太平洋戦争が終わって、今年で65年目を迎える。
日本人の寿命から考えると、この戦争の記憶はまだまだ多くの人たちの心の中に生々しく残っている。
ここチューク(トラック)は、その太平洋戦争の重要な戦略基地として、陸・海軍の大きな基地が設けられていた。
65年経った今、その多くはジャングルに埋もれ、また海底に没して、段々と朽ちていく状況にある。
こんな戦跡や遺構の他にも、戦争の悲惨さを刻んだ墓碑や慰霊碑も数多く残されている。
そして、このような碑もまた、自然破壊や人的な破壊のために本来の姿から程遠い状態になりつつある。
こんな戦跡や遺構、そして慰霊碑などの存在を世に残すため、少しずつ活動を始めている。先月もある友人がやってきて、一緒にトラック環礁内外の島々を訪ね歩いた。
今回は、特に文字が刻んであるものを調査し、拓本に取っていった。
名もない小さな部隊の墓、様々な記念の石碑・碑文、等々・・・。
いずれも、当時、南の島に生きた日本人たちの貴重な生の標しである。
日本人の寿命から考えると、この戦争の記憶はまだまだ多くの人たちの心の中に生々しく残っている。
ここチューク(トラック)は、その太平洋戦争の重要な戦略基地として、陸・海軍の大きな基地が設けられていた。
65年経った今、その多くはジャングルに埋もれ、また海底に没して、段々と朽ちていく状況にある。
こんな戦跡や遺構の他にも、戦争の悲惨さを刻んだ墓碑や慰霊碑も数多く残されている。
そして、このような碑もまた、自然破壊や人的な破壊のために本来の姿から程遠い状態になりつつある。
こんな戦跡や遺構、そして慰霊碑などの存在を世に残すため、少しずつ活動を始めている。先月もある友人がやってきて、一緒にトラック環礁内外の島々を訪ね歩いた。
今回は、特に文字が刻んであるものを調査し、拓本に取っていった。
名もない小さな部隊の墓、様々な記念の石碑・碑文、等々・・・。
いずれも、当時、南の島に生きた日本人たちの貴重な生の標しである。