2006年07月

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南の島の人たちは、とてもパーティーが好きだ。結婚式はもとより、子供達の卒業式や入学式から、1歳の子供の誕生日、おじいちゃんやおばあちゃんの誕生日まで、事あるごとにみんなを呼び集めてはパーティーを開く。
 出される料理はとても豊富で、パンの実、バナナ、タロイモ、タピオカ、魚介類などのローカルフードに混じって、チキンやビーフなどの肉類、ライスなどがテーブルに山と並べてある。食べるだけでなくお持ち帰りに用にも用意されているので、日本人のパーティーの優に5倍以上の量になる。
そして、極めつけの料理は、豚の丸焼きである。大きな豚を1匹、一日かけて丸焼きしたり、石焼にしたりして供される。豚の丸焼きが出ればそのパーティーに箔がつく。彼らに言わせれば、豚の丸焼きが無ければ本物のパーティーではない!と言う事になる。
そのために何処の家でも何匹かの豚を飼っており、いざという時のパーティーに使われるのだ。
そんな最高の食材が、チュークの道路のそこかしこを我が物顔に歩き回っている。

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今日は土曜日。午後も涼しくなった頃、山間(やまあい)の村に、ある老人を訪ねた。1年前に訪ねた時に撮っておいた写真を届けてあげるのと、ちょっとした聞き取り調査のためだ。ここ数日来の大雨で小さな川には水が溢れ、熱帯のジャングルにも、谷川のせせらぎに乗って涼しげな風が渡ってくる。谷川沿いに路なき路を登っていくとジャングルの合間からパンパンと言うパンモチをつく音が聞こえてきた。
チューク地方では古くから金曜日と土曜日に、向う一週間分の食糧を作る習慣がある。キリスト教が普及してからというもの、日曜日は安息日と称して労働は戒められた。そのために、金曜日と土曜日に翌週分の食糧を作る事が習慣として定着し、今もその習慣はすたることなく続いている。
 山間の家に着いてみると、案の定、若い男達が逞しい体でパンモチを一生懸命ついている。
大きな釜から茹で上がったばかりのアツアツのパンの実を取り出し、パンの木で作った伝統的な臼と、これもまた、サンゴの硬い石で作った伝統的な杵で、一人、臼の前に座り込んで搗いている。
出来上がったパンモチは、パンの木の葉っぱに包まれて保存される。
大きな釜で茹で上がったばかりのパンの実をご馳走になりながら、老人との会話が弾む。
最近は神経痛に悩ませれながらも、まだまだ畑仕事を欠かさないという。
老人の作った畑には、チュークのヤムイモやタピオカに混じって、キューリが沢山の花を付けていた。

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『椰子の木』 誰もが真っ先に思い浮かべる南国のイメージだ。
椰子の木には沢山の種類がある。通常我々が『ヤシの木』と言っているのは『ココヤシ』の事である。
南の島に普通に生い茂っているあのヤシの木だ。この椰子の木と、椰子の実は、南の島に住む人たちにとっては無くてはならぬ大変貴重なものだ。彼らにとってはまさに万能の植物と言える。

 椰子の実は、優れた飲料であり、食べ物でもある。飲み水の少ない小さな島々にあって、いつも新鮮な飲み物を提供してくれている。椰子の実の殻は優れた燃料ともなり、タワシや、ヤシロープの原料でもある。伝統的な大型カヌーや、ローカルハウスの建造には、今もこのヤシロープが使われる。
 枯れたヤシの葉っぱは大事な燃料となる。手馴れたチュークの女達は、ヤシの葉っぱ1本でヤカン1杯のお湯を沸かす事が出来る。大きな椰子の枯れ葉を束ねてタイマツを作り、漁火として夜の漁を行う。
遠浅の夜の海岸で手に手にこのタイマツをかざした漁火の風景は、チュークの1つの風物詩でもある。
 緑の葉っぱからは、農作業のバスケットや帽子などの装飾品もできるし、家の屋根や壁を葺く材料ともなる。無人島のキャンプ小屋などは、このヤシの葉っぱがあればあっという間に見事なものが出来上がる。
 椰子の木は真っ直ぐに伸びており、そのてっぺんに大きな傘のように葉っぱを広げている。緑の大きな葉っぱは灼熱の太陽をさえぎり、長く伸びた1本の幹は海からの涼しい風を運んでくれる。椰子の木は南の島の人達に心地よい安らぎの場所を提供してくれている。
                     
 椰子の木(ココヤシ)の寿命は、おおよそ人間の寿命と同じ位と言われている。そして、その成長の過程は驚くほど人間のそれに似ている。完熟した椰子の実は落ちて種になる。落ちる前の壮年期の種を我々は飲んでいる訳だ。落ちた椰子の実は、放っておくと1年位で芽が出てくる。5~6年経つと花を咲かせ実をつけ始める。一旦、実をつけ始めると、季節には関係なく次々と、60~70年の間ずっと実を付け続けている。その数は1年間でおおよそ100~200個にも及ぶ。
 遠き島より♪~♪、流れ来る、やしの実一つ♪~♪・・・・、島崎藤村の歌にあるこの椰子の実は、はるか何千キロも離れた遠い南の島から流れ着いたものだ。チュークの海をボートで走っていると、このように椰子の実が海に浮かんでいる光景によく出会う。まだ緑も無い小さな砂浜に、幾つもの椰子の実が打ち上げられて小さな芽を出している。やがて根を張り大きな椰子へと成長してゆく。小さかった砂浜は段々と大きさを増し、やがて1つの無人島が出来上がる。それら1つ1つの島は、南の島で生きる人達にとっては、かけがえのない財産だ。
 1個の椰子の実が人々に糧をもたらし、海に命をもたらす。今日もたくさんの椰子の実が、潮流に身を任せ見知らぬ世界へ旅をしている。 無人島の浜辺に寝転び、波の音と、椰子の葉のそよぎに耳を傾けている時、 この世に生きている幸せを心から感じる。

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去年の11月、種芋を1個だけ植え、年の初めに蔓を植えたサツマイモ・農林一号を今日収穫した。
軒下の小さな菜園に半年間あたためておいたものだ。
土が良くないのと、思いもよらぬ蟹(マッドクラブ)の害がひどく、思ったより収穫は芳しくなかった。
それでも、何とか形になった芋が10個程収穫できた。
早速今夜の夜食に一鍋ふかして、本場の味を楽しんだ。
やはり、チュークの市場で売っているものよりも格段に味がいい!!
小振りのものは、油で揚げておやつにし、形のいいものを選んでふかして食べた。
日本での小学生時代、田舎で芋ほりをしていた懐かしい感覚がよみがえってくる。
この芋を植えてからも、ズッとこの日の事を想い描いて、懐かしい子供の頃の事を思い出していた。
あいにく子供達は日本に帰っていて一緒に楽しむ事は出来なかったが、それ以上に私の心が子供の頃に帰っていた。また来年もこのささやかな楽しみを味わいたいと思う。

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今週のはじめ、愛知県江南市の一行20名がチューク州を訪れた。
江南市は現在、ミクロネシア連邦と友好関係にある。その友好親善の一環である。
チューク国際空港では、島の若者達の歓迎を受け、ホテルに到着後のウエルカムドリンクで、
南の島の象徴であるヤシの実でノドを潤す。
翌日は、朝から政府公式訪問や島内観光で忙しくも楽しい一日を過す。
そして、夜の歓迎会。チューク州知事や要人の列席を迎え、
島の若い男性や女性の情熱的なダンスに拍手と歓声が沸きあがる。
かわいい子供達の伝統的な踊りが登場すると場内の興奮は最高潮に達する。
こうして、南の島の情熱的な夜は瞬く間に過ぎていった。
そして最後の日、空港に向う途中の教会でチュークの伝統的な歌声に耳を傾ける。
一行の心にしみこむ歌声が大きな教会の建物いっぱいに響き渡る。
最後のお別れにヤシの実をご馳走になり、心温まる3日間の親善の旅はあっという間に終わりを告げた。
椰子の実と、若者達の笑顔と、抜けるような青空と海。そして緑の島々。
一行の心には、いつまでも、爽やかな南の風が吹き続けているに違いない。

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淡い光の輪を夜空いっぱいに広げ、満月が煌々と輝いている。
ここはチューク諸島・モエン島の最南端。
先月の闇夜のごとき暗い夜空とはうって変わって、星々の輝きさえも包み込み、天空に君臨しているかの如き輝きである。明かるい月明かりに椰子の葉がそよいでいる。広々としたラグーンの海面では幻想的な色と光のシンフォニーを奏でている。あたかも太古の世界に旅したような不思議な感覚。
満月を見ているといつもある感覚に包まれる。
万葉人の世界はきっとこういう感じだったのではないか。。。 
古代の人たちの生活が頭の中を巡る。

先月来、日本に滞在してた10日間、1日として太陽を見る事は無かった。夜空を仰いでも星影どころか、月の影さえ見る事も出来なかった。

古来より変わりない地球の姿がここにはある。
今私はそんな世界に身を置いている・・・・。

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南の島の海の中には様々な生き物達がいる。共存というサイクルの中で、助け合い、奪いあい、殺し合い、そうして生きている。貝もまた例外ではない。

鬼ヒトデはサンゴを食べて生きている。きれいなサンゴの上にどっかりとかぶさってサンゴを食い荒らしている姿は、どう見てもおぞましい限りだ。しかし、この鬼ヒトデを食べる貝がいる、と聞けばなんとなく嬉しく、その貝が頼もしく思えてくる。皆さんもよくご存知の『ホラ貝』だ。
英語名はそのものズバリ、『トランペットシェル』と呼ぶ。わが国でも、野武士や修行僧が空に向って“法螺を吹く”絵や写真を、よく目にした事がおありだろう。ここチューク地方でも、ホラ貝は大事な生活の道具として重宝されてきた。その独特の音は、戦いや、島々への合図などに使われたという。古式豊かに作られたチュークの法螺貝が私の家のリビングの壁にも掛かっている。

鬼ヒトデを食べる強い貝もいれば、タコに食べられるかわいそうな貝達も沢山もいる。比較的小さな二枚貝や巻貝などがその被害となっている。タコ穴の周りには、タコの餌食となったこれらの貝の残骸が沢山散らばっている。タコは島の周りの浅瀬で比較的簡単に獲ることができる。チュークの人達の大事な食糧でもある。ポリネシアの伝統的なタコ漁には宝貝の殻を使ったものがある。甲殻類や貝を好物とするタコの習性を利用したものだ。

貝の中には、貝を襲って生きているものもいる。通称、ツメタガイと言われているタマガイの仲間がそうである。小さな二枚貝や巻貝に、見事な穴があいているのを、よく見かけることがある。まるで、小型ドリルで開けたような見事な穴だ。これがツメタガイの仕業なのである。
貝に穴を開け、中身を吸い取って食べてしまう、貝のギャングである。ウズラの卵ほどの大きさの、光沢のあるとてもきれいな姿をしており、まさかこの貝が仲間の貝を襲うとは想像もできない。

海を泳いでいると、貝を食べている魚をよく見かける事がある。
そんな中で、ヒラアジがシャコガイを襲うという話が伝えられている。
ただ単に殻の中身を突っついて、食べると言うのではない。正に襲うという形容がピッタシだ。
目標のシャコ貝に狙いを定めたヒラアジは猛然と獲物に向って突進する。そして、自身の尻びれの部分にある鋭利に尖った突起をピンと立てて、口を大きく開いているシャコ貝の貝柱を一気に切断するのである。そうして、口を閉じれなくなったシャコ貝をゆっくりと賞味するという。電光石火の早業だ。

タコや魚に襲われる貝がある中で魚を襲う貝もいる。イモ貝の仲間だ。イモ貝の仲間には、毒腺を持つものが多く、その毒腺で小魚や海中生物を襲って食べる。特に、『アンボイナ貝』や『タガヤサンミナシ貝』は毒性が強く、人間の命を落とす程の猛毒を持つ。しかし、この猛毒を有する2つの貝は、貝収集家の間ではとても人気がある。

我が家にはこのような様々な貝のコレクションがある。長年私がチュークの海から丹精込めて集めてきた海の宝物である。様々なデザインを施した貝達が、その1つ1つにいろんな思い出を包んで、海の香りと彩りを与えてくれている。そしてそれは私のチュークの軌跡でもある。

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昨日、日本から帰って来ました。
久し振りにチュークの月を眺めたら、なんともうすっかり大きくなっていて、まるで満月を思わす明るい月が椰子の林を照らしていました。ブログを中断してもうすでに1ヶ月が過ぎてしまっていたんですね。
その間、忙しさやら、日本行きなどが重なりまして、とうとう1ヶ月間もブログをサボッてしまう結果となってしまいました。いつも、このブログを見ていて下さった方、本当に申しわけありませんでした。

私の田舎は九州です。
今年は何とかして、是が非でも年老いた両親に会わなければと思っておりましたところ、
祈りが通じたのか、7月上旬の2本のツアーがドタキャンとなり、急遽、日本に行く事になりました。
お陰で両親や家族とも会う事が出来、ついでに私の体のチェックもできて一安心の日本行きでした。

甘いものに目が無い私は、まず名古屋空港に降り立った時にコンビを探し、アンパンを一個買います。
それからの滞在中には、シュウクリームやドラ焼、菓子パンなどを一日に一個必ず食べることになります。南の島で暮らす私の、在日中の密かな楽しみです。
今回は、大好物の『ギョウザでビール』を嗜む事が出来ませんでした。
ピロリ菌退治のため、お酒を自粛していたからです。
とは言え、滞在中は、母親の懐かしい味をはじめ、連日美味しい日本食を頂く事ができました。

これをエネルギーにこれからもまた、精一杯頑張って行こうと思います。
一ヶ月間の遅れを何とか取り戻すべく、ブログもまた毎日お送り致しますので、
これからもどうぞよろしくお願い致します。応援して下さいネ!

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