2006年02月

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読者のご質問にお答えして、キミオ・オローラ島の施設についてご案内致します。

料金は、一律お一人$125.00(お食事・3食、ボート送迎、TAX、込み)
交通の便は、 ブルーラグーンリゾートホテル(モエン本島)から、ボートで25~30分です。
宿泊施設は、 4部屋 (TWNベースで、1部屋4名まで収容可能) 最大16名収容。
       各部屋に電源あり。扇風機常備。机と椅子2脚。ダブルベッド常備。
       3名以上の使用にはエキストラのマットレスを2個まで使用可能。
トイレ&シャワーは、別棟に2つの水洗トイレとシャワー室がある。
       トイレは、中に大きなバケツがあり海水を満たしてある。
       その海水を便器に直接入れて使用する。トイレットペーパーもそのまま流せる。
       シャワーは、トイレと同じ棟に1つ。大きな容器に真水が満たしてあるので、
       その水で水浴びをする。お湯は無い。(写真の小屋)
キッチンは、別棟にある。食事は現地スタッフがこのキッチンで料理してくれる。
      御客様のキッチンの使用も可。(写真の小屋)
現地スタッフの部屋がキッチンと同じ棟にある。現地スタッフが2~3名常駐している。

8名様以上で、島のチャーター使用を受け付けます。 
8名以下でも交渉の余地ありです。
オローラ島発のダイビング、フィッシング、ボートツアーもOKです。

緊急時用に、島に無線を備えております。
通常はスピードボートを待機させてあります。
ボートが無い場合でも緊急時には本島から30以内には迎えに参ります。

現地事情により医薬品はございませんので常備薬をご持参ください。

お問い合わせ・お申し込みはトラックオーシャンサービス/末永まで。
E-メール、お電話、ファックス、いずれでも。
日本語でお気軽にお問い合わせください。

トラック オーシャン サービス ( TRUK OCEAN SERVICE )
末永卓幸 ( SUENAGA TAKAYUKI )
P.O.BOX 447 Moen Chuuk State F.S.M 96942
Tel & Fax 691-330-3801
E-mail Suenaga@mail.fm  (一般・お客様用)
tos@mail.fm  (旅行会社様用)
http://www.trukoceanservice.com   ⇔ 弊社のHPです。

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夢の無人島、キミオ・オローラ島の施設が25日に完成し、その式典が華々しく催された。
モエン本島(ブルーラグーンリゾートホテル)からボートで25分程走った、南東洋上にこの無人島はある。周囲200mにも満たない島に椰子の木や浜紫檀、タコノキ(パンダナス)などが適度に埴生して
島の中に快適な清涼空間を提供してくれている。
島の周りのサンゴの美しさは圧巻だ。そこに色とりどりの熱帯魚や大物の魚もいて水中景観をより一層
引き立てている。
午後出発の御客様を空港に送りに行く仕事があり、ゆっくりと島で時間を過ごす事は出来なかったが
それでも、キミオ・オローラ島の魅力をたっぷりと堪能して帰ってきた。
後は、島内の清掃や、最後の整備をして、いよいよ3月1日からは観光客にオープンする。
無人島にはもったいないような洒落たお部屋には、貝で縁取られた姿見や、貝の額縁など、を配し、
机や椅子も設けられている。
建物を取り巻くバルコニー風の通路と、海辺に突き出た素敵なバルコニー。
朝のコーヒー、お昼のビール、そして夕べにはグラスを傾ける。。。

コバルトブルーに輝く海の上に、夢のような安らぎの空間が誕生した。

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モエン島内には、現在10校の小学校(1~8年)がある。
パブリックの小学校が6校、教会が主催するプライベートの学校が4校である。
その中で、先日、カトリック教会の小学校の運動会が島の総合グランドで行なわれた。
チューク諸島の学校には一部の学校を除いて大きな運動場が無い。
そのため殆どの学校が、モエン島の総合グランドを利用する事になる。
このグランドは空港の傍にあるので、いつもそれとはなしに眺めているが、
スポーツゲームや催し物が行なわれる度にゴミが一面に散乱していて、いつも不愉快な思いをしている。
先日もこの小学校の運動会を尻目に見ながら、『ああ、またグランドがゴミだらけになってしまうなあー。』と思っていた。
ところが、午後にここを通りかかって驚いた。
運動会が終わって人っ子一人居ない広いグランドに殆どゴミが見当たらないではないか。
緑の芝生がグランド一面に鮮やかに広がっている。
車のハンドルを握りながら、一気に気持ちが明るくなった。
やったー! 出来るじゃないか! 
いつもゴミを散らかし、片付ける事もしなかった、学校や団体に対して苦い思いを抱いていた
私の心も、この時ばかりは晴れ晴れとした気持ちでいっぱいになった。
今日の子供達は、運動会の楽しさと共に、きっと清掃するよろこびを知ったに違いない。
その日の私の心は、チュークの青い空・青い海のように底抜けに明るく晴れ晴れとしたものであった。

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この時期は北東の貿易風が強く、海がとても荒れやすい。
今日は特に、早朝から吹き荒れていて、とても海に出れるような状況ではなかった。
案の定、御客様から連絡があり、今日の釣りをキャンセルしたいと言う。
この御客様は今回が2回目のご旅行である。前回楽しかった釣りがまたしたくていらっしゃった方だ。
せっかく楽しみにしていらした御客様には大変申し分けない事だったが、実のところ、今朝のキャンセルには私自身が助けられた。内心ホッとしたものである。と言うのは、このところ私の体調が絶不調だったからである。左足のふくらはぎの肉離れが思わしくないところに来て、右足もくじいてしまい、両足が不完全な状態だった。そこに来て、昨日の夕方から腹痛に襲われてそれが今朝まで続き殆ど一睡もしていない状況だったのである。
私には妙な持病がある。1~2月置きに確実にやって来る腹痛である。
この腹痛が尋常ではなく、一晩中激痛に襲われる。しかも薬が全く効かないときている。
日本に帰る度毎に病院で検査してもらうのだが、全く原因がわからない。
それでも病院から、何らかの薬は大量に出してもらい、それを何年にも亘って服用しているが全く効果はない。そして毎回ハンを押したようにこの腹痛殿はやって来る。
そんな、2重苦・3重苦の体調の時に知らされたツアーキャンセルだったので、私には願っても無い朗報だったのである。天の采配とは正にこの事だ。
お陰様で、今日1日ゆっくりと静養する事ができた。

明日からの2日間は、御客様への恩返しだ。
天候が回復する事をまた、天に祈っている。

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大海原で小魚を求めて飛び交う海鳥たち。この海鳥たちは一体どこで生まれるのだろう。
チューク環礁には、様々な無人島がたくさんある。そんな無人島の1つ1つが彼らの生まれ故郷であり、繁殖地となっている。最近、そんな無人島の一つに行ってみた。アウトリーフの砂浜に緑がはえ始めてまだ数年と言う若い若い無人島である。コバルトブルーに輝く海を滑るようにしてボートが島に近づくと、たくさんの海鳥たちが一斉に舞い上がり島の上空を飛び交いはじめた。
そのうち飛び交っていた海鳥達は、次々とボートに向って突っ込んでくる。
きっと無人島にはたくさんの卵や雛鳥達がいるに違いない。雛や卵を的から守るための威嚇行動だ。
島に上がってよく見ると、こら中に海鳥の卵がある。砂の色や小石と同じ保護色をした卵は、うっかりすると踏み潰しそうになる。注意深く周辺を歩いて行くと、居るわ、居るわ、たくさんの雛鳥達が足音を恐れて逃げ惑っているのが見える。中には波打ち際まで逃げて行き、逃げ場を失って海の中に入っているものまでいる。かわいそうになり、産卵場所には近づかないようにした。
それでも親鳥達は、私達が島にいる間中、我々の上空を飛び回り警戒を怠らない。

後日、この島を訪れた時、大きくなったたくさんの雛鳥達が砂浜に立ち並び、風に向って盛んに羽を動かしている光景に出会った。やがて迎える巣立ちに備え、大空に舞い上がる夢を見ていたのだろうか。
こうして大きくなった雛鳥たちは、間もなく故郷の島を飛び立ち、大海原に旅立ってゆくのだ。

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チューク地方で重宝されている貝の1つにトウカムリがある。
人間の頭程の大さがあり、数多い貝の中でも大型の部類に入る。
和名の『トウカムリ』は、唐時代の冠に似ているところからこの名がある。
英語名はそのままズバリ、『ヘルメットシェル』である。
亜熱帯から熱帯にかけて広く世界の海に分布している。
チューク地方ではその形状から、食器や容器、鍋の代用としても用いられた。
このように古来より南の島の人たちに重宝された貝として、海洋考古学の資料としてもとても貴重なものである。大きな貝であるから、当然中身も大きくて、食糧としても大事なものである。
チューク地方では、茹でて中身を取り出し、塩漬けにして、大事な副食品として食されている。

トウカムリにはもう一つ、変わった用途がある。
日本でよく、野武士や山伏などが、ホラ貝を吹き鳴らしている図を見かける。
あの法螺(ほら)に使われているのが、このトウカムリである。
チューク地方でもホラ貝はよく使われるが、同様にして、このトウカムリも古くから法螺の材料として重宝されてきた。ホラ貝よりも中の隔壁が大きく、低くて太い音が出るのが特徴だ。
ホラ貝と違った音を出すところから、様々に使い分けられてきたと言う。
そしてこのトウカムリは、益貝で、サンゴの敵・鬼ヒトデの天敵でもある。
南の島の人達に貴重な道具を提供し、美味しい食べ物を与え、大事な海産物の棲みかである美しいサンゴ
を守ってくれる、とても大切な生き物なのだ。
別名の『センネンガイ・千年貝』は、古くから、南の島の人達の生活を潤してきたこの貝のニックネームにピッタリの名前である。

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今週の御客様は、雪国・札幌からの若いカップル。
まだまだ新婚の初々しさがそこはかとなく漂う素敵なお二人である。
雪祭りの混騒を避け、明るい南国に夢を追ってやってきた。
3日間の無人島めぐりとスノーケリング、チュークの海をたっぷりと堪能する事ができた。

ボートツアー2日目。
今週はアメリカ人のダイバーがやたらと多く、この日は予約していたいつもの大きなボートが使えない。やむなく小さなボートでの出発となった。この時期は貿易風が強く海が荒れやすい。
特にこの日は風がとても強く、ホテルの前の海は一面の波しぶきで、ローカルの小さなボートが波に翻弄されながら走っている。
ライフジャケットを身にまとい、クッションを2段重ねにして、いざ出発だ。
ボートが荒波を蹴って走り始める。ロデオよろしく波を越え、右に左にと巧みな操縦で荒波の中を突き進む。波しぶきが体を襲う。私の後ろで、悲鳴とも笑いともつかぬ嬌声が聞こえてくる。
行く手は名にしおう艦隊錨地。あの戦艦・大和の船体を洗ったと同じ波がボートを翻弄する。
若い奥様はしっかりと旦那様の手を握りしめている。

ボートのロデオの後は、無人島でのスノーケリング。
水の存在を感じさせないほどに透き通った透明な海。
水中に群れる珊瑚と熱帯魚の数々・・・。
この世のものとも思えない見事な海中の景観をたっぷりと楽しむ。
ここでもまた、奥様はしっかりと旦那様の手を握りしめている。

仕上げは、無人島でのリラックスタイム。
聞こえるのは、小鳥の声と椰子の葉のそよぎ、やさしい波の音・・・。
涼しい木陰で、天国の時間を過す。。。
お弁当を広げ、楽しい会話を交わし、心の洗濯をする。
お二人の楽しそうな笑顔が無人島のビーチにはじける。

南の島のアトラクションは、スリルと愛を育む天国のテーマパークだ。
これでお二人の愛が一段と深まったのは間違いない!!
チュークベイビー誕生か!!!(*^。^*)

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先週は2組続けてご年配の御客様をお世話した。
いずれも太平洋戦争中に、青春をこのトラック島に捧げた方達だ。
1組は、86歳の女性。息子さんご夫妻を同伴してのトラック島訪問だ。
86歳とは言え元気ハツラツとしていて、とても86歳には見えない。。
当時難関だった海軍のタイピストの採用試験に合格し、うら若き20歳にしてこのトラック島に赴任した。
写真に見る当時の面影を今に留める気品が漂う素敵な女性であった。才女である。
当時を良く知る81歳の現地老人に会い、青春談議に花が咲く。
そこには86歳という年齢を感じさせるものはなく、ルンルンとした若き娘の姿そのものである。
当時の職場の建物跡にご案内した時には、感極まったご様子で、顔を伏せ、顔を覆い、ずっとその場に立ち竦んだままであった。60年という歳月を一気に飛び越えて、帰らぬ青春の空間に身をゆだねた想いは如何であったろうか・・・。

そしてもう1組は84歳の男性である。この方もまた驚異的に若くて元気な事この上ない。
現在でもまだ農園を経営なさっており、高木の枝の伐採までやっているという。驚きだ。
今回が2回目のトラック島訪問で、娘さんご夫妻とお孫さん、そして5歳のひ孫を率いてのトラック島凱旋の旅であった。当時の第二艦隊旗艦・軍艦『愛宕』に乗艦し、トラック島・夏島の艦隊司令部勤に籍を置いた。今をときめく、超ド級軍艦・『戦艦大和』が停泊したと同じ、艦隊錨地(びょうち)に錨をおろし、当時の夏島に第一歩をしるした。
おじいちゃんゆかりの地を1つ、1つ、訪ねて行く・・・。
日本海軍・港務部で働いたと言う80歳の現地老人と、当時の話しに花が咲く。
話題は尽きない・・・。おじいちゃんの目が青春を取り戻す。
今、正に青春の真っ只中に自分がある・・・。
おじいちゃんの青春の軌跡を、娘が追い、孫が見つめる。

トラックを出発する日、5歳のひ孫・KEITOがもっと居たい、と母にすがる。
KEITOにトラック島再訪を誓うおじいちゃん。
こうして、おじいちゃんの青春は消えることなく、子供達に受け継がれて行く。
60年の歳月と、4000キロの時空を超えて。。。

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