2009年11月

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南の島に“スターアップル”と呼ばれる、ちょっと変わった果物がある。
カットすると、その名の通りに、まさに星・☆そのものの形をしている。
決して美味しいものではないが、その特異な形から、グアムやハワイなどではバーベキューのお供に良く姿を見せているフルーツだ。
満天の星空のもとで、賑やかに行われる南の島でのバーベキュー。
こんな時にはやはり、この星の形をした果物が良く似合う。

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 私は、長崎県対馬の出身で、子供の頃から貝にはとても興味を抱いていた。
そんな私が、この南の島に来て、とても大切にしている貝がある。
それは、私の貝のコレクションの中でもただ一個だけと言う貴重な貝でもある。
その名は『オトメイモガイ』、英語で『Virgin Cone』と言う。

貝の中ではもっとも種類が多いとされているイモガイの仲間だ。
大きさは15cm程で、数あるイモガイの中でも大きな部類に入る。
そして、ほとんどの貝たちがカラフルな衣装をまとっているのに対し、このオトメイモガイはとてもシンプルなデザインと色をしている。
その清楚な姿は、正に『海の乙女』と呼ぶにふさわしい。

かつて私は、ここチュークの海で2度にわたってこのオトメイモガイに出会った事がある。しかしその時のオトメイモガイ達は、いずれも見るからに肌ツヤも悪くて、とても海の乙女の名を冠するにはふさわしくないように思われた。
私は、その乙女達を黙ってそうっと海に帰した。

チュークに住んで30年・・・。
なかなか、真の海の乙女に出会う事が出来ない・・・。
それとも海の乙女は、そんな私の浮気な心を察して、ひっそりと姿を隠しているのだろうか・・・。

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私の好きな貝の1つに、『サソリガイ』と『フシデサソリガイ』がある。
ソデガイの仲間で、大きさは5cm~10cm位と様々。
ソデガイの中でも特に怪奇なその姿には、とても興味をそそられるものがある。

女性の優しい手を連想させる気品に満ちた『サソリガイ』と、
かたや野武士のような猛々しい手を思わせる『フシデサソリガイ』・・・。
その対比と組み合わせの妙は、いつまで見ていても飽きる事がない。

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貝殻の魅力に魅せられて、少しばかりのコレクションがある。
そんな中で、大好きな貝の1つに『ショッコウラ』と言う貝がある。
日本ではわずかに5種類、世界でも12種類しかない。
貝の本の表紙にも時々登場する非常に希少な貝の1つである。

そんな希少価値もさる事ながら、この貝の持つ美しさにはいつも惚れぼれとするものがある。
日本名の『ショッコウラ』は、古代からの織物・錦織のイメージから命名されている。
そして、英名は『Harp Shell・ハープシェル』。
あの優しい音を奏でる西洋の楽器からとった名前である。
そのデザインは正にハープ以外の何物でもない。

浜辺でこの貝を見ていると、優しい渚のメロディーが聞こえてくるような錯覚にさえとらわれる。

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『魚の干物を食べたい!!』
妻の要望に応えて、干物を作った。
チュークの市場でも魚の干物はたくさん売っているが、何せしょっぱすぎて、
我々日本人には食べれる物ではない。

市場でカワハギに似た小さな魚を買ってきて、背開きにする。
熱帯の島の事、腐っては大変と思い、若干塩を多めに振る。
陽乾しには釣り用の生けす網を使った。
南の島はハエが多いので、ハエがつかないように、
そして風通しが良くて陽が良く当たるように工夫する。
スコールを気にしながら2日間干して、きれいな干物が出来上がった。
早速、昼食に頂く。
我ながらなかなかの出来栄えで、味も上々。

今は、新月。
新鮮なアジが市場に出回る頃だ。
今度は小さめの新鮮なアジを仕入れて、美味しいアジの干物を作ろうと画策している。

う~~ん、考えただけでもノドが鳴る!!
楽しみがまた1つ増えた。

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トラック環礁にデュブロン島と言う島がある。
かつて30年間に亘る日本時代の中心だった島だ。日本名を『夏島』と言った。
島には陸海軍の大きな基地が設けられ、街が開けていた。
その島の中ほどに、大きな入り江があり、その入り江を南北につなぐ橋がかかっている。日本時代に作られた橋で、『チョンチョン橋』と呼んでいる。

チョンチョン、とは、当時の海軍の隠語でセックスを意味する。
よく言う『チョンの間』と言うのは、正にそんな部屋の事だ。
なぜこの橋にそんな名前を付けたのか・・・・。
当時の島の様子を見るとよくわかる。

島の南側には、軍港があり街が開けていた。
そして入り江をはさんだ北側には、艦隊司令部や大きな遊郭がいくつもあった。街中にも、料亭・割烹はじめ、女性を置いているお店がたくさんあり、当時、夏島だけで、そのような女性が800人以上いたという記録が残っている。

港に上陸した兵隊たちは、街で遊んだあと、この橋を渡り遊郭に繰り出した。
この橋を渡れば、目の前には遊郭が並んでいる。
いつしか誰ともなく、この橋を“チョンチョン橋”と呼ぶようになった。
そうして今にその名が伝えられ、アメリカのガイドブックなどにも、そのまま『CHONCHONBASHI』と記されている。

当時、港に上陸する兵隊たちには、軍部から1通の小さな封筒が手渡されていた。その封筒には、『突撃一番』と刻印されていた。
そしてなんと、その中には1個のコンドームが入っていた。
事に及んでは、必ずこれを使用するようにとのお達しであった。
性病防止策である。
ところが、兵隊によっては、このような突撃を好まぬ者もいた。
当然、『突撃一番』がダブついてくる。
そこで、上陸を前にして、ダブついた『突撃一番』の争奪戦が繰り広げられるのである。

かつて、生死をかけた血気盛んな若者たちが突撃して行った、もう一つの戦いであった。

先週、とある戦跡めぐりの一団を夏島にご案内した。
そのおり、チョンチョン橋を訪れそのいきさつをご説明したところ、いたくお気に入りで、ぜひとも、ブログで紹介してほしいと言う。
かくして、『突撃一番』が本邦初公開と相成った訳である。

江刺さん、アガタさん、ご覧になりましたか!!!

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先週末からすでに1週間、電話回線の不通状態が続いている。
そのため、インターネットも電話も、FAXもお手上げの状態だ。

チュークのインターネットは、ほとんどがまだ加入電話の回線を利用している。
従って、ちょっと重いメールや画像などは、時間がかかって仕方がない。

それでも最近は、大きなホテルや、電話局などでは無線LAN使えるようになった。
それを頼りに先週、ソフトを導入すべくダウンロードやインストールを試みたのだが
これが大変な作業で、ほとんど3日間、朝から晩までこれにかかりっきりだった。
ソフトの容量が大きいのもそうだが、一番のネックは停電である。
1日のうちに何度も何度も停電する。
その度に無線は中断するは、ダウンロードはやり直しだわと、一向に進まない。
それでも今は何とか、その作業もやり終わって、こうして無線LANを利用し、インターネットやメールのやり取り出来るようになった。

しかし、電話回線の方は相変わらずで、いつになったら復旧するのか、一向に先が見えない。

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チューク諸島にはもともと野菜が存在しなかった。
外国人が入植し始めた100年ほど前から少しづつ野菜が入ってきたが、それとて、外国人の食べるものでしかなかった。
野菜が大量にこの地域に入ってきたのは日本時代になってからである。
日本人が多く住むようになると、日本から“南洋開拓団”が組織され、島々の農園開拓がはじまった。
ほとんどが、軍隊はじめ日本人に供給するための野菜や果物であった。

そんな日本時代の影響で、野菜に関連する言葉はほとんどが日本語だ。
野菜は『ヤサイ』だし、『ナッパ』『キューリ』『ナス』『マメ』『マクワウリ』『ホウレンソウ』など、ほとんどが日本語から来たものだ。
最近になって、外国からの野菜を少しずつ食べるようにはなってきたが、それでもごく一部の人たちだけである。一般的にはまだまだほとんどの人達が野菜を食べていない。
もともと植物が主食のこの人たちには、野菜はさほど必要な食べ物でもなかったにちがいない。

そんな中で、唯一、昔から好んで食べられているチューク独特の野菜がある。
南洋ホウレンソウと呼ばれるもので、水草の一種だ。
チュークの人達はこの水草の新芽のやわらかい部分を摘んで、主にスープに入れて食べる。
摘んでも摘んでもすぐに新芽が伸びてくるので、彼らの貴重な生鮮食料品となっている。
私も時々、おしたしや炒めものにして食べているが、柔らかい舌触りの割に、シャキシャキ感があり、
草の持ついやな匂いも全く無く、結構イケル。

ちなみにこの水草の事をチュークでは『ホーレンソウ』とか『セリ』と呼んでいる。
日本時代の名残だ。
そしてこの南洋ホウレンソウは、戦時中の食糧不足の折、日本人の貴重な野菜ともなった。
この南洋ホウレンソウを食べる度に、そんな時代の同胞たちに思いを馳せている。

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