2007年04月

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魚は南の島の人達の最重要食物である。そして彼らは魚獲りが大好きで魚獲りの名人でもある。
その方法も様々で、伝統的な漁法から始まり、近代的な漁具を使ったものまで、多種多様な漁法が用いられている。中でも最も簡単で良く行なわれているのが投網漁だ。
魚の沢山集まっている所に投網を投げ広げて一網打尽にしようと言うものである。
この投網漁では通常は小アジや、イワシなどの小魚が対象だが、時には大物の魚を取り込むときもある。
ビーチ沿いや海岸からでも気軽に出来るため、投網を抱えて海を見つめている人達に良く出会う。
私達もこの小魚が大好きで、投網をやっているところを見つけては少し分けて貰ったりしている。
酢で〆てマリネ風に仕上げると、いくらでもご飯も進むし、ビールの栓もついつい余分に空けてしまう。
私はこれを密かに『ママカリ』と呼んでいる。
ママカリとは、瀬戸内地方に残る魚料理の1つで、隣の家にご飯を借りに行きたくなるほど食が進む、と言われているものだ。正にママ借りである。

昨夜来の嵐が残り、今日は朝から雨交じりで太陽の顔さえ拝めぬ曇天の一日だった。
南国に住む人達にとってはこんな日は肌寒い一日で、たいがいは長袖のシャツを着込み、人によっては革ジャンを着込んでいる者すら見かける。
はたして気温は如何にと、寒暖計を覗いて見ると何とこれが25度!!
日本なら真夏とおぼしき気温である。
海で嵐に会った時なんぞはまるで凍えそうな位寒さを感じるときがある。
そんな時でも気温はせいぜい24度位のものである。
ここチュークでは、普段天気のいい日の日中の気温は大体35度前後である。
いつもはそんな中で動き回っている訳だ。
それが一気に体感気温が10度も下がるのだから、寒く感じるのは当たり前、ということになる。
こんな時には、冷たいビールなんぞはもってのほかで、熱い一杯のコーヒーが頭の中を駆け巡っている。

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晴天に恵まれた昨日と今日、恒例のチューク州高校対抗運動会・高校総体が行なわれた。
チューク州にある大小9校の高校が参加しての賑やかなそして楽しい2日間であった。
灼熱の南国の太陽の下、熱さにも負けずエネルギッシュなレースが次々と展開されて行く。
日本ならさしずめ真夏の炎天下での陸上競技大会と言ったところだ。
そんな過酷な条件の中で、選手によっては5種目にも、あるいは10種目以上にもエントリーしているが、疲れている様子は微塵も無い。彼らの底無しのパワーに圧倒される。
強いチームも弱いチームもそれぞれが一生懸命に応援して、祭りを心底楽しんでいる。
運動会は、話題の少ない南の島での最大のお祭りである。

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私が住んでいるブルーラグーンリゾートには広いヤシ林がある。
ヤシの木以外には、所々に大きなマンゴーの木やモモタマナの高木があるだけで、芝生に囲まれたキャンパスの殆どが椰子の木だけである。そんなヤシ林の中で最近白い大きなキノコをよく見かける。
ところが、このキノコときたら驚くほどに成長が早い。
豪雨のあった数日後には、ホテル内のヤシ林のあちこちにこのキノコが顔を出している。
前の日にはその小さな芽も無かった場所に一夜にして白い大きな傘を一斉に広げているのだ。
マツタケならぬヤシダケと言ったところか・・・・。
食べれるキノコだったら大歓迎なのだが、どうも食べれる種類ではなさそうだ・・・。
それどころか、チューク諸島の人達は、キノコは全て、“オバケの耳”と称して触るのも嫌がる。
そのうちに、南の島の食べれるキノコを捜して食してみたい・・・、といつも思っているのだが。。。

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動物の少ないチューク諸島では、海亀は島人達にとってとても身近な動物の一種である。
海亀を主人公にした物語も数多く伝えられている。
そんな昔話の中で、海岸に穴を掘る海亀の話がある。
チューク諸島内の島々には海亀が掘ったとされる洞窟が数多く存在する。
Pata島(木曜島)にトンネル状の大きな海食洞穴がある。
急峻な海岸の山を貫く洞穴で、島人達の便利な交通路ともなっている。
現地の人達はこの穴を『亀の家』と呼び、海亀が掘った穴だと信じている。
海亀がどのようにしてこの穴を掘ったかと言う昔話が、今も子供達に語り継がれている。

Udot島(月曜島)の海岸に、1対の洞窟がある。
日本時代に造られた、人間魚雷『回天』の発射基地だ。
建設当時は機密扱いとされていて、現地人はおろか日本人にも殆ど知られてはいなかった。
とある日、この回天の基地を日本人に説明していると、現地人のボートオペレーター殿が、
私に宣(のた)もうた。
『末永、この穴は何の穴か知ってるか?』
『ん? 何の穴だ』
『この穴はずーっと昔に海亀が掘った穴だよ!』

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本日の午後、モエン島の港で港湾工事の起工式が執り行われた。
工事関係者はじめ、モエン市長、チューク州知事、ミクロネシア連邦副大統領、在ミクロネシア日本大使など列席のもと、和気藹々とした中での楽しいセレモニーであった。
工事は日本政府の無償援助で行なわれるマリーナ(ローカルのボートプール)の整備である。
工期は約1年間。来年の今頃には立派なマリーナがお目見えする。
これからの1年間、工事の進行状態を見て行くのも楽しい事だが、我々にとってはそれ以上に日本人スタッフとのお付き合いもまた嬉しい事である。

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南の島で3点セットと言えば、すぐにシュノーケリング3点セットを思い浮かべる。
マスク、シュノーケル、フィンの3点である。
ところが、チューク諸島にはまた違った3点セットがある。
パン餅つき3点セットだ。
写真の分厚い大きな板は、パン餅つき用の臼で、パンの木の1枚板で出来ている。
白い杵(きね)は、硬いサンゴの石で出来ている。
丸い穴のあいた容器は、椰子の殻から作ったもので、丸いパンの実の皮を剥くのに適している。
臼と杵はいずれも1人用のもので、パン餅を搗く他にも、タロイモを搗いたり、バナナを潰したりするのにも使われるとても貴重な生活道具である。
いずれも鉄器が伝わるずっとずっと以前からのチューク諸島に伝わる伝統的な生活道具だ。
チューク諸島の人達の生活は基本的には自給自足に依存しており、今も伝統的な食生活が主流である。
チューク諸島の島々を訪ねると、このようなパン餅3点セットが無造作に置いてある。

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ミクロネシア連邦初代大統領、日系2世のトシオ・ナカヤマ氏が3月30日ハワイ・ホノルルの病院で亡くなった。その2週間後の本日午後3時、ミクロネシア連邦国葬となった遺体は、連邦警察や州警察のポリスマン達に迎えられ故郷のチュークに帰ってきた。来る17日、議会や教会で最後のお別れをした後、彼の妻や父・中山正巳が眠る墓地に埋葬される。77歳であった。

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