2009年10月

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今年もまた、日本遺族会の慰霊ツアーが執り行われた。
トラック諸島で父を亡くしたご遺族の方たちだ。
母と共に苦難の65年間を生きぬき、今ようやく父の眠るトラック諸島を訪れる事が出来た。

今年はトラック大空襲から数えて65年目の節目の年でもある。
ご遺族の方達の想いも事の他大きい。
この4日間、父の軌跡を追ってトラック諸島の島々や海を訪ね、この地に眠る父の慰霊を行った。

最終日、慰霊行も滞りなく終わり空港に到着し、空港チェックイン完了。
いよいよトラック諸島ともおわかれだ。
後は近くのレストランで昼食を取り、飛行機に乗り込むだけである。
メンバーの半分を占める女性たちは、『ああ~、まだかえりたくないねぇ~~』と口々に話している。

そして、いよいよ搭乗、と言う時、空港マネージャーが私のところにやってきた。
どうも浮かぬ顔である。
『スエナガさん、今日の飛行機はオーバーブッキングで、あなたのお客様の半分は残って頂くことになります。』
なんと言う事だ!!
次の便は2日後である。
すったもんだの挙句、何とか先発隊の人選を終える。
結局〝まだ帰りたくないね~”のご婦人たちに助けられた形となった。
ご婦人方は、『お父さんが呼んでくれた!』とむしろ喜んでいる。

翌日、父に引き止められたご婦人部隊9名は、無人島ツアーとしゃれこむ。
予期せぬ休日がプレゼントされ、みんな楽しそう。
貝殻や白いサンゴのかけらを、父の形見に持ち帰ることになった。

出発当日、島内観光の後、飛行場に向かう。
するとどうだ!
今度は飛行機は10時間遅れで、夜中の到着だと言う。

そして今、みんなは空港待合室で、静かに飛行機を待っている。
きっとみんなの胸の中には、トラックに眠る父の姿が去来していることだろう。

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2005年5月、西日本を襲った時期尚早の巨大台風があった。
この台風はチュークの北側の海域で発生し、停滞したまま巨大な台風に発達していった。
この台風がチュークを離れる時、その暴風雨直径は1000キロにも及んだ。
その当時、サイパンやグアムにいる同業者に台風警戒のメールを送ったのを覚えている。

そして、この巨大台風は、チュークにあったミクロネシア随一の無人島を跡形もなく消し去ってしまった。当時、日本人観光客の殆んどが訪れていたプサモエ島である。

あれから5年・・・。
今またプサモエ島があった同じ場所にビーチが広がり、早くも涼をとれるほどの緑が広がっている。
プサモエ島の復活だ!
今年になって何度か、この新プサモエ島を訪れた。
そしてそこで面白い光景に出くわした。
小さな島を覆うようにして、2~3mの高さの木々が茂っているのだが、
その木々の枝と言う枝の先端に、なんと大きなヤドカリ達が所狭しと居座っているではないか!

もともと、ヤドカリは日陰を好み、日中は大きな木の下や岩陰に潜んでいる。
誰もやってこないこのプサモエ島では、彼らはせっせと木に登り、涼しい木陰を発見したに違いない。
小さな枝の先端まで登って、木の葉っぱの下で、涼しい風にあたっている。

ヤドカリが木に登るのは、これまでも良く見る光景ではあったが、これほどまでに見事な集団は初めてである。
プサモエ島の木登りヤドカリ族、一見の価値ありだ!!

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ネックレス、ブレスレッド、イヤリング、髪飾り・・・。
島の娘たちのおしゃれの基本だ。

そしてそこにもう一つ、チュークの娘たちに人気の、きらりと光るおしゃれがある。
その名も『キンバ』。
日本語で言う金歯の事だ。
チューク病院の歯科医に行くと、キンバのサンプルがいっぱい並べてある。
女たちは、懐具合が許せば、せっせとキンバ作りに余念がない。
笑った顔に、きらりと光るキンバ!
自分を最もチャーミングに見せるおしゃれ、とだれもが認めるチューク女のファッションだ。

君のキンバは素敵だねェ~! 

今度チュークを訪れたら、思い切って一言声を掛けて見ようじゃないか!!

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文明から遠く離れた南の島のファッション。
マンガチックに考えるなら、男はフンドシ、女は腰ミノにトップレスと言う情景が頭に浮かんでくるかもしれない。ヤップ島やチューク諸島の離島では、一部にはまだまだそういう服装が見られる所もあるが、
一般的にはもう昔・むかしのお話で、最近では若い世代を中心に現代的なファッションが主流となり始めている。

そんな中で、チューク諸島の女性の服装にはこの地方独特のファッションが根強く残っている。
どのお店に行っても、安価な生地が沢山売っており、彼女たちはその生地を買って来ては、自分たちで服を作る。針・糸から、飾りのレース、ゴム紐に至るまで、必要なものをすべて買い込んで、自分だけのお気に入りの服を作るのだ。サイズはおおざっぱで、ほとんどがムームーばりのドレスでフリーサイズ。

誰もが着れる便利な服と言う訳だ。
ボディーラインを気にすることも無く、気楽なことこの上ない!
それがあってかどうかは知らないが、そのうちに歳を経るに従い体は段々膨らんでいく。
それでもこの服を着てる限りは体型なんて気にならない!!

かくて皆さん、南洋美人と化して行くのである。
そして、男たちもまたそんな女性に鼻の下をのばして・・・アァ~\(゜ロ\)(/ロ゜)/

さてさて、、、チュークドレスは当分すたれそうもない(*^_^*)

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南の島の人達はBBQ(バーベキュー)が大好きだ。
島のローカル市場では毎日、焼きたてのBBQを売っているし、
土曜・日曜ともなると、島のあちこちでBBQの煙が立ち上っている。
パーテイーと言えば、まずはバーベキューである。

そして最近、近くの小さなお店が、お昼のサンデーBBQを始めた。
このお店は、北と南に大きな教会があり、その教会帰りのお客さんをターゲットに始めたものである。
お昼近くになると、お店の前でマングローブの薪を燃やし、その炭火を使っての本格的なBBQだ。
カツオのバーベキューに始まり、串焼き、そして、大・小のチキンがそのメニューである。

先月のある日曜日のお昼、美味しそうな匂いと煙がモウモウと立ち上がる光景に出くわした。
煙の中では大きな肉が丁度いい焼き具合で網の上に乗っかっている。
その日は、昼食の予定はすでに決まっていたので、食べたいのを我慢して通リすぎた。
そして次の日曜日。今度は昼食の準備はしないで、そのお店に出かけた。

やってる、やってる!
以前にも増して、美味しそうな肉が網の上でジュージュー音を立てながら待っている。
さっそく大きなチキンのももを買い込んで、BBQランチとしゃれこんだ。

こうして我が家の日曜日は、BBQランチが恒例となってしまった。
もちろん今日も、1週間振りのBBQに舌鼓を打ったことは言うまでもない!
お陰でちょっと食べ過ぎて、夕食はおにぎり1個というカワイイ晩賛となってしまった(^_^メ)

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南の島の人達は、いつも何をするのでもなく木陰でのんびりと寛いでいる。
先進国の人達と彼らとの大きな違いは、趣味を持っていない、と言う事だろう。
忙しい合間を見つけては、いろんな趣味に気を紛らしている現代人と違い、
自給自足が基本の、自然を相手の生活をしている彼らには、特別にあれやこれやと、やる必要も無いのかもしれない。

かつては、映画館があったり、テレビ放送もあったが、今ではそれも無くなってしまった。
若い女や男たちは、ただブラブラしたり、木陰で一日中座り込んだりしている。
そんななかで、唯一彼らの楽しみと言えるものがある。

その男たちの娯楽は、ビリヤード。
現地語で『玉突き』と呼ばれているものだ。ビリヤードは日本時代からの数少ない現地人の娯楽の1つで、『玉突き』と言う名前はここからきている。島の中には必ずこの『玉突き場』があり、若い男たちが朝から夕方まで飽きもせず、ゲームに興じている。

そして女たち・・・。

仕事や家事から解放された、暇を持て余した女たちの娯楽は『ビンゴ』と呼ばれるゲームだ。
男たちの『玉突き』もそうだが、この『ビンゴ』も当然お金を掛けて勝ち負けを競う。
このビンゴ場は、今でも島のいたるところにあり、一般の家庭でも、土用日、日曜日になるとあちこちで
ジャラジャラとサイコロを振る音が聞こえてくる。
唯一の女達の娯楽だ。

実はこのビンゴ、かつて私も熱中したことがある。
チュークにやって来て間もないころ、チューク語の数字を完璧に覚えたくて、おばさん達の中に入って賑やかにやったものである。ご承知の通り、ビンゴゲームは、数字の書かれたカードを何枚も買い込み、親の呼びあげる数字を聞いて、カードの数字の上に次々と駒を並べていく。

実戦で鍛えた甲斐があって、チューク語の数字の呼び方はいち早くマスターした。
おまけに、助べえなおばさん達との会話も弾み、これまでのどんな語学教室よりも上達の早いスクールとなった。

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今年の夏は、とうとう天候不順で終わってしまった。
トラック(チューク)環礁は、北緯7度位に位置し、6月~10月は貿易風も落ち着いて、例年海が静かになる。ところが今年は、当初から天候が落ち着かず、静かなはずの夏場もずっと荒れ通しだった。

普段はめったに吹かない西風、北風の連続で、きれいな環礁の島々もビーチは濁ってしまい、せっかくいらしたお客様も南の島の美しさを充分味わうことができなかった。
突発的な雷雨に見舞われることが多く、そのたびに小さな島の中は水浸しになってしまった。
一昨日もほぼ12時間、ゲリラ豪雨に見舞われて御覧の通りである。
5~6年前のエルニーニョの時と同じだ
島に水が潤うのは結構なことなのだが、島を訪れる観光客にとっては大変気の毒なシーズンだった。

エルニーニョが暴れていいのは、楽天イーグルスのエルニーニョ打線だけかもしれない。
今年は楽天日本一を夢見て、天候不順の憂さを吹き飛ばしたい!!

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もう30年以上も前の事である。
10月になるといつも、運動会でもないある催し事が行われていた。
それは2日間に亘って行われた。
島中の人たちが集まり、家畜や農作物、民芸品、などが広いグランドに所狭しと並べられ、屋台も出て、とても賑やかで華やいだお祭りだった。

子豚やニワトリをグランドに放し、追いかけて捕まえれば自分のものになる。
ヤンヤの喝采の中、大人も子供も必死になって子豚やニワトリを追いかけ廻した。
民芸品はそのまますぐれた工芸品で、観光客には素晴らしい土産品となった。
珍しい果物や野菜も多く、そのほとんどがビックリするほど巨大なものばかりだった。

これは日本時代に行われていた『品評会』を踏襲したもので、戦後も長く続けられていたのである。
チューク語でもこのお祭りを『ヒンピョウカイ』と呼んでいた。『ヒンピョウカイ』は、30年間の日本統治時代の古き良き、楽しいお祭りだったのである。

その『ヒンピョウカイ』でとても懐かしい思い出がある。
当時、日本から来たばかりの私には、パパイヤと言う果物がとても珍しく、大好物でもあった。
そしてそこにあるパパイヤたるや、絵本や写真で見るパパイヤとは似ても似つかぬ巨大な果物だった。
それを格安の値段で買ってきては、毎日・毎日、飽きもせず食べていたものである。

その『ヒンピョウカイ』も無くなった今、市場を物色していた私の目に、懐かしい巨大パパイヤが目に飛び込んできた。
ヒンピョウカイに出ていたものは、もっともっと大きかったように思ったが、これはもう買うしかない!
さっそく購入して家に持ち帰った。
妻のかほるもこのパパイヤにはぞっこんで、今日か明日かと、熟れるのを一日千秋の想いで眺めていたものである。
お客様にもおすそ分けして、ほぼ1週間、巨大パパイヤを堪能した。

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