2007年03月

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空港ターミナルが完成した。
建物のボリュームそのものは従来どおりだが、その全てに内装を施し、見違えるように立派になっての登場である。他の地域に比べ整備が遅れていたチューク空港であったが、これでなんとか様になった、と言う感じだ。ターミナルの完成に足並みを揃えるように、コーヒーショップやミニマートなども空港前にオープンし、私達の仕事も、そしてお客様にとってもとても便利になった。これからの空港での仕事にもはげみになろうと言うものだ。今までとは違い空港に向うのが楽しみになってきた。

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3月も終わりになり、日本の桜に合わせて、ここチューク諸島でも今桜が満開だ。
桜は桜でも、南洋桜。本家本元のか弱い桜とはチョット違う!
日本の桜が数日で寿命を終えるのに比べ、こちらの桜はこれから7月までのほぼ半年間、燃えるような真っ赤な花を枝いっぱいに咲かせ続ける。満開の花びらの廻りには、沢山の蕾(つぼみ)が付いていて次から次へと花を咲かせてゆく。別名を『火炎樹』英語でもフレームツリーと言って、その名の通り燃えるような真っ赤な花が大きな樹木を覆っている。
『花の命は短くて・・・・、』と言う詩があるが、どっこい、南の島の桜はド派手で長生きをする情熱的な花である。
ちなみに日本では南洋桜の事を『鳳凰木』と呼んでいる。
この大きな花びらが、伝説の鳥『鳳凰』の羽を広げた凜とした姿に似ているところからこの名がある。
赤い貴婦人、、、派手なだけではない、花にも品格が漂う。。。

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日本のお年よりは元気だ。先週、平均年齢80歳以上という恐るべきグループが来た。
86歳を筆頭に、83歳、82歳、81歳、80歳、とズラズラと80歳以上の方々が続く。
丁度私達の父親の年齢である。お年柄、当然戦跡巡りがメーンのツアーではあるが、とても好奇心旺盛で質問も乱れ飛び、行く先々賑やかな事この上ない。
その元気な事、元気な事。ご案内をしていて、60歳~70歳位ではないかとの錯覚を起こしてしまう。
ツアー内容も結構ハードなもので、戦跡を巡るため、急坂やジャングルなどの山の中なども歩き回るのだが、一向に意に介さない。無人島に行けば海にも入るし、若さハツラツである。
『なに、日本に帰れば毎日5キロは歩いているよ!』と、皆あっさりしたものである。
お食事の時間もご一緒したが、話題も豊富で、いろんな話に花が咲きとても楽しい。
ツアーが終わってからも清清しく、元気と勇気を頂いたとても楽しいツアーであった。

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空港前に待望のコーヒーショップがオープンした。
これまで、チューク空港にはコーヒーショップが無く不自由な思いをしていたが、この度めでたくオープン。しかも年中無休で夜8時まで、し・か・も、夜中のフライトがある日曜日は、12時まで営業と気が利いている。そしてコーヒーショップの隣には小さいながらも品揃えのいいミニマートもある。
コーヒーショップでは、食事も出来て、チェックイン後の退屈な時間もこれでゆっくりとお茶を飲みながら寛げる。何よりも早くから空港に行かなければならない私達にとっては大きな味方である。

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たくさんの人達が徹夜して作ったご馳走が会場の大きなテーブルに所狭しと並んでいる。
さらにまた別の大きなテーブルには、食べた後のお持ち帰り用にと、ご馳走をギッシリと詰めた大きな容器が山と積んである。これが、南の島の赤ちゃんの誕生パーティーの様子だ。
1時間きっかり遅れて始まったパーティー会場には、主人公を反映して、女や子供がたくさん集まっている。私達家族3人もお呼ばれして、優に10人分はあろうかというお持ち帰りの食べ物を頂いた。
チュークのパーティーはどこでも、誰でも、参加者の倍以上のご馳走を用意する。
そしてお帰りには、その全ての食べ物を来客たちに差し上げる。
充分な持ち帰りの食べ物が無いパーティーはとても貧相なものになる。
家に帰れば、たくさんの子供達や家族が楽しみにパーティーのご馳走を待っている。
いくら多くても多すぎる事は無い。お持ち帰りの文化である。

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南の島の人達はとてもパーティー好きだ。子供の入学、卒業、家族の誕生日、キリスト教の催し、建物の新築や起業祝いなど、事ある事にご馳走を作りみんなで祝う。
中でも驚かされるのは、赤ちゃんの1歳の誕生日のパーティーである。
一族郎党集まって、前日から夜を徹してご馳走を作り始め、盛大なパーティーとなる。
家庭の事情にもよるが、大なり小なりその家に見合った最大限のパーティーが催される。
以前に、コンチネンタルホテル(現・ブルーラグーンリゾート)のマネージャーをしていた人であるが、
彼は、グアム島の出身であった。娘の1歳の誕生日はそれはそれは盛大なもので、チューク中の知り合いを呼び集め、しかもグアムにいる親戚から知人・友人に至るまで声を掛けての大騒ぎであった。
呼ぶ方も呼ぶ方だが、来るほうもまたくる方だ。往復2000キロもの距離を飛行機に乗ってわざわざやって来るのだから恐れいる。かくも盛大な赤ちゃんの誕生パーティーが、今日もホテルのビーチを借り切って行なわれる。。。

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2年ほど前、初老の紳士がチュークを訪ねて来た事がある。民話を収集していると言う事で少しお手伝いをさせて頂いた。お話しを伺っていて、その生き方にとても感銘を受けた事を思い出す。そして今日、その方から1冊の本が送られてきた。『ミクロネシア千一夜譚』多賀敬二・文芸社発行だ。かつてのミクロネシアの島々には文字が無かった。人々は物語を言葉で伝え伝承していった。そんな昔々の夢物語が1冊の本になったのだ。ミクロネシアの楽しい夢物語がギッシリと詰まった1冊である。一読をお奨めする。

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チューク諸島の人達は殆どがクリスチャンである。
その約半数はカトリック教徒で、群島内の主な島々には立派な教会がある。
そんなチュークに今日、世界中のカトリック教徒が懇願して止まない十字架とマリアの肖像画がやってきた。世界中のカトリック教会を巡礼するために作られたイエス・キリストの十字架とマリアの肖像画である。1994年4月、バチカンを出発して世界巡礼の旅についたこの十字架とマリアの肖像画は、十数年の巡礼の旅をして、とうとうこのチュークまでやってきた。信者達にとってはおそらく一生に一度の一大イベントであろう。十字架と肖像画を一目見ようと空港は黒山の人だかりだ。飛行機から下ろされた十字架と肖像画は、選ばれた信者たちに抱えられ、島の中をゆっくりと厳かに運ばれてゆく。ご神託にあやかろうとする信者達で、道行きの十字架の列はどんどんと膨れ上がってゆく。教会間近の道には、ミッションスクールの生徒達が手に手に花びらの入った袋を抱えて、長い列を作って巡礼の一行の到着を待っている。
今日まで、教会の祭壇を通してでしか会えなかったキリストとマリアが自分達のもとにやって来たのだ。
今、神と1つになって賛美歌を歌いながら巡礼する信者達の表情は、どれも優しく幸せそのものである。

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