2010年05月

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今、チューク諸島は卒業式のシーズンだ。

アメリカ式の教育制度で、5月に卒業を迎える。
先週末くらいからボツボツと卒業式の声が聞こえ始め、今週はそのピークを迎える。

卒業式には、両親や友人からレイが贈られるのが習わしだ。
生花を摘んで作った質素なものから、カラフルなものまで様々である。
最近はその飾りも段々とエスカレートして、随分派手なものが登場してきた。

その最たるものが、紙幣を使った首飾りだろう。
ドルの新札をふんだんに使い、贅沢に仕上げてある。
高いものは100ドル近いものまである。

子供の可愛さプラス親の見栄! ・・・と言うところか!!

レイを作る業者もそのハデハデ振りには嬉しい半面、苦笑い・・・である(^^♪♪~

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写真の案内書は、『品評会』の案内である。

チューク語で『キンピョウカイ』と言う。
日本時代の名残だ。

ミクロネシア短期大学チューク校舎で、その品評会が催されるという案内である。
『キンピョウカイ』と聞いて、以前の盛大な品評会の様子がすぐに頭に浮かんできた。

私がチュークに来て間もない頃、毎年、夏になると島のグランドで大規模な品評会が行われていた。
グランドいっぱいに展示場が広がり、海産物、農産物、工芸品、民芸品、はては、豚やニワトリまでがその対象となった。

1枝に400本も500本も成っているバナナの木や、1本がビール瓶ほどもあるキングバナナ、
バナナだけでも10種類以上の様々なバナナがズラーと並んでいた。
竜宮城から出てきたような巨大なウミガメがお腹を上にして何十匹も並んでいた。
巨大なパンの実・パパイヤ・椰子の実、等々・・・。

民俗学者が泣いて喜ぶような、見事な民芸品と工芸品の数々。。。

会場の周りは出店がいっぱいで、何千人もの島人達で賑わった。

そしてメーンイベントは、広い会場に放たれた豚とニワトリ・・・、
子ブタもいれば、かわいいひよ子もいる。
捕まえればすべて自分のものなる!

大人も子供も必死になって追いかけた。

そんな懐かしい情景を浮かべながら、『キンピョウカイ』の会場に行ってみた。
9時からの案内を、1時間遅らせて行ってみた。
少しでも遅いほうが、物品が多く集まっているかも知れない、、、そんな淡い期待もあった。

と こ ろ が 、、、

会場に入る前、道路から覗いても何も無い。
案の定、中に入っても、かつての光景の100分の1も無い。

これでは、毎日の市場を覗いた方がまだましである。

どうしてこのようになってしまったのか。。。
何とも言えない寂しさが込上げてくる。。。

チュークを去る前に、もう一度あの祭りの中に身をゆだねたい、、、心からそう思った。

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今、チューク諸島内で幼児対象の予防接種が行われている。
MMRと呼ばれる子供の3大疾病、はしか、おたふく風邪、風疹である。
現在のチュークの人口は約6万人。
そのうち今回の対象となった1歳~6歳の子供の数は、なんと約6500人。
全人口の約2割が出稼ぎで国外に出ている事を考えれば、大変な子供の数だ。
マスコミがほとんど発達していないため、宣伝・広報効果がイマイチで、担当者の方々は大変なご苦労である。
貨物船や小型飛行機、モーターボートなどを駆使して諸島内の島々を隈なく廻っている。
すべてがアメリカの援助で行われており、スタッフの方々も国際色豊かだ。
島々では今、野戦病院ならぬ青空診療所があちこちで開業中である。
医療が十分でないチュークで、子を持つ親として、これほど安心な事はない。

災害や危機、医療関連など、このような小さな島々まで全世界を網羅したアメリカの援助体制にはいつも頭が下がる。
アメリカの懐の大きさを感じる。

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もう一つ、スポーツのお話・・・

ここチュークで盛んなスポーツと言えば、陸上競技を除くと、バスケットボールやバレーボールである。
小さな島の学校には、ほとんどグランドと呼ばれるものはない。
おのずと狭い場所でも簡単に行われるスポーツが主流となってくる。
実際、島のあちこちで盛んに交流試合が行われている。

アメリカ人たちが居たころは、野球やソフトボールなども盛んに行われたが、今ではほとんどプレーをしている人達を見かけない。
我が家でも、子供たちの為にそろえていた野球道具はとっくに学校に寄付してしまった。

ここ最近、珍しい練習風景を見かける。
レスリングだ。
しかも体育館のような屋内ではなく、合同グランドの芝生の上で、体が汚れるのもいとわず、盛んに練習に励んでいる。
私同様、長年チュークに住んでいるアメリカ人親子が指導している。
彼の息子はスポーツ万能で、レスリング選手としてオリンピックにも参加した実力者でもある。まだまだ、参加者は数えるほどしかいないが、それでも和気あいあいと毎日楽しそうに練習に励んでいる。
女性の参加者も2名いて、コーチの指導のもと、2人で乱取りに余念がない。

『日本の女性選手は強いねェ~』とコーチが笑っている。

日本人女性の強さは彼女たちにとっても大きな励みになっているようだ。

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昨日のユニフォームの記事にちなんで、今日は、チュークの『ウンドウカイ』の素晴らしさをお届けいたします。
過去に書いたエッセイです。
古き良き時代の日本の運動会をなつかしみください!

以下、そのエッセイです。

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ヨーイドン! スタートラインについた選手たちが日本語の号令の下に一斉に飛び出す。
場内アナウンスでは、コンゴウリレー(混合リレー)、レンゴウリレー(連合リレー)、などと言った日本語種目の案内が流れている。ここは、ミクロネシアのチューク(トラック)諸島。グランドでは昔ながらの日本の運動会そのままに、現地の人達によってスポーツゲームが行なわれている。10月中旬、モエン本島で行なわれた全島大会の一コマである。

 ゴールに駆け込む選手達は、競技の係員によって、イットウ(1等)、ニトウ(2等)、サントウ(3等)と呼ばれ小旗をもたされて表彰台に足を運んでいる。そこでセンシュ(選手)が手にするものは、ショウヒン(賞品)だったり、ショウキン(賞金)だったりする。 そして彼らはこのスポーツの祭典を、『ウンドウカイ』と呼んでいる。そこには日本人の姿はまったく見えないし、ましてや日本人主催による催しでもない。しかし目に映る光景は日本の運動会そのものである。
これは、いったい何処から来たものなのか・・・? 
それは遠く、日本統治時代にまでさかのぼる。

日本時代の中心だったデュブロン島(夏島)には、大正天皇の即位を記念して、大きな運動公園が造営された。島には街が開け、学校や役所、数多くの商店や会社などがあり、海軍の基地も設けられ、民間人に交じって沢山の兵隊や軍艦が島に溢れていたのである。それらの団体や部隊、軍艦などでは、士気を高めたり、交流を図るため盛んにスポーツが奨励された。運動会もその一環で、そしてそれはチュークの人達の間でも例外ではなかった。学校や村々など、島を挙げての大運動会が毎年、日本人の指導の下に行なわれていたのである。

当時、各島々は5つの地区に分けられ、イチクミ(1組)、ニクミ(2組)、サンクミ(3組)・・・・・、と呼ばれていた。この組み分けは今もそのまま残っており、島を挙げての催し事や、地区分けの基礎となっている。そして戦後60年経った今も尚、島々の運動会は、この区域によってチームが編成されるのである。チームの応援旗には、大きく、『ICHIKUMI』 『NIKUMI』 と染め抜いてあり、ハチマキ(チューク語)にも同じく、『ICHIKUMI』 『NIKUMI』 と書かれている。
 センシュ カケアシ レンシュウ ガンバレ オーエン など、運動会関連の言葉も数多く残っており、グランドでよく耳にする言葉である。 オーエンもとても賑やかで、興に乗って来ると、グランドのそこかしこで激しいオーエン合戦が始まる。
『ガーンバレ~♪♪、ガンバーレ~♪♪、・・・・・ ♪♪』と言った応援歌が、あちこちのチームから聞こえてくる。小錦バリに太ったオバサンが選手団の前に出て、狂ったように踊りだす。
それを合図に、あちこちのチームの前に、負けじとまたオバサンや若者が即興の歌や踊りでグランドを盛り上げる。そうなるともう、競技はそっちのけでグランド内は歓声で騒然となる。
グランドのまわりには、沢山の出店が並び、学校や官庁は殆どが休みとなり、島中のポリスが総動員され、交通整理や警備に当たっている。子供から大人まで、老若男女、正に島を挙げて運動会を楽しむ事となる

丁度、この運動会が行なわれていた10月のある日、日本から外務省を通じてとある団体が到着した。この団体は州知事の表敬訪問をはじめ、現地政府との懇談をするべく、日本大使館を通じて州政府にアポイントメントを取っていた。ところが、この団体一行が空港に到着する直前、現地側より『本日の州政府訪問は見合わせて欲しい』との連絡が入ってきた。
理由がふるっている。
『州知事はじめ、政府の要人は全てウンドウカイに出席しているため、お会いできない』と言うものであった。『ウンドウカイ』は、政府間レベルの用件を反故(ほご)に出来るほど彼らにとっては重要なものなのである。

各島々では、何ヶ月も前から選手を選考し、選手に選ばれた戦士達は、仕事も家事もほったらかしで、ひたすらレンシュウに励む。島々にはろくなグランドも無いので、ちょっとした広場や道路などがそのレンシュウの場となる。月夜の夜ともなれば夜遅くまで道路でレンシュウに励む女や男達を見かける。期日まで数週間ともなると、各チームは合宿に突入する。島の人達は選手のために、合宿の場所や、食べ物、飲み物などを、競って提供する。『ウンドウカイ』は島を挙げてのお祭りで、一大イベントなのだ。そしてこの模様は島のラジオ局を通してトラック諸島全域に実況中継される。

大会当日の早朝、各島々から集まってきた選手団は、港に集結し、それぞれのチームが州旗や団旗をひるがえし、グランドまでの約1マイルの道のりを、大声を張り上げ応援歌を歌いながら ゆっくりと行進してゆく。彼ら選手団の熱気は行き交う人達を巻き込みその興奮は次第に島中に広がってゆく。

 種目は、日本時代の伝統的な種目や、短・中・長距離、各種リレーなどの陸上競技種目がメーンで、一般男子による『椰子の実割り競争』や、女性による、椰子の葉っぱを使った『バスケット編み競争』などローカル色豊かな種目もいくつか用意されている。中でも彼らの最も興味をそそる種目はリレー競技だ。小さい子供達から、女、男、まで、ありとあらゆるリレーが次から次へと展開されてゆく。
そして、雨や嵐もなんのその、彼らのウンドウカイは必ず『雨天決行』である。彼らはむしろ、悪天候や予期せぬアクシデントなどから来る予想外なレース展開を最も好む。グランドは雨でドロドロ、それでもリレーは決行される。先頭を走っている選手が足を滑らせて転倒する。強者の足を引っ張る。だれが勝つか負けるか、全く予想もつかない。そうなるともうグランド内はヤンヤの喝采である。ルールを最重要視し、比較的紳士的に遂行される学校のウンドウカイとは赴きを異にするこの破天荒な争いの『ウンドウカイ』こそが、彼らの本領発揮の場なのである。

地理上の発見と言われた大航海時代、チュークの環礁内に入った外国船は度々現地人の襲撃を受けてきた。その悪名は、ヨーロッパの航海者達の間では長く言い伝えられており、その後長い間、ヨーロッパ人の上陸や入港を阻んできた。明治の半ば、一人の日本人が貿易会社の社員としてモエン島に上陸する。彼は現地人社会に溶け込むべく、鉄砲と日本刀で武装し先陣を切って部族間闘争の輪の中に飛び込んでいった。今からほんの100年ちょっと前まで、彼らは日本の戦国時代同様、部族間で戦争を繰り広げていた人達だったのである。

 平和な社会になった今、彼らの闘争民族の血をぶつけるものはスポーツを置いて他、何も無い。闘争のはけ口を失った彼らが日本時代に遭遇した運動会は恰好の彼らの戦いの姿だったのかもしれない。パプアニューギニアに今も残るシングシングの祭り。彼らもまた、闘争民族の血を発散させるために、この戦闘のダンスを今に伝えている。

『ウンドウカイ』をかくも熱狂的な闘争の場とする彼らの戦いの根源は、彼ら自身の民族の血から来るものであろう。彼らの闘争本能を存分に受け入れ、発散させる『ウンドウカイ』は、島社会を平和に保つための潤滑油ともなっている。文明人達によって両の腕をもがれた彼らにとって、『ウンドウカイ』はむしろ彼らの血を受け継ぐ恰好のお祭りだとも言えよう。

闘争民族の血を受け継ぐ祭り・ウンドウカイ
ガンバレ! チュークの戦士達!

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胸に大きく、NIKUMI の文字。

日本語で“2組”の事である。
かつての日本時代、チュークの島々はそれぞれ1組~4組(大きな島は5組)まで村々を分けて呼んでいた。
島を挙げての運動会やイベント、自治体の催事などにはすべてこの区分けが用いられた。
当時、島を挙げての運動会はその最たる行事で、今も『ウンドウカイ』と共にその呼び名が残っている。島の中を4組~5組に分けて、組毎に得点を競うわけだ。

写真の少女はフェファン島(秋島)の女の子で、丁度、秋島の運動会が終わったばかり。
なかなかしゃれたデザインだったので、ちょっと写真をお願いした。

シャツの下の方の文字、ESEPOCHOK。
POCHOKは“強い”ってことで、ESEPOCHOKは“強くない”って事。
さしずめ、『私たちの組は弱小軍団です!』てなところである。
その実、NIKUMIはちょっとした強豪チームなのだ。

なかなかのユーモアではないか!!

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14日の新月から数えて、今夜は三日月。

そんな三日月が輝く西の空でミラクル現象が発生した。

日没後の余韻が残る西の空に、お椀のように浮かぶ三日月・・・。

そのお椀の上に、宵の明星が燦然と輝いている。

悠久の夜空に輝く星々とは全く違った動きをするこの2つの天体が偶然見せてくれた、奇跡のハーモニーである。

おそらく、もう2度とは目にすることもあるまいこの素敵な夜空のカップル・・・

三日月に寄り添う、美の女神・ヴィーナス ・・・☆☆☆

偶然に目にした天体ショー・・・、夢のランデブー・・・

今年もまだまだ捨てたものではない・・・(^_-)-☆

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2月以来悩まされ続けた尾てい骨のヒビ、手首の捻挫、そして同時発生の電話不通にクレジットカード被害。

その他様々なトラブルの数々・・・。
友人が名付けた、三隣亡月間。

そのすべてを背負ってのGWツアー突入だった。
毎日がふっきれず、もやもやした中での忙しい日々。。。

気が付けばGWも終わり、長引いていたカード被害手続きもなんとか終わり、電話も復旧して、こまごまとしたトラブルもいつの間にか片付き、そして体も元通り健康に・・・。

GWのドタバタが、何もかもきれいに吹き払ってくれたようだ。

おかげで、GW前に採集していた野生ランの植え付けや、植木の手入れも終わり、今はのんびりと自分の時間を楽しんでいる。

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