2007年09月

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チューク地方ではまだ殆どの家が自給自足の生活で、どの家でも炊事は野外で薪を燃やして行なっている。ヤカン一杯のお湯を沸かすのも、魚を1匹焼くのにも薪である。昔は石を熱く焼いて行なう石焼料理が主流であったが、現在では、鍋、釜などの食器がどの家にも普及している。特にパンの実やタロイモ、タピオカなどのイモ類を大量に煮る時には、大きな釜が必要となる。そんな中で非常にユニークな釜を時々見かける事がある。戦争の武器だ。陸上や水中に敷設されていた機雷もその1つで、鉄製の機雷の蓋が丈夫な鍋として今もいたるところで使われている。そしてもう1つ、極めつけは、探照灯である。地上から高空を照らすあのサーチライトだ。この直径1.5m程の巨大な鍋状の蓋は、機雷の蓋と共に彼らにとっては絶好の釜として愛用されている。市販の鍋や釜は数年で壊れてしまうが、この機雷と探照灯の蓋は、終戦後からの60年間、まったく壊れる事も無く毎日彼らに食糧を提供し続けている。

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もう、10日も前の話で面目ない。今日は10日遅れのフルムーンレポートといこう。
前回の満月は8月28日だった。最近の満月にしては久し振りに空は晴れ上がり、東の水平線から上がってくる満月の姿を堪能できた。その満月を楽しめたのも日没後の僅かな時間だけで、その後は空港を2往復、出発、到着のお客様でてんやわんやのサンデーナイトだった。
お客様のお世話でホテルの椰子林の中を走り回っていると、いきなり現地人に呼び止められて、『スエナガ、あれは何だ!』と言って、頭上の満月を指差した。『えっ!』煌々と輝いているはずの満月の月が欠けているではないか!! そうか、今夜は月食だったんだ。と一人納得。現地人にもそのことを教えてあげた。もともと彼は時と太陽と星をながめて生活している。月食の事はすぐに合点がいったようだ。
せっかくの満月の月食の推移も忙しさでゆっくりと観察する時間もなく、気がついてみるといつの間にか元通りの満月の姿に戻っていた。

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7月の末にわずかばかりの軒下菜園の畑を耕し種を撒いた。
今日までの忙しかった毎日、朝・夕の苗の生長振りがとても楽しく、いとおしく水をあげてきた。
種を撒いて4日後には沢山の芽を出し、40日経った今ではもういっぱしの野菜の苗として元気に育っている。平行して鉢に植えていたプルメリアとハイビスカスの苗も、見違えるようにつややかな葉っぱを枝いっぱいに広げ元気な姿を見せている。忙しさにかまけて、ブログの更新もままならぬ毎日だったが、
今日からまた、書けなかった日々の分も交えて、南の島の出来事をお伝えして行きたいと思っている。

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