2012年04月

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

GWの真っただ中、5月4日朝10時から1時間、またまたチュークの子供たちが日本のTVに登場します。
番組名は『未来の主役2012スペシャル ~新たなる旅立ち~』
チュークは番組の中ごろのコーナーとなり、ボリビアの少年、日本の少女との三人の子どもたちが登場します。

チュークでは、EOT島(日本名・前島)と言う小さな小さな島の少年が主人公です。
文明から隔絶された地球の果ての小さな島で、1人の少年がどんな思いを抱いて日々を暮らしているか・・・。
是非是非ご家族でご覧ください。

放送は以下のネットワークです。
TVQ(九州)、 TVO(テレビ大阪)、  TVS(テレビ瀬戸内)、 TVA(テレビ愛知) テレビ東京、 TVH(北海道)、

イメージ 1

イメージ 2

チュークの人達のお金の扱いはとても丁寧とは言えない。
大体がいい加減で乱雑である。

お店での支払いや、人にお金を渡す時も、クシャクシャになったお札を、ポーンと放り投げる。
別段怒っているのでもない。
そういう習慣なのだ。
お金に限らず、物を渡す時、タバコを人に上げる時などもそうである。
全員がそうだというわけでもないが、大方そんな風に乱雑にお金を扱う。

きちんとした教育や躾を受けていないところから来ると思われるが、
お金がクシャクシャだったり粗雑に扱うのには、もう一つの理由がある。

普段、彼らは財布を持ち歩いていない。
と言うか、財布などはとても贅沢品で一般の人達にそんなには普及していないのだ。

ではどこにお金を入れるか・・・。
ポケットがあればポケットに無造作にねじ込む。
では、ポケットが無い場合はどうするのか・・・。

男の服装には通常ポケットが付いているが、そうでない場合もある。
フンドシ姿の場合だ。
チュークの離島の人達の中にはまだまだフンドシ姿の人達も沢山見受ける。
そんな時彼らは、フンドシの中がポケットとなる。
日本のフンドシと違い、長いフンドシ布を何回も腰に巻く。
その布の間がポケットとなるわけだ。
彼らのフンドシポケットの中には、お金、たばこ、ビンロージュ、マッチにライター、ハンカチなど
男の身だしなみに必要な品々が所狭しと入っているのだ。

では女はどうか・・・。
チュークの女の服装は、通常はポケットが無い。
ストアーのレジで、やおら胸に手を突っ込み、チチバンド(チューク語)の中からクシャクシャになったお札を
ポーンと放り投げている光景を良く目にする。
そう、ハンドバッグを持たない彼女たちのポケットはチチバンドなのだ!

ではチチバンドをしていない場合はどうするのか???

今日、銀行の前で決定的な瞬間を見てしまった!

チューク独特のスカートをはいた30歳くらいの女性が銀行から出てきた。
車の中で妻を待っていた私のすぐ前でその光景は起こった。
女の手には幾ばくかのお札が握られていた。
女は、スカートを整えるかのように両手をスカートの中に入れ、モゾモゾッと動かした。
スカートから出てきた手にはお札は消えていた。

誓って言うが、そこには引田天功の姿もアメリカンのマジシャンの姿もなかった。

お札はどこに消えてしまったのか??

いつも話には聞いていたが、目の前でその事実に出会ったのは初めてであった。

チュークの人達には、100円商品の財布もバッグも、ましてや、ルイヴィトンのお財布もハンドバックも全く無用の長物なのだ!!

そしてもう一言いうならば、一般島民ならずとも、高貴なお役人サンや議員サン達の中には、
もっともっと得体のしれない大きなポケットを持っているお方がいらっしゃるのだ。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

30年来の親友であった、87歳になる現地老人が亡くなった。

現地人にしては稀に見るほど元気な老人だった。
数年前まで、いつも地下足袋を履いて日本手拭いを首に巻き付け、蛮刀片手に
畑を見まわったり、焚き木を取ったりして山野を駆け廻っていた。

『じっとしていると足腰が弱って来るからねェ~。』と、彼はいつも笑いながらそう言っていた。

老人の名はヌーカス、デュブロン島(夏島)の出身だ。
丁寧な日本語をあやつり、日本人の心を持った人だった。
日本のTVにも何度も出演した。
30年に及ぶ私のトラック島の生活でも実り多い貴重なお話を沢山聞かせて頂いた。。

かつてのトラック島は日本の統治地で、その中心だった夏島(デュブロン島)には街が開け、島は陸海軍の一大基地となり要塞と化していた。
戦争が始まるまでは平和だったトラック島も、アメリカ軍の大空襲を堺に、様相は一変した。
日本人だけでなく現地人にも餓死者が続出すると言う飢餓の島と化した。
多感な少年時代、ヌーカスはそんな日本時代を生き抜いた。

19歳で終戦を迎えたヌーカスの心にはすでに大和魂が宿っていた。
学校での教育と躾け、日本人社会での様々な仕事と軍隊での厳しい労働が、彼をして日本人の心を持った青年に育て上げていたのだ。
そんな彼らと話をしていると、いつも日本の老人達と話しているような錯覚に陥る。
そしてそんな老人達も、今はもう数えるほどで殆ど生きてはいない。

ヌーカスの棺には、沢山の日本人からの手紙や写真、戦時中の記録など、おおよそ現地人にはふさわしくない遺品の数々が埋葬された。
きっと天国でも日本人に囲まれて笑っている事だろう。

夏島からの帰りのボート、、、

水平線に浮かぶトラックの島影が私に何かを語りかけてくる。
たった1人の現地老人の死が、日本人としての自覚と責任を私に問いかけている。

ヌーカスの笑顔が波間に現れる度に涙があふれる。

ヌーカスの大和魂は私が継いで行こう。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

3月末まで続いたハードなスケジュールも、4月になって一段落・・・。

島の最東端にあるザビエル高校に行く用事があり、途中の空港に車を置き、のんびり歩いて行くことにした。
電話をすれば数分で片付く用事ではあったが、直接先方と会ってお話ししたかったのと、このところの運動不足解消にと、妻の薫と2人で往復15キロの道のりをゆっくり散歩した。

そう、犬も歩けば棒にあたる!

正に棒にも当たり、人にも当たり、車に乗っていては解らないいろんな事柄に出くわした。
いつものことながら、南の島の散歩は次から次といろんなことに遭遇しておもしろい。

普段は見逃しがちな南の島の季節や人情を肌で感じる事もまた楽しい。

今度は島の裏側を歩いてみようか・・・と、早くも次の計画を練っている(^^♪

↑このページのトップヘ