2011年02月

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今にときめく山ガールの面々が、南の島に繰り出した。

添乗員は、毎日新聞旅行の山歩きのエキスパート・倉田俊夫。
今から37年前、私と一緒にここトラック島にやって来た男だ。

野生の草花を求めて日本国内の山々を征服してきた女達を引き連れ、37年ぶりの凱旋だ。

ド派手な熱帯の花々、道端に咲く名も無い可憐な草花、日本では見る事の出来ない珍花珍草に、歓声を上げたり、時を忘れて見入ったり・・・、あっという間に初日が過ぎて行く。

そして山ガール達が次に選んだのは、無人島遊び!

咲き誇るサンゴとカラフルな熱帯魚、岸辺に打ち寄せる波の音、椰子の葉のそよぐ安らぎの島

ピンクに輝く砂浜と無限に広がる環礁の島

椰子の木3本だけの小さな小さな無人島

キャラバンシューズをビーチサンダルに履き替え、山ファッションを水着に着替えて、思いっきり無人島を楽しんだ。

そして最後は、島人達との楽しい交流を目指しての離島めぐり。

男達の逞しいパンモチ搗きや女達の賑やかな食糧作り、無邪気な子供達、ノドを潤す新鮮な椰子、、、

島人達の生活ぶりを覗き体験しながらの村々の散策は、現代社会では味わえない貴重な体験だ。


・・・熱帯の草花に加え、海に咲き乱れるサンゴと魚を愛でながらの一週間の南の島の旅は、
   日本で過ごす何倍もの時間と体験と喜びを、彼女達に与えてくれたに違いない・・・


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30年のタイムマシンをくぐって、盟友・倉田がこの地にやってきた。

鹿児島の田村、静岡の鈴木、長野の倉田、そして私、、、今から37年前の2月。

卒業式を間近に控えた我々親友4人は、1年間にも及ぶ周到な準備の元、この辺境の地・トラック島にやってきた。

そして、1ヶ月間の旅を終えて日本に帰った時、南の島の光景は我々の心の中に大きな光となって輝き続けていた。

その5年後、涙を飲んで日本に留まることになった友に別れを告げ、私は日本を全て清算し、1人でこの地に戻って来た。

それから30年、、、

旅行会社に就職していた倉田は、片時もトラックの事を忘れることはなかった。

いつかきっとトラックに凱旋して見せる!

日々仕事に追われながらも、辛抱強くそのチャンスを待っていた。

そして機は熟した。

お客様の信望も厚く、社内での信用も確固たるものを築いていた。

定年を間近に控え、即・実行に移した。

倉田の話を聞くや否や、常連のお客様から次々と手が挙がっていった。

『倉田と行くトラック島の旅』はあっという間に定員をオーバーし、早くも第二回のメンバーが後を控えている程になった。

倉田の誠実さとトラック島への熱い思いがお客様の心を動かした。

トラック島2日目の今夜は、夢の無人島・オローラ島。

今・倉田は彼を支えてくれるお客様と共に、37年前の熱い気持ちのままに、トラック島の優しい風を感じているに違いない。

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