2011年12月

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真冬の日本へ赤道直下の島から現地人がやってくるとどうなるか・・・。

極寒の1月中旬、チュークから現地の親子4人が日本にやってくる。
現在進行中のTV番組のプロジェクトで、今彼らは、日本行の夢を胸にパスポートの取得中だ。

彼らが住む島はチューク環礁の最北端、電気も水道もストアーも無い伝統的な生活を営む小さな島の住人たちだ。
チュークには日本のような戸籍制度は無い。
初めて取得するパスポートも、まずは、その書類つくりの為の調査と準備から始まる。  

自分の年齢がわからない。
自分の正確な(公式な)名前が確定できない。

今まで生活する上でそのような必要が無かったからだ!

・・・・・・(^_^メ)

役所の許可をもらい、自分の島に帰って村長の立会いの下に、適度に生年月日を設定する。
パスポート用の名前を確定する。
このような覚書に村長のサインを添える。
この書類を持って、本島の裁判所で公文書にする。

この書類を元にしてパスポートの申請を行う。
申請先は、700キロ離れた大洋の彼方、、、ポナペ島。

TV局のスタッフは、親子4人の体のサイズを頭から足の先まで隈なくチェック。
成田に着いた時に与える防寒着だ。

日本での放映は2月に予定されている。

どんな珍道中が繰り広げられるか、、、、

1月中旬の本番ロケを前に、4人の親子は今、真冬の寒さも実感できないまま、日本に夢を馳せる。

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太平洋戦争時、トラック島(チューク)には、世界有数の海軍の基地が設けられていたことは良く知られている。

1914年、ミクロネシアが日本領土となった時、ここトラック島にはいち早く防備隊本部が於かれ、
30年間の日本統治時代を通じて、太平洋における日本の防衛前線基地として大きな役割を果たしていた。

太平洋戦争を前に、早くもトラック島には様々な民間施設や軍関連の施設も整備され、一大戦略基地としての様相を呈していた。
そんな数多い戦跡や遺構が残る中で、ユニークな物もまた数多く残っている。

1枚目の写真・海の中に建っているコンクリート造りの小さな2階建ての建物も、そんな1つである。

『検潮所』と言って、潮の干満を検査・調査する設備だ。
周囲を波から完全に遮断したこの建物の中に、潮の干満を測る機械が備えてある。

現在の日本で、日本全土の海抜標高は、東京湾の平均海水面を基準に計測されている。

日本統治時代、ミクロネシア全土の海抜標高は、このトラック軍港の平均海水面が基準点となっていた。
現在、アメリカで発行されているチューク諸島の海図(チャート)を見ると、地図の下部に、
『1944年の日本海軍の値を元に作成』という英語の案内がある。
その値は、戦後65年を経た今でも生きているのである。

他の4枚の写真は、海軍水路部によって作られた当時の測量点だ。
立派な大理石製で、今もトラック諸島のあちこちに見受けられる。
礎石には、昭和12年、海軍測點と言う文字が、たった今、彫ったかのように見事に躍っている。

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