2012年03月

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今日は、ミクロネシア・チューク諸島のカルチャーデイ。
学校や婦人会などで様々な催しや展示即売会等のイベントが行われた。
折よく仕事も久しぶりにOFFとなり、1日のんびりとカルチャーデイイベント巡りとしゃれ込んだ。

婦人会会場では、参加者や訪問者も殆どが堂々の体格のご婦人ばかりで、男どもは私を含めて数えるほどしか居ない。
女たちの迫力に圧倒される。
出店品も女性らしく、衣料品や食べ物、民芸品などがが多い。
全てが手作りの、そして、自給自足の品々ばかりだ。
幾つかの気に入ったものを買い込んで、次の会場へと移動する。

こちらはミクロネシア短大チューク校のキャンパス。
海岸沿いのキャンパスには椰子の葉ぶきの展示小屋が並んでいる。
そんな一角で椰子の葉を使った編み物教室が開かれていた。

以前から気になっていたことなので、早速入って教えを乞う。
まずは、チュークでは最もポピュラーな椰子の葉バスケット。
これを作れなくては、チューク通としての名が廃る!!

そして次にトライしたのが、チョットかっこいい椰子の葉のベルト。
これも何とかマスターした。

椰子の葉の編み物に、沢山の買い物。。。

久々に、ちょっぴり嬉しい、そして楽しい休日となった。

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今から38年前、私は仲間4人と卒業旅行でここチューク(トラック)にやってきた。
それから15年後に産まれた学生3名が今また卒業旅行でやってきた。

東京海洋大学釣り研の面々だ。
日本で磨いた腕を海外で試してみよう。
一生思い出に残る旅行をしよう。
1年も前から企画し、準備して温めてきたアイデアだ。

38年前、私たちも同じ気持ちで1年も前から準備してやってきた。
年代を超えて相通ずるものを感じる。

貿易風の吹き荒れる大時化の中、4日間の釣行が始まった。
揺れるボートの上、最初は戸惑ったキャスティング、ジギングも日に日に上達してゆく。
連日、波と船酔いとサメとの闘いでもある。

天候も災いして、4日間の釣行としてはイマイチではあったが、メンバーの1人・杉本の言葉が心に残る。
『やるだけの事はすべてやった』

頑張れ、村山、竹内、杉本。

機会があったらまた会おう。

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チューク(トラック)諸島の釣りの醍醐味は大物だけではない。

とにかく良く釣れると言う事だ。

ルアーを使ったキャスティングやジギング、トローリングの他にも、古来からあるエサ釣りもまたチュークの釣りの魅力の1つだ。
グアム在住の勝俣さん親子もそんなエサ釣り好きの釣り愛好家である。
毎年何度もチュークに来てはエサ釣りを満喫して帰って行く。

今月は故あって1日しかお付き合い出来なかったが、この日も入れ食いの連続で大爆釣!!
午後2時には大きなクーラーボックスが満杯となってしまった。
もうこれ以上釣っても入れる物が無い。
あとはのんびりとトローリングをしながら帰港したものである。

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北赤道海流の巨大な流れの中に浮かぶ周囲200キロの大環礁とそれを取り巻く多くの環礁や島々・・・。

チューク(トラック)諸島は、魚たちの格好の棲家だ。

かつての日本時代、トラック諸島には多くの鰹節工場があり、高品質の鰹節を生産していた。
『カツオ・マグロがまるで海から湧いて来るようだった。』
当時の鰹節製造に従事していた人達の言葉だ。

日本からは遠洋漁業の基地だが、ここはその漁場の真っ只中にある。

カツオ・マグロなどの回遊魚を初め、沿岸の大小の魚まで、まだまだ手つかずの海の宝庫だ。
そこを狙って、スポーツフィッシングのお客様も少なからず訪れてくる。
カジキマグロ、キハダマグロ、イソマグロ、JTやカスアジ、カッポレなどのヒラアジ、大型のハタ類、等ナド。

20キロ~30キロ超はごく普通で、いずれも50キロオーバーの超巨大魚を狙ってくる。
今年もすでに何組かの釣り客をご案内した。

例年、正月気分が抜けた頃、いつも釣りにやってくる新潟の加藤さん。
去年は見事に50キロオーバーをゲットして、今年もまた友人を誘って大物にチャレンジ!!

何度かウルトラヒットがあった中、釣り上げたのが、巨大なイソマグロの頭。
ファイト中にサメの餌食となって、見事に頭だけとなって上がってきた。
そして、その頭の重さがなんと12キロ!!!

八頭身美人の典型であるこのマグロの総重量は・・・、計算する度にため息が出る。
ちなみにこの日は、友人と併せて、キハダマグロ6連発もあり、笑いの止まらぬ釣行であった。

今年1年、チュークの釣りを思い出しては美味しいお酒を召し上がっている事だろう。

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今回の遊覧飛行で撮影した写真を少し紹介しましょう。

今回の空撮の目的は主に太平洋戦争時代の戦跡や遺構でした。

皆さんにはあまりなじみのない写真になったかもしれません。

当時のトラック島には、日本海軍の司令部が置かれ、戦艦大和・武蔵などの連合艦隊が結集する一大基地でした。

戦後68年たった今も、トラック島にはそんな面影が随所に残っています。

そのような撮影の合間に、チョイチョイ盗み撮りした中になかなか貴重なショットもありました(^_-)-☆

ただ、本来の撮影箇所(機内の)ではないので、ガラス越しのチョットかすんだ写真になっています(^_^メ)

まっ、お楽しみ下さい。

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神奈川県と同じ面積のチューク(トラック)環礁。

直径60キロ、周囲200キロの環礁の中に、大小100個の島々がある。
加えて、無数のサンゴ礁が透明な海に銀河のごとく点在する。

飛行機の窓から眺めるこれらの海の景色は絶景だ。

これまで何度か小型飛行機でチューク環礁や周囲の離島を飛んだことがある。
それぞれにとても素晴らしく、いつまでも私の脳裏に鮮明に焼き付いている。

今回、アメリカのさるカメラマンの要望で日本時代の中心地だったデュブロン島(夏島)とその周辺を空撮する機会を得た。
彼の名前は、Mr.GUY NOFFSINGER アメリカでチョットは名の知れたカメラマンだ。

今回彼が用意した空撮用のカメラはなんと4台!
翼の下と機内にそれぞれ1台固定して、もう1台を息子のヒロミが担当し、さらに大型のカメラで彼が目指す映像をとらえていく。

5回、6回と夏島の周りをコースを変えて飛んでいく。
高度500メートルから低いところは高度わずか50メートルと、まるで戦闘機のごとく飛び回る。
村の女や子供達が飛行機を見上げて盛んに手を振っている。

当時の街の跡、軍港の跡、飛行場跡、、、海軍の主だった施設を何度も何度も飛んではカメラに収めていく。

お蔭で私も当時の日本海軍の中心地だった夏島・竹島とその周辺をたっぷりと空から観察する事ができた。

同乗した妻の薫、通訳代わりの息子のヒロミも、思わぬ遊覧飛行にシメシメである(@^^)/~~~

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3月・・・、日本では日ごとに暖かくなり、随所で春を告げる催しが聞え、山野には春を告げる花々が咲き始めている事だろう。

北緯7度の熱帯の島・チューク諸島には、春夏秋冬の区別も無く一年中30℃を超す毎日で、四季の区別もほとんど無い。

しかし、観光客には同じように見える熱帯の島にも、実は季節の移ろいを感じさせるものがいくつかある。

2月から3月・・・、カポックと呼ばれる大きな樹に一斉に白い綿の花が咲き、南国の空を飛び交い始める。

そのカポックの綿が大きく膨らみ始める前、白とピンクの花火のような大きな花が、わずか数日のうちに木の枝の末端まで咲き乱れる。

白い綿雪が青空を舞い、花火の花が咲き乱れるころ、やがて島々のあちこちで南洋桜と呼ばれる真っ赤なド派手な花が次々と咲き始める。

南の島の春の到来だ。

北緯7度の南の島に、春の到来を告げるもう1つの使者がいる。

それは、南十字星だ。

花火の花が咲き、綿雪が空を舞い始める2月中旬、まだ誰も見る事も無い夜半の空に少しづつ形を整えながら人知れず姿を見せ始める。
そして、南洋桜が真っ赤に染まる3月中旬、南の水平線上にくっきりと輝く4つの星を眺める事が出来る。

花々が南十字星の到来を告げ、南十字星が島人達に春本番を教えてくれる。

今宵この時間、我が家の南の空には天の南極を指し示す南十字星が煌々と輝いている。

ー 春や春、春爛漫の十字星 -

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