2009年02月

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明日からのお客様に備えて車を洗っていると、『電話だよ!』と呼ばれた。
現地の船舶代理店からだった。
『スエナガ! 日本の漁船が緊急入港した。すぐ港に来て欲しい。』
着替えもそこそこに、洗いかけの車をすっ飛ばして港に向かった。

頭の中には過去のいろんな状況や、最悪の状況などがぐるぐると巡っている。
半年ほど前、やはり日本の漁船が緊急入港した事があった。
入港した時、患者の船員にはすでに意識はなく危篤状態であった。
あとで判った事だが、脳梗塞で一刻を争う状態であった。
すぐさまチュークの病院に運び応急処置を施し、日本から親族を呼び寄せ、数日後に飛行機で日本に搬送した。しかし、その甲斐なく日本に到着したとたんに死亡した。

今度は何があったんだろう・・・。
ランプを点滅し、クラクションを鳴らし続け、次々に先行車を追い越して行く。
前方に港が見えてきた。
すぐ前を走っているパトカーを追い越したとき、パトカーがすぐに追いかけてきた。
『ヤバイ!』と思ったが、頭の中は ”一刻も早く港に到着しなければ・・・”という気持ちが渦巻いていた。
波止場のゲート番に怒鳴るように緊急事態を告げて、漁船の横に車を乗り付けた。
後を追いかけて来たパトカーがすぐ横にとまった。
無視して、岸壁にいた船員達に声をかけ、船長や漁労長への面会を告げる。

どうも様子がおかしい。
なんとなく緊迫感が無く、みんなとてもリラックスしている。
漁労長が出てきて、電話を受けた旨を伝える。
『末永さんですか? お久しぶりです!』
と、これもまたニコニコ笑ってのんびりとしてる。
様子を聞くと、すでに患者は病院に送り、2日後のフライトで日本に帰す手はずになっているという。
ちょっとした腫れ物で、大したことはないとも言う。

なんと、私を呼んだのは、30年ぶりの再会をするためだった。
船が1時間後に出港する為に時間がなく、現地代理店に私を捜させ緊急で呼ばせたというのだ。
ポリスがこちらを睨みつけて見つめている。
いかめしい顔をしてて、盛んに本部に何かを報告している。
何とかごまかさなくてはいけない。

『私は現地代理店から緊急の要請を受けて飛んできた。』
『てっきり緊急事態と思い、前回の事もあったので、一刻も早くと思いスピードを出してきた。申し訳ない!』
『もうすぐに船は出ていく。』
『今度の救急患者の事で、キャプテンが早急に手伝ってもらいたいことがあるらしい。』

次々とそれらしい理由を並べたてて、そそくさと船内に消えた。
誘われるままに乗船し、操舵室にお邪魔した。
『30年前に同じような緊急入港で、あの時には大変お世話になりました』
と、漁労長は話し始めた。
『あれから今日まで、トラックの近海で操業する度に、末永さんの事を思い出していました。』
『今日は何としてもお会いして30年前のお礼を述べたたかった。』

漁労長は、30年前の出来事や私の事をとてもよく覚えてくれていた。
彼は私と同じ年齢で、その事もお互いを親しくさせていた。
あの時私は、船の世話をする余り、現地の代理店に『ビジネスの邪魔をするな!!』と怒鳴られていた。なかなか動いてくれない代理店の仕事ぶりにやきもきして、あれこれと手伝ったことが彼らのシャクにさわったらしい。
そんな懐かしい話をしているうちに1時間はあっという間に過ぎて行った。
30年前の彼の顔を思い出すことはできなかったが、1人の人の命を救ったあの時の出来事は、
少しづつ私の胸の中を支配し始めていた。

『きっとまたいつかお会いしましょう!』
固い握手を交わし、再開を約束してデッキを降りた。

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今日は久しぶりに、山歩きをした。
山頂に向かう途中のジャングルの中にも、方々に民家が点在している。
山中で暮らす人々を訪ねるのもまた楽しいものだ。
草原の尾根からの眺めは特に素晴らしく、稜線をなでる風が疲れた体に気持ちがいい。
天気にも恵まれ、さわやかなハイキングとなった。

目指す山の山頂には日本時代の神社跡(春島神社)があり、
その周辺の山中には、当時の守備隊の墓地が2つある。
かつて、20年ほど前に、日本からのお客様を何度かご案内して訪ねた場所でもある。
1つはこの辺一帯に駐屯していた松本連隊の墓地。
これは何度も行っているのですぐに分かったが、もうひとつの墓地がなかなか見つからない。
トラック神社跡の近くという記憶はあるのだが、何せ20年も前のことで、ジャングルを搔き分け搔き分け
探したもので、今となっては記憶も定かではない。

第六防空隊という部隊で、空港周辺の防備に当たっていた部隊だ。
本部跡は今も空港そばの裏山に沢山の遺跡が残っており、支部隊のお墓がこの春島神社跡の近くにある。
かつて、厚生省の遺骨収集の際に、墓地は発見されたが、時間が足りなくて遺骨収集を断念した経緯がある。その数年後に関係者がいらしたときも、とうとう発見できずに、神社跡で慰霊祭を行った。
この第六防空隊については、私も何度か春島内の部隊跡をご案内した方達だったので、今日は何とかしてその墓地を見つけ出したい、という気持ちがとても強かった。

そして、今日。
松本連隊の墓地を後にして春島神社に向かうジャングルの中、突然現地の案内人が、ジャングルの草むらを指さして、『ペイヤス! ペイヤス!』(お墓)と叫んでいる。
聞くと、ここに当時の日本人のある部隊のお墓があると言う。
彼は以前、このあたりを歩いた時に老人に教わったと言っている。
そこには、私が関係者から何度も聞いていた小さな石積みの跡がきれいに残っていた。
状況的に見て防空隊のお墓であることに間違いない。
現地の案内人が、蛮刀を使って周りの木々やブッシュをきれいにしてくれる。
石垣の全貌が見えてくるにつれて、かつてご案内した防空隊の方達の無念の表情が昨日のことのように思い出されてくる。
この下に、60数年前彼らと生死をともにした戦友達が眠っているのだ。
場所を脳裏に焼きつけ墓地を後にした。

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ここチューク諸島に生えている木々のほとんどが常緑樹である。
葉っぱの寿命がきて枯れ落ちるものはあっても、紅葉と新緑を繰り返す樹木は皆無と言ってもいい。
ところが、そんな南の島で、唯一、紅葉する木がある。
日本名を『モモタマナ』、チューク地方で『モクモク』と呼ばれる高木だ。

殆どの樹木が常緑樹である南の島で、このモモタマナだけは、唯一真っ赤に紅葉する。
しかも1年に2回、見事に紅葉した大きな枯葉が巨木を覆い尽くし、瞬く間に地面を赤く染める。
そして驚くことに、紅葉し散ってゆく葉っぱの後には早くも新芽が吹き出し、1週間もすると今度は、
鮮やかな新緑が巨木を覆い尽くす。
日本では半年に亘って繰り広げられる紅葉から新緑への季節のドラマが、わずか1週間で再現されるわけだ。通称、アンブレーラーツリーと呼ばれるこの大きな木は、枝を放射状に広げ、熱い陽射しをさえぎり、風雨をしのぎ、南の島の人達に快適な憩いの場を提供してくれる。
そして1年に2回実を付ける胡桃状の実は、子供達の数少ないおやつの1つともなっている。
熱帯地方の海岸地帯によく生育し、街路樹や公園、家屋などの樹木として、とても重宝されている。

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