2010年03月

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チューク(トラック)諸島の主食は、パンの実やタロイモである。
日本人のお米に相当するもので、これには当然オカズと称されるものが必要だ。
それには、魚介類や肉類などの生ものに対して、彼ら独特の保存食もある。
その代表的なものが、日本でもよく見られる干物だ。

遠く離れた離島や無人島等に行くと、このような干物作りに良く出会う。
新鮮な魚やタコをたっぷりの塩で付け込む。
日本人の好む〝甘塩”なんて物では、この熱帯の島ではすぐに腐ってしまうからだ。
そうして一昼夜漬け込んだ魚やタコを、木の枝で組んだ棚に並べて天日干しにする。

熱帯の強烈な太陽の下、数日で立派な干物が出来上がる。

現地食のパンモチにぴったりの貴重なオカズである。

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現地語で、生地(布地)の事を『キレ』と言う。
日本時代に使われた“布”がそのまま現地語になった言葉だ。

そして、今も街のストアーには、キレがたくさん売られている。
安いものは、1ヤード(反物)1ドル位の物から様々である。

女達はそんなキレを買い求めて、家族や自分達の為に服を作る。
当然、手縫いとなるのだが、そんな彼女たちの強い味方がミシンである。

ところが、ここチュークでは、モエン島の一部を除きすべての島に電気はない。
従って、現在の電動ミシンは使えない。
今も、昔ながらの足踏みミシンが幅を利かせている。
街のストアーには、日本製の足踏みミシンがズラッと並べてある。
そして、どんな離島に行っても、家の軒下などに足踏みミシンがちょこんと置いてあったりする。

先週、久し振りに訪れた離島の庭先でも、この足踏みミシンを使って服を作っている光景を見かけた。

ちなみに、このミシンの事を現地語で『ミシン』と言います(*^_^*)

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戦前、日本全土で消費する鰹節のなんと6割をこのミクロネシア地域で生産していた。
化学調味料がまだ少なかった戦前の話である。

日本統治時代のミクロネシア(南洋群島)では、盛んに鰹節(カツオ節)の製造がおこなわれていた。
そして、ここチューク(トラック)諸島はその一大生産地であった。
諸島内の各島々にはたくさんの鰹節工場とその基地となる港が造られた。

チューク諸島はカツオ漁場の真っただ中にある。
早朝に出漁し、夕刻にはすでにカツオを満載した船が港に帰って来る。
その日のうちに新鮮なカツオを捌き、釜ゆでし、乾燥に掛ける。
多くは天日干しにされた。
こうして出来上がった鰹節は“南洋節”と呼ばれ、高級品として日本本土で重宝された。

その中心になったのは、沖縄からの移民の人たちだった。
各島の工場は、100人~200人の人達で構成され、島々には沖縄の人達のコミュニティーが出来ていた。
最盛期には、このような人達だけでも優に5000人は超えていたと思われる。

今日、日本からの研究者をご案内して、そんな港・港を巡ってきた。
活気にあふれていたかつての港は、何もかもが廃れてしまい今ではもう見る影もない。

そんな中、当時の住居跡や井戸が今も現地人達に受け継がれ、当時の人達の生活振りを偲ばせていた。

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日本の夏の夜、秘めやかに花を咲かせる月見草。

こちら常夏の南の島にも、そんな植物がいくつか見られる。

陽も落ちて、あたりが暗くなリ始める頃、かわいい蕾が柔らかく膨らみ始める。

そして、水平線に落ちる南国の夜は一気にやって来る。
そんな南国の夜に呼応するかのように、膨らんだつぼみが、まるでスローモーション映像を見るかのように、一気に花が開き始める。

いったいどのようなメカニズムで動いているのか・・・・

妖しくも美しいこの花を見ていると、知らず知らずのうちに異次元の世界に引き込まれてゆく感じがする。

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ここ3週間ほど、数分のスコールが2度あったでけほとんど雨がない。

いつもは緑の草で覆われている溶岩台地の山肌も、ほとんどが焼けてしまって、およそ南の島には似つかわしくない風景を見せている。
遠望の島々でも山火事の煙が大きくたなびいているのが見える。

村々では、近くの井戸や谷川のせせらぎから流れてくるわずかの水を皆で分け合って使っている。

こんな時には、古くには雨乞いの踊りや祭りが行われたそうだが、今はそんな事も無くなってしまった。

やっとあらわれた雨雲も、雨を降らす前に上空で蒸発してしまう。
それでも東の空を眺めては雨雲の到来に一喜一憂している毎日である。

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貝と聞けば、あでやかな自然の造形美が頭に浮かぶ。

大きな貝の影に隠れがちな、小さな小さな貝たち・・・。

それぞれに一生懸命、自分の存在をアピールしている。

小さいものは1センチにも満たない・・・。

小さくても個性豊かなその美しさは、十分に存在感を感じさせてくれる。

・・・ちなみに、プロフィールの貝の写真は『トンボガイ』たち・・・

海に浮きそうなくらいに薄くて軽い、清楚な貝だ。
私の大好きな貝の1つでもある。

先月から毎週、プロフィールの欄に貝たちをご紹介している。
当初は1ヶ月だけのつもりだった貝の写真も、毎週更新しているうちに、
他の貝たちも次々と出番を待っているかのように語りかけてくる・・・。

もうしばらく彼女たちの笑顔と付き合って頂きたい・・・。

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ずっと以前、島の東端の村を訪ねたとき、とても珍しいブーゲンビリアの木を見つけた事がある。
通常のブーゲンビリアとは違ったとてもきれいな葉と花をつけていた。
ブーゲンビリアにしてはかなりの大木で、だいぶ前からそこにあるらしい。
それからはずっとその木の事が頭に残り、気になっていた。

そして半年ほど前に、用事ができたついでに再びその村を訪れた。
村々の散策もさることながら、例のブーゲンビリアを入手することも1つの目的だった。
あらかじめ用意していたプレゼントを持って、持ち主に話をする。
快く聞き受けてれた。

1本の枝を切ってもらい、肩に担いで、15キロの道のりを歩いて帰った。
途中、現地の友人宅で休憩した時に、少し切って分けてあげる。
お陰で少し持ち運びが楽になった。

早速、その日のうちにカットして5本の差し木を作る。
丹精こめて育てた甲斐があり、最近、とても奇麗な花を咲かせてくれる。

本当の名前も判らず、勝手に、ブーゲンビリア亜種、と呼んで区別している。

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『何か、美味しいものを食べた~~~い!!』

いつも妻のカオルが叫んでいる言葉だ。
暗に、美味しい日本食を意識して言っている言葉でもある。

口の肥えた日本人にとって、こんな文明から隔絶した南の島では、日本食どころか、『美味しい』と感じる食べ物はそうそう口には入らない。
そんな事もあり、時々は色々な物を作ったりもしてみるが、道具も材料も少ない南の島ではそれにも限界がある。

でも幸か不幸か、我が奥様は魚介類が大好きで、時折食べる新鮮な魚介類が彼女の食嗜好を和らげてくれる。
中でも、小イワシのマリネは大の好物なのだが、このところトンとご無沙汰していた。
街のストアーや市場にもあるにはあるのだが、現地人向きの味付けと衛生面で、イマイチ手が出ないでいた。
そろそろ小イワシが出回る頃だなあ、と思っていたそんな時、現地人が、投網で取ったばかりの小イワシをビニール袋いっぱいに持ってきた。
どうも妻が知り合いの現地人に頼んでいたらしい。

彼女は今にも、もう食べたい! とばかりにルンルン気分でいる。
だが、だが、、、チョット待ってくれ!!
これを料理するのは大変な手間がかかるのだ!!

400匹はあろうかと言う小さなイワシの鱗と頭を落とし、はらわたを取って、一匹、一匹、きれいに洗っていく。
さばきおわるまで丁度2時間・・・
酢と砂糖と生姜と島唐辛子で作った中に付け込んで、12時間・・・。

と、思いきや、奥方は漬け込んだばかりの小イワシを口に放り込んで早速チェック。
ん・・・、これならOKと、冷蔵庫にしまいこむ。

そして今日のお昼、早速熱いご飯をお供に、2人でなんと軽~~く50匹をたいらげた!!
もっと食べたい御飯をグッと我慢する。
ご飯を借りてきてでも食べたいと言う、瀬戸内地方の“ママカリ”を思い出す。

そして私も今夜は、ママカリビールで至福のときを過ごした・・・

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