見たチュークの研修生は自分の国・チュークの踊りとのあまりの類似性に驚き、『この踊りはチューク州のパッティウ地方の踊りととても良く似ています』と告げた。

この事を聞いた小高氏は、チュークのパッティウ諸島の事が片時も頭を離れず、念願かなって今回の訪問となった。
パッテイゥ地方は、チュークとヤップの間に広がる3つの環礁・島々の総称である。
チュークの伝統的な歌や踊り、民族的な習慣等を最も色濃く残す地方でもある。
ところがパッティウ諸島に行く定期便は無い。
大きな船舶をチャーターして行くしか方法はないし、とても個人でチャーターできる金額ではない。

やむなくパッティウ行きはあきらめ、他の島々の手配していた時、思いもかけない朗報が舞い込んだ。
パッティウに政府の船が行くと言う。
しかも、4泊5日のPULAP島(ポンナップと発音)行きだと言うではないか。
ポンナップ島は、パッティウ諸島の中でも最も伝統的な行事や生活習慣を残しているところである。
そのポンナップ島でキリスト教伝来100年祭の一大行事が執り行われると言う。
これぞ千歳一隅のチャンス!!
小高氏の喜びと興奮は頂点に達した。
早速帰国便を変更しポンナップ島行きの船に乗り込んだ。
76歳と高齢で言葉や勝手もわからず心配なので、現地の日本人・末永かおるが案内役を買って出た。

18時間の航海でポンナップ島沖に到着、迎えのボートでポンナップ島上陸。
歓迎の宴もそこそこに、島はすでに100年祭のお祭りムード一色。
小高氏も持参の伝統衣装に身を包み、早速、小笠原に伝わる南洋踊りを披露する。
文明国で継承されてきた南洋踊りの原点を今、目の前で見つめている。
3日間の踊りの渦の中で南洋踊りのルーツを確信したのは言うまでもない。

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TV番組のご案内です。

『未来の主役』・地球のこどもたち、と言う番組にチュークの子供たちがTVに登場します。
5分間の番組です。
番組のHPと放映日は以下の通りです。


7月21日(土)17時15分~ テレビ東京
7月25日(水)20時55分~ テレビ九州(TVQ)・テレビ大阪(TVO)・テレビ愛知(TVA)

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周囲200キロのトラック(チューク)環礁内には大小40隻以上の沈船があり世界中のダイバーの憧れの的となっている。
アメリカが設定する世界のダイビングスポットNOー1に選ばれたこともあり、世界のベスト10の常連でもある。
いずれも先の太平洋戦争で沈められた日本の艦船群だ。
大きなものは1万トン以上もあり、真っ逆さまになったり、横倒しになったり、まっすぐ正座していたりと様々だ。

この沈船達を潜る為に2年先の予約を受け付けるダイビングクルーズ船もあるほどだ。

そしてこれらの沈船はアメリカを初め、ヨーロッパや日本でも様々な形で紹介されてきた。
そのいずれもがダイバーを対象としたものである。

しかし、この沈船には今も数多くの日本の英霊たちが眠っており、悲惨な戦争の犠牲となった大きな証しでもある。
そんなトラックの沈船達に光を当てようと立ち上がった人がいる。
池田克彦、(株)アーク・ジオ・サポートを経営する社長さんだ。

彼は今年の1月、とある団体でトラック諸島を訪れ、ジャングルに眠る戦跡や今も海底深く眠る日本の艦船群を目の当たりにして深い感銘を受けた。
引き上げる事はままならぬこれら沈船たちを海底から呼び出し、日本の同胞たちに知らせたい。
すぐさま行動に移した。

彼は海底測量の会社を経営しており、沈船測量にはうってつけだ。
最新の3次元ソナーとコンピューターを駆使して、かつての連合艦隊の泊地であったトラック環礁の海底とそこに眠る沈船達を浮かび上がらせようというものだ。
貴重な時間と費用、自社の優秀なスタッフと機材を動員してその調査は始まった。
10日間に及ぶすべての費用は自社で負担した。

次々にモニターに現れる沈船の姿・・・。
周囲に散らばる残骸の影・・・。
68年前の大空襲で無残に沈められた姿が今そのままに浮かび上がってくる。

様々な制約の中で全船調査は叶わなかった今回、残された沈船たちとの約束を胸に再びトラックの海に戻ってくることを誓った。
そしてその胸中には、68年間海底に眠り続けている最後の沈船・駆潜艇29号を探し当て、英霊たちを日本に返したいと言う強い想いがある。

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