2006年03月

イメージ 1

イメージ 2

我が家には、3人の息子がいる。
長男が邦雄26歳で、現在京都で2回目の学生生活を行なっている。
2番目が友(ゆう)17歳で、この5月にザビエル高校を卒業する。
そして3番目が、13歳のヒロミで、3匹の子豚よろしく何かと気がきいている。
特に料理の腕前はたいしたもので、料理好きの私でさえも驚く事がある。
彼の料理の特徴は、とにかく基本に忠実にやる! と言うことだ。
パンケーキ、クレープ、インスタントラーメン、果てはクッキーからケーキまで、わけもなくあっという間に作ってゆく。メジャーカップや秤、計量スプーン、タイマーなどを駆使して、レシピに書かれている通りに正確にこなしてゆく。どんな面倒な作業でも、手抜きと言う事はなく嬉々としてやっている。

写真は、ホットケーキを焼いているところだが、生地を流し込む前には必ず、焼けたフライパンの底を濡れふきんでジュッとさます。最初に私が教えた通りに必ず実行している。私なら手抜きをするような場面でも絶対に手を抜かず正確に、確実に、一つ一つの作業をこなしてゆく。彼のホットケーキは、チュークのどのレストランのものよりも掛け値なしに綺麗でしかも美味しい。週末の機嫌のいい朝は、決ってヒロミコック長の出番だ。母・カオルの一番機嫌のいい時でもある。
明日も美味しいホットケーキが食べれそうだ!!(*^。^*)

イメージ 1

イメージ 2

モエン島の東のはずれにザビエルハイスクールという高校がある。このザビエル高校では現在、日本語のクラスが設けられている。海外青年協力隊の永松隊員とイエズス会から派遣されている山内さんの2人でそのクラスを担当している。いずれも若き男性である。
 今日は、永松隊員からの依頼で、彼の担当する4つのクラスの生徒達に浴衣(ゆかた)の着付けを指導する事になった。対象となるクラスは、5名~13名とこじんまりした人数で、ユカタの着付けをするのには丁度いい人数である。このゆかたは、山内さんのお母さんからザビエル高校に贈られたもので、12着揃っている。今日の私は、妻・カオルのアシスタントである。

9時30分、まず最初のクラス(3年生)に入って行く。『このクラスにはいつも苦労しているんでよ!』と言う永松先生の言葉とはウラハラに、13人の生徒達はみんなニコニコして私達の到来を歓迎してくれる。今日はキモノが着れるという期待感からか、みんなウキウキしている。元気な日本語の挨拶の後、これもまた日本語で思い思いの自己紹介が始まる。時々私が茶々を入れて緊張を和らげてあげるとヤンヤの喝采である。日本の高校の授業とはちょっと雰囲気が違い、やってるこちらもとても楽しい。

いよいよ待ちに待ったユカタの着付けだ。色とりどりのユカタを箱から出して見せると、みんな興味深げにじっと見つめている。T-シャツやジーンズ、あるいはスカートの上からユカタの着付けが始まる。
最初は遠慮がちだった生徒達も、一着目の女子生徒の着付けが終わった途端、その美しさに惹かれたらしく、私! わたし! と叫びながら我先に自分好みのユカタを奪い合っている。
他の人よりもイチ早く着てみたくなったらしい。

全員の着付けが終わったら記念撮影だ。あちこちから、私も、私もと声が掛かる。
興に乗った生徒達は、教室から出て、キャンパス内を歩き出す。教室だけで済ますにはあまりにももったいないと思ったようだ。他の教室の生徒達が首をのばして見つめている。時ならぬユカタのファッションショーである。得意げにはしゃぎながら歩き回る生徒達の姿を見ているのはとても楽しい。

次のクラスからは、もうみんな黙ってはいない!先発隊の得意げに闊歩する姿を、『次は私達の番だ!』とうらやましげに見ていたのだ。我先にユカタを手にとっては早くも順番を待っている。気の早い男生徒の中には、みようみまねで自分で着付けにトライしている者までいる。着付けが終わると、永松先生はカメラマンに早変わりする。思いがけずにユカタ姿の写真を撮れて、みんな興奮気味である。
きっといい記念になったことだろう。

『今日の生徒達は本当に楽しそうだった!』そう言う永松先生の顔もとても嬉しそうでニコニコとしている。学校を出るとき、あちこちからの生徒達から、『ありがとう!』『さようなら!』という
日本語の声が聞こえてくる。車に乗り込む私達の顔もきっとニコニコと微笑んでいたことだろう。

イメージ 1

 チューク諸島は、13の環礁とそこに点在する200程の島々で構成されている。その中で人が住んでいる島は約50島。これらの島々は40の自治体に別れ行政が行なわれている。モエン島のように、人口2万人に近い大きな島もあれば、人口300人程の小さな島もまた、1つの自治体である。

 そして、これらの島々には殆ど電気は通っていない。電気があるのは、モエン島とデュブロン島の一部の地域だけである。中には、小さな発電機やソーラーシステムを付けている家も見受けられるが、行政として電気が通っているところは皆無である。殆どの島々は、昔ながらの、ランプ・ローソク、薪の生活に依存している。モエン島の各ストアーには、石油ランプやロウソク、石油コンロ、マッチなどが島人達の重要品目として幅をきかしている。離島に住む彼らの電気製品と言えば、水中ライト、携帯ラジオがその最たるものである。いずれも乾電池があれば用を成すと言う事もあるが、水中ライトは夜間の海での魚取りや照明に、携帯ラジオは政府からのメッセージや連絡手段として、大変貴重なものだからだ。この世から電気を取り除けば生活はとてもシンプルなものとなる。彼らは正にそのような生活を実践している貴重な民族でもあるわけだ。

イメージ 1

イメージ 2

4月も間近になって、日本では春の訪れを知らせる便りが方々から聞こえている事だろう。
一方、季節感の乏しいこちら南の島にも、春を連想させる幾つかの事柄がある。

島のあちこちに咲き始めた南洋桜もその1つである。本家のか弱い花びらと違って、真っ赤な土派手な大きな花が樹木全体を覆いつくすほどに咲き乱れている。 港のローカル市場には、マンゴーやパンの実などの季節を告げる果物や食べ物も日毎にその数を増やし始めている。 12月以来荒れ続けていた海も、4月の声を聞くと少しずつ風もおさまりはじめ、日本の三寒四温よろしく、穏やかな海も時々顔を覗かせるようになる。 そしてこの頃になると、学校ではそろそろ春休みに入る頃でもある。日本の学校とはチョット違って一斉に休みに入ると言う事も無く、学校によってそのスケジュールはマチマチである。
 我が息子の通うSDAスクールも今日から待望の春休みに入った。その春休みに先立って、昨日学校のスプリングコンサートが開かれた。丁度御客様も無い時だったので、妻のカオルと連れ立って見学に行ってきた。舞台には、椰子の葉と季節の花をあしらったステージがセットされ、日本を始め世界中の春の景色がそのスクリーンに映し出されている。そんなステージをバックに子供達の春の歌声が館内に元気良く鳴り響く・・・。 春を告げると言うには余りにも季節感に乏しいこんな小さな南の島でも、子供達は春を想い、春を感じ、春を謳歌している。 思いっきり歌い、思いっきり踊っている子供達の姿は春そのものであった。 

イメージ 1

2月に痛めた足や肩もほぼ完治して、また一ヶ月ぶりにトレーニングを再開することになった。
12月以来、続けていた縄跳びとウエイトトレーニングである。去年までは、夕方の時間をさいてウォーキングをやっていたが、忙しいときにはどうしても時間が取れない。そこで、友人のスポーツドクターに相談したところ、『縄跳びがいいでしょう!』と言う事になった。これなら家の庭でもで簡単にきるし、時間も殆ど取らない。縄跳びだけでは片手落ちになるのでは? と思い、ウエイトトレーニングも始めたと言う訳である。
私の仕事は、ツアーガイドである。そこには様々なガイド・仕事がある。
フィッシング、ダイビング、スノーケル、島巡りなどといった海のガイドをはじめ、陸上の観光ガイド、TV撮影や取材コーディネーター、通訳など、実に多岐に亘っている。
そんな御客様の夢の手助けをするのに、年寄り臭くては、御客様に大変失礼であろう。
南の島のガイドは若々しくてはならない。そういう思いから今年は心身の練磨を初日の出に誓ったのである。今日からまた、頑張って精神と肉体を鍛えていこう!!

イメージ 1

イメージ 2

旅には様々な旅の形がある。旅する人は、日常の現実世界から抜け出し、非日常の夢の世界を求めて旅をする。そんな旅人達の想いを充分に叶えてあげたい。そういう気持でお客様に接し、そう考えていつも仕事をしている。この1ヶ月間あまり、殆んど休む間もなく、実に様々なツアーのお客様をご案内してきた。フィッシングに始まって、新婚旅行、ダイビング、戦跡取材、無人島サバイバルツアー、視察旅行、家族旅行、そして最後は慰霊のツアーである。いずれもチュークならではの旅の形だ。

元来、チュークを訪れる観光客はそれ程多くはない。1年間に来る観光客の数は、グアム島を訪れる1日分の観光客の数にも満たない。しかし、その内容は実に多様である。

現在、チュークには2軒のダイビングショップと3隻のダイビングクルーズ船がある。一軒のダイビングショップを除き、殆んどがアメリカやヨーロッパからの沈船ダイバーである。その影響もあってか、チュークのダイビングは依然として従来のスタンスを保っている。
この間に何組かのダイバーをご案内した。このうちの一組は毎年やってくるダイビング仲間で、毎度の事、ダイビングのみならずチュークの海の自然をたっぷりと楽しんでいる。ダイビングでは、沈船、リーフ、ドロップオフ、パスのドリフト、ナイトダイブ等と、様々なダイビングを行い、ダイビングの休憩時間には、無人島ジャングル探検、バードウオッチング、自然蘭の採取、貝拾い、スノーケリングと、短い滞在を十二分に楽しんでいる。ダイビングのガイドだけでなく、このようなアレンジやガイドをしてあげるのもまた、私の仕事の一部であると思っている。

11月の上旬、面白いツアーが来た。無人島サバイバルツアーだ。海に不慣れなメンバーが海に遊び、自らの手で海の幸を求め、無人島での数日間を過ごそうというものだ。今回はそのテストケースで、彼らにとっては、何もかもが手探りの海の旅だった。大自然の海の美しさとスケールにドキモを抜かれ、そして海のやさしさと、海の豊かさに心を打たれた旅でもあった。初めて経験する南の島の釣り。用意してきた釣具が全く通用しない。面白いようにヒットするがいとも簡単にラインが“プツン”“プツン”と切られてゆく。無人島の海岸でカニと戯れ、夜ともなればジャングルでヤシガニ獲りを行う。広大な環礁を歩き、海に潜り、海の幸を求める。
自分で釣った魚を食べた。自分達で獲った貝を肴に酒宴を開く。必死で捕まえたカニで作ったカレーの味は別格だった。心に響く波の音と、椰子の葉のそよぎを耳にしながらグラスを交わす。あっという間の1週間だった。

久しぶりに『君が代』をしみじみと聞いた。慰霊団の合同慰霊祭において遺族の方々が亡き父に捧げる国歌だ。これもまた『旅』の一環である。太平洋戦争時代のチュークには海軍の大きな基地があり、その結果、数多くの戦争の犠牲者を出している。終戦から60年経った今も、これら遺族の方達が度々チュークを訪れる。生まれながらにして父を失い、写真の父に問いかけて母と共に生きてきた60年間の熱い想いをチュークの海に捧げる。彼等の墓はチュークの海にある。何とかして、この方達を父親の戦没地点にご案内してあげたい。そういう想いで、一人一人の話を聞き、部隊名や船名、戦没日時等からその地点を割り出しゆく。予期せず、父の眠る場所を探し当てた時の彼等の気持は如何ばかりかと思う。『再会した父』に語りかける彼等の言葉を聞く度に涙が溢れてくる。

こうして毎日、南の島の夢の案内人として走り回っている。
お客様の笑顔を見る度に、この仕事をやってて良かったとしみじみ思う。

海に遊び、海に祈る。 
・・・・・夢の世界へ。  pocosuenaga

イメージ 1

3月も半ばを過ぎ、そろそろ市場の店先に天然のマンゴーが顔を出し始めてきた。
こぶし大の大きさのこの天然マンゴーは甘みも強くとても美味しい。
大きなマンゴーの樹にこぼれんばかりに実をつけて、これから6月いっぱいまで、島の人達を楽しませてくれる。強風の吹いた翌朝、大きなマンゴーの木の下に行くと、必ずと言って良いほど、周りの草むらにたくさんのマンゴーが落ちている。こうして落ちてきたマンゴーは、丁度食べごろでとっても美味しい。この時期になると、子供達は朝早く起きて米の空き袋などを手に手にジャングルの中に消えてゆく。
小一時間もすると、マンゴーがいっぱい詰まった袋を引っ担いでジャングルから出てくる。
熟れたマンゴーもさることながら、彼らはまだ若い硬いマンゴー(ヤングマンゴー)をも好んで食べる。大きなマンゴーの木に向って石を投げたり、木切れを投げたりして盛んにこのヤングマンゴーを取っている。そのまま食べてもあまり味が無いので、塩・タバスコ・しょう油等ををミックスした刺激の強い調味料をつくり、それをつけて食べる。こうして、シーズンが終わる6月まで、子供達や若者達が手に手にマンゴーをかじりながら遊んでいる姿をいたる所で見かける。

イメージ 1

イメージ 2

今週は2つのTV取材が重なった。その最後の取材もやっと終わり、今、空港から帰ってきたところだ。時計はすでに夜中の3時にならんとしている。明日はまた早いので、今夜も2時間位しか眠れない。
今度の取材は、東京12チャンネルの放送。4月7日(金)の午後8時から2時間の特番である。
番組の中では様々な分野と地域が放送されるが、その中でチュークの放映分は15~20分程度。

今回のテーマは、チューク地方に大きな勢力を持つ『モリ・ファミリー』についてである。
このモリファミリーについては、過去に何度も日本のTVやマスコミに取り上げられ紹介されている。
1892年(明治の半ば)、『森 小弁』と言う土佐の藩士の若者が、日本人では初めてこのチュークに足を踏み入れる。後にチュークの女性と結婚し、このチュークを舞台に、正に波乱万丈の人生を送る事となるのである。現在では、彼の子孫達は直系だけでも1000人を数える一大ファミリーとなっている。
このモリファミリーを抜きにしては、現在のチュークの社会を語る事は出来ない程だ。
今回は、このモリファミリーの子孫達が如何にチュークの社会の中に浸透しているか、
と言う事にスポットを当てた番組である。番組名は、
”所さんの、学校では教えてくれないそこんトコロ!”『ありえね~ツアー』

リポーターは、漫才師の『〆さば(アタル・ヒカル)』の両氏。
漫才の乗りで、モリファミリーの活躍ぶりを面白おかしく、楽しくレポートしてゆく。
そして、そのふざけたガイド役が私、pocosuenaga である。
〆さば以上に、ノリノリのpocosuenagaをご覧頂きたい。

↑このページのトップヘ