2006年09月

イメージ 1

最近、チューク人の海外への出稼ぎ者が急激に増えている。
グアム・サイパンのマリアナ地方、ハワイ、は言うに及ばず、遠くアメリカ本土でも沢山のチューク人達が働いている。ハワイやアメリカの学校に行って、そのまま居つく者も多い。
グアムに行くと至る所でチューク人を見かける。
飛行場の中、ホテル、レストラン、ストアー、一般会社、工事現場、一般家庭の家政婦、など等。
あらゆる仕事場に浸透していてグアムの下層労働者の中のかなりの比率を占めているようだ。

先週2週間、とある国立大学の教授がチューク人の出稼ぎの実態調査にいらっしゃった。
私の古くからの友人でもあり、敬愛する人生の大先輩でもある。
もう30年以上も前から、ミクロネシアの人類学を研究しておられ、いまでは大学や学会の要職にあり
私の手の届かない存在となってしまったが、それでも、旧交を暖め、連日楽しくも意義のある会話で
久し振りに中身の濃い2週間を過ごさせて頂いた。

そして、彼の帰国後のメールの中にこんな一行があった。
 『それにしても、トラックの人々の現金収入のなさと消費経済に依存しなければならない生活の現実は、10年前より悪くなっているように見えます。少数のリッチ層と大半の「困窮層」との格差は、多くの人を海外へと向かわせることになるのだと思います。現在、FMSから4万人の海外居住者のうち、3万人ちかくがトラックからだと推測されます。』
彼の調査によると、なんと全人口6万足らずの内の約半数がチュークから出て、海外で働いている事になる。今回の彼の調査に一日同行した事があった。実態調査をしながら、その出稼ぎ者の比率の高さに唖然としたものだ。ある一族などは、チュークに残っている者は極わずかで、その殆どがハワイやアメリカ本土に出て働いているのである。昨今の、この出稼ぎ者の仕送りマネーは、チュークの消費経済を大きく支えている。チュークに住んで、周りを見渡しているとその様子は手に取るように解る。

未だ自給自足社会から脱却できず、今も昔ながらの生活を送っている人達が、現地では果たせぬ現金収入の道を求めて、ドンドンと海外に出かけていく。日本と違い、子供の数がどの家庭でも10人以上は居るという現実が、それでも人口を増やし続け、出稼ぎ予備軍をつくっているのである。島に溢れる人達を見ていると、それほどまでに外に出ているのかと驚かされるが、外国で死んで帰ってくる人の数の多さを考えると、やはりそれだけのチューク人が海外に出ているのだなあとうなずかずにはおれない。

イメージ 1

チューク諸島周辺の海水の温度は、常時29度~30度。
無人島の周りをスノーケリングしていると、時々あっと驚く位にあったかい海水塊に出くわす事がある。
そして、無人島に上陸して波打ち際の浅場を歩くと、まるで、温泉に浸かったかのよな錯覚におちいる。
遠浅の、流れの少ない浅場の海水が灼熱の太陽に温められて、水温は40度近くにもなっている。
写真のような岩場の水溜りは、格好の露天風呂に早替りする。
太平洋の波の音をバックに無人島の岩風呂に浸かる・・・。
お弁当を食べた後の満足のひと時、釣りで疲れた体を、渚の岩風呂がやさしくほぐしてくれる。
聞こえてくるのは、海鳥の泣き声と風にそよぐ椰子の葉のささやき、そしてさんご礁を洗う優しい波の音・・・。 身も心もトロトロに蕩けてしまいそうだ。

イメージ 1

イメージ 2

チューク環礁には、約80個の無人島がある。
産まれたばかりの小さな島から、長さ2キロにも及ぶ大きな島まで様々だ。
大きな無人島になると、島の中は鬱蒼とした熱帯のジャングルで、とても無人島とは思えないほどだ。
植物の種類も多く、沢山の巨木が島の中を覆っている。
よくある巨大な流木は、きっとこのような大きな無人島の巨木が倒れて流れてくるに違いない。
そんな数多くの無人島の中で、変わった埴生の島がある。
島の中ほどまで海水が入り込む湿地帯になっていて、そこにはよく発達したマングロープと浜紫檀の群生がある。まるで浜紫檀のジャングルとでも言えるようなその中は、なんと野生欄の宝庫なのだ。
鬱蒼と茂る紫檀の樹にまとわり付くように、様々な野生欄がそこらじゅうにへばりついている。
以前からこの島にはとても興味があって、時々思い出したように訪れている。
仕事が一段落したらまた訪ねて行って、枯れた紫檀の朴に付いている、洒落た一枝でも貰ってこようと、今から楽しみにしている。

イメージ 1

イメージ 2

無人島の漂流物と言えば、まず頭に浮かぶのは椰子の実や流木の類だろう。
まさにその通りで、無人島にあがると、流れ着いた椰子の実が砂浜のあちこちに転がっている。
流木も大きな物から小さな物まで砂浜の上のほうにたくさん並んでいる。
流木は無人島に立ち寄る現地人の薪(たきぎ)にもなり貴重な物だ。
そしてたまには船舶のカケラや漁具なども流れてきて、現地人の貴重な収穫品となる事もある。
ところが最近は、プラスチックや空き缶、空き瓶、こわれたゾーリなどのゴミも沢山打ち上げられていて
無人島の美観に水を差されることが多い。
先日、アウトリーフのとある小さな無人島に上陸した。
例によって大きな流木が何本も流れ着いている。
そのなかでも、1本の流木はこの島の直径ほどもある大きな物で、こんな巨木が一体どこからどうして流れてきたのだろうか・・・、とそんな事を考えているとちょっとロマンチックな気持ちになってくる。
その前日、別の無人島では、面白い漂流物に出くわした。
大きな筏(いかだ)だ。
きちんと竹とラワン材で組んであるその筏には、人が生活した跡が歴然と見受けられる。
現地人の話だと2年ほど前の嵐でここに打ち上げられたと言う。
打ち上げられた当時のその筏には、食器や寝具、炊事道具、沢山のロープや漁具などが積み込まれていたと言う。人は居なかった。今は壊れてしまっていて、見る影も無いが、打ち上げられた直後の筏は、大きな竹とラワン材を組み合わせて、高さが1メートル程もあった当言う。無人島の浜辺につながれているその筏を詳細に見てみると、そこで生活していた様子がよくわかる。
トイレとおぼしき場所や寝室と思われる所、鍵がついた幾つかの収納場所。
しかも大きな長いロープをきちんと編みこんで筏に固定してある。
かつては何処かに係留して水上の生活をしていたのであろう。
この筏は、何処で、どんな目的で作られ、一体でどんな人が何人で生活していたのだろうか?
そして、どのような経緯を経て、このチュークの無人島に流れ着いたのであろうか・・・。
想いは尽きない。。。
無人島の持つもう一つの魅力ではある。

イメージ 1

イメージ 2

今、秋の大潮の時期を迎えている。チューク諸島の干満差は最大で約1m弱。
日本時代の海軍水路部の観測値を見ても95cmとなっており、その数値は今も殆ど変わる事はない。
ひとたび干潮ともなると、普段は海の底だったところが顔を出し、いつもと違った海岸地形や景色が出現する。干上がった砂浜に船底をさらけ出してあちこちに座り込んでいるボートの数々。遠くまで陸続きになった海岸で、魚やタコを獲ったり、貝を探したりして楽しそうに遊んでいる島の女や子供達。
こんな時、無人島等に行くと、無人島の周りの海岸線はどこも、色とりどりのサンゴの花畑に変貌している。いつもはシュノーケルでしか見ることが出来ない浅場のきれいなサンゴたちが、海岸のあちこちに顔を出している。しかし我々人間にとっては、とても珍しくこの美しい光景も、当のサンゴたちにとっては、陸上に顔を出し、長時間太陽の光にさらされる事は、死滅を意味する。
この素晴らしい光景に目を奪われながらも、潮が満ちてきて、このかわいい珊瑚達を一刻も早く包み込んでくれるように、といつも願っている。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

今年もまた遠方から1人の友人がトラックにやって来た。
例年、釣りをしたり、島巡りをしたり、ダイビングをしたりして、トラックの海を堪能している。
そんな一日、鏡のように静かな湖面を、小さなモータボートで思いっきり疾走した。
広い水平線の境目もわからぬくらいに、海と空が地球の表面に溶け込んでいる。
そんな洋上にポッカリと浮かぶ小さな無人島。
そんな無人島に上陸し、時の無い時間をぼんやりと過す。
環礁のはるか彼方、空に溶けて見えない水平線目指してまたボートを走らせる。
どこまでも白く輝く砂地の海底にサンゴと魚が群れ遊ぶ。海の桃源郷。。。
またボートを走らせて、夢の世界を巡りあそぶ。

イメージ 1

イメージ 2

『万宝貝』、名前が示すとおりの美しい姿の貝である。
ところがこの貝の英語名は、日本名の高貴なイメージからは程遠く、ちょっと下品な感じの名前が付けられている。『ブルマウスシェール』、なんとブルドック(犬)の口と言う意味だ。しかし、この貝の口をよく見ると、まさに、ブルドックの口と言うにふさわしい。これもまたこの貝の特徴をよく表したものとも言える。日本名の『万宝貝』という名前は、貝の美しさもさることながら、この貝の歴史的な背景からもきている。15世紀のヨーロッパ、イタリアから始まったルネッサンスの文化最盛の頃に、美しい貝の表面に彫刻を施して鑑賞する芸術があった。これを『カメオ』と言い、このカメオの材料として最も人気のあったのが、このマンボウ貝であった。もともとこの時代の貝の収集は高貴な文化の1つとして位置付けられており、なおかつ、マンボウ貝は当時としてはとても貴重な貝の1つでもあったのである。
この美しい貝を見ていると、やはり、ブルドックの口と言うよりも、『万の宝』の方が似合っている。

イメージ 1

ミクロネシア連邦は4つの州で構成されている。
首都のあるポナペ(ポーンペイ)州、ヤップ州、コスラエ州、ヤップ州と、チューク州である。
トラック諸島(チューク諸島)は、このチューク州を構成する地域の総称である。
赤道から北・北緯10度位までの海域に、沢山の環礁と200に近い島々が点在する。
そこには、人が住んでいる島が約50島、あとは全て無人島である。
これらの島々は38の区域に分かれ、それぞれが独自の自治体を構成している。
アメリカ合衆国の国旗は、その星の数で州の数を表現しているが、チューク州の旗もまた、州の自治体の数を星の数で表している。大洋と空を意味する青地の旗に、太陽と民族の調和を意味する星の輪は38個の星で表され、その中心には南の島の象徴である椰子の木が描かれている。
それぞれの自治体には、選挙で選ばれる議員とメイヤー(市・町・村長)の他に、伝統的な島の長であるチーフと呼ばれる村長が存在する。この新・旧2つの治世によって、チューク諸島の社会と伝統は守られ、彼らの頭上にはその象徴である青い旗がひらめいている。

↑このページのトップヘ